80年代、高校2年の私を楽しませたアーケードゲームたち
前回は私が高校1年(1987年)のときに熱中したアーケードゲームをご紹介しました。
今回は高校2年(1988年)のときにリリースされ、私の印象に残ったアーケードゲームについての雑感を書いていきたいと思います。
グラディウスII -GOFERの野望-(コナミ)
アーケードでもファミコンでも大ヒットした『グラディウス』の続編です。
ファンにとっては待望のリリースだったと思います。私はアーケード版の『グラディウス』はプレイしていなかったので、この続編には興味がありました。
ただシューティングは下手っぴいだったので、まったく歯が立たなかった思い出があります(苦笑)。
このタイトルで画期的だったのが、パワーアップの種類を4種類、そしてバリアの種類を2種類、計8パターンのパワーアップを選択できることでした。
特にミサイルが多種多様であり、個人的にはこいつの使い勝手が選択の決め手になっていました。
印象に残っているのが“PHOTON TORPEDO(フォトントゥーピド)”ですね。聞いたことない単語でしたから。
しかも長い(笑)。そしてそれを装備した瞬間、ゲームから
フォトントゥピィドゥ!
っていう流暢な英語が流れるんですよ。もうそっちが気になっちゃって。だから下手だったのかな(笑)?
グラフィックスもすごかったですね~。
1面のプロミネンス、3面の水晶。上手い人のプレイを見ているだけでも楽しかった思い出があります。
歴代のボスが続々と登場する“ボスラッシュステージ”も衝撃でしたね。
クライマックスだなぁ~
という盛り上がりをすごく感じました。もちろん人のプレイを見て、ですけどね(苦笑)。
このステージでは別タイトルの『沙羅曼蛇』のボスまで登場したので、サービス満点の演出となっていました。まさに“友情出演”ですよ(笑)。
そして忘れちゃいけないのが“オプションハンター”の存在でしょうか。
『グラディウス』といえばオプション、オプションといえば『グラディウス』という強固な文法がこのゲームには存在しました。
しかしそれを大きく打ち砕き、プレイヤーを恐怖のどん底に陥れたのが、このオプションハンターでしたね。
強力な火器であるオプションをごっそりと奪われてとたんに地獄を見たり、それを避けようとして注意力が疎かになり地獄を見たり。
あ、どっちも地獄か(笑)。ただ私はオプションハンターをお呼びするくらい長くはプレイできなかったので、まったく関係なかったのは秘密です(笑)。
ちなみにこのタイトルは『PCエンジンmini』にラインナップされている移植版をクリアすることで、当時の願望成就となりました。
もちろん必死の任意セーブとリセットのオンパレードでしたけどね(笑)。でも嬉しかったなあ。
イメージファイト(アイレム)
1980年代後半のアイレムは、『R-TYPE』のリリースを皮切りに半ば無双状態の時代があったような気がします。
その企画やらグラフィックスといった点で
アイレムっぽいねぇ!
と思わせる個性があり、アイレムというブランディングが着々と構築されていったのがこの時期だと個人的には感じています。
そんなアイレムが『R-TYPE』に続くシューティングとしてリリースしたのが、この『イメージファイト』でした。
前作の『R-TYPE』では“フォース”という、とても個性的な武器を提案したアイレム。今回の『イメージファイト』でも、“ポッド”という新たな武器を提案してきました。
“ポッド”は主機を護衛する火器であり、『グラディウス』でいうところの“オプション”的立ち位置にあるのですが、その動きに一癖あります。
- “ポッド”は赤ポッドと青ポッドの2種類ある
- 赤ポッドはレバーを動かした方向と逆方向にショットを撃つ
- 青ポッドは常に進行方向(正面)にショットを撃つ
- ボタン二つを同時押しすると、ポッド自体が前方に発射されて攻撃をする(ポッドシュート)
といった感じで、プレイヤーの好みで攻撃方法を選択できました。
特に赤ボットの動きは特徴的であり、うまく利用すれば360度に渡って攻撃を繰り出すことができます。ゲームセンスがある方は、これを好んでいた記憶がありますね。
しかしながら逆にセンスのない人がこれを使うと頭がこんがらがってしまうので、
正面しか撃たない青ポッドの方がわかりやすくていいや
と、赤ポッドの特性を拒否したりしたのもいい思い出です(笑)。
他にも主砲の種類が複数あり、本体とドッキングさせることで攻撃特性が変化します。これは『R-TYPE』における反射、対地、対空レーザーと近しい考え方です。
ただし、それぞれが異なるデザイン(グラフィックス)を持っており、自機グラフィックスに変化がなかった『R-TYPE』と比べると、その変化が楽しかったですね。
スピードについてはパワーアップで速度を上げる、という概念ではなく、はじめから4段階のスピードが用意されていました。
つまりプレイヤーははじめからスピードの選択を自在にできるわけです。
このシステムはのちにPCエンジンでハドソンからキャラバン用に発売された『ガンヘッド』や『スーパースターソルジャー』といった、縦シューティングゲームで当たり前となった“ブーストの自由化”の先駆けだったと思います。
ある意味コロンブスの卵的な発想というか、画期的なシステムだったと思いますね。
クリアは当然できませんでした。エッヘン(笑)。2面のガンダム色豊かな戦艦を攻略できず撃沈でしたね(苦笑)。
最後の忍道(アイレム)
当時絶好調のアイレムの忍者ゲームです。“アイレム無双(笑)”時代の一本と言えるでしょうか。
前年にセガの『忍-SHINOBI-』にどっぷりとハマった身としては、イケイケのアイレムがリリースしたこの忍者ゲームに手を出さないという選択肢はありませんでしたね。
ゲームのテイストは純和風で、『忍-SHINOBI-』がアメリカンでハリウッド的な舞台から始まったことと比べると、とても渋めでした。
それは面が変わっても一貫しており、
- 廃寺
- 無人の峠道
- 枯野原
- カラクリ屋敷
といったような、寂しげで退廃的な雰囲気を醸し出し、そこにチャラついた要素は一切ありません。
そう、この『最後の忍道』はとても硬派なテイストの忍者ゲームだったわけです。
プレイヤーキャラはジャンプ力が極めて高く、画面から画面に飛び移る浮遊感や、その操作感がとても爽快でした。この雰囲気は『影の伝説』を思わせますね。
そして“分身の術”という名のオプションを2体までつけることができ、攻撃力を倍加できることが特徴的でした。
『グラディウス』で一般的となったオプションを、“分身の術”と置き換えたアイデアには脱帽でしたね。
うまい置き換えだな~
と思いましたからね。
そして武器は刀・手裏剣・爆弾・鎖鎌の4種類があり、自由に切り替えて使うことができます。
この攻撃スタイルも新しかったですね。
今までのゲームでは、一つの武器をアイテムとしてゲットし、変更タイミングがくるまでは半ば強制的にそれを利用する、といった攻撃方法が一般的でした。
『R-TYPE』を例にすれば、“反射レーザー”を取ったらそれを使い続け、“対空レーザー”が出現するまではそれを変更できない、みたいなシステムです。
しかし『最後の忍道』では、はじめからプレイヤーに4種の武器を与え、シーンによって選択させるという“ゲームの自由度”を提案したわけです。
グラフィックスも当時のアイレムらしく、とても美麗でした。寂しげで不気味な暗さをよく表現していた、という意味での美麗さなんですけどね。
個人的には1面ボスの“阿修羅”のでかさと緻密さに心を奪われました。当時は『デジタルデビル物語 女神転生』の影響で、神話や仏像にも興味が出てきていた頃だったので
渋くてカッコいいぜ~
と、高校生らしからぬ美的感覚を持ち始めていましたね(苦笑)。
ただ難易度が高くて、私の手には負えないゲームでもありました。2面をクリアできなかったですからね。
そこでバーチャルコンソールでPCエンジン版のこのタイトルを見つけ、再度チャレンジしてみました。
ライフ制となり、難易度が下がっているPCエンジン版でしたが、それでも4面くらいまでしかいけず、高校時代の借りを返すことはできませんでしたね。
諦めきれない私は、今度はPCエンジンminiに収録されている同タイトルを、任意セーブとリセット技を駆使してとうとう攻略、念願のクリアをいたしました。
でもさすがに“アーケードモード”でのクリアまでは至っておりません。残念ながら気力が続きませんでした(苦笑)。
パワードリフト(セガ)
当時『アウトラン』や『アフターバーナー』等、ムービングシートを使った体感筐体ゲームを精力的にリリースしていたセガ。
この『パワードリフト』もそれらの流れにのった体感レースゲームです。
今回のコンセプトは、バギーカーを使ったオフロードレースで、アップダウンやコーナーの振り幅が激しい、ジェットコースターのような演出が特徴的でした。
とても単純明快なゲームだったので、難しいことを考えずに楽しめた記憶がありますね。よく友人たちとレースをして遊んでいました(笑)。
しかしながら、ゲーム自体ではかなり難しい処理をしていたようです。難しいことを考えずにプレイしていたのが申し訳なるくらいに(苦笑)。
ある意味3Dゲームにポリゴンが導入される前の、疑似3D表現の最高峰なのではないかと思われます。
動画を見ていただければわかると思うのですが、あれだけの高低表現や遠近表現を、あのゲームスピードを担保しながら処理するという技術力。圧巻ですよね。
これらはすべて無数のスプライトで処理されているからこそできる表現であるらしく、まさに
ゲーム基板にとことんスプライト処理能力を増設してやれ!
といったような、ある種ドーピングにドーピングを重ねたような技術でこれらを表現していたともいえるでしょう(笑)。
その結果、ポリゴンを利用しなくても滑らかな拡大縮小処理が伴った3D表現を実現しています。
個人的に臨場感アップに貢献しているのは、“左右の斜め落ち込み表現”だと感じています。
これがドリフト時にかかる横Gを見事に表現し、『パワードリフト』というタイトル名を嘘偽りないものにしていると思うんですよね。
また、丸太のガタガタ感を感じさせる表現が何とも言えないオフロード感を生み出し、
無茶な走りをしてもいいんだぜ
という、ラフで自由なドライビングの爽快感をプレイヤーに提供していたと思います。
そしてこの表現が色濃く受け継がれているのが『マリオカート』なのではないかな~と、密かに思っているのですが、皆さんはいかがでしょうか?
テトリス(セガ)
全世界の人が知っているといっても過言でないゲームが、この『テトリス』でしょう。
いわゆる“落ちゲー”といわれるジャンルを開拓した元祖であり、このゲームに影響を受けて派生したゲームは枚挙にいとまがありません。
これを初めてゲーセンで見たときは
なんか地味なゲームが置いてあるな
という印象でした。
カラフルだが無機質で角ばったブロックが落下していくという、派手さを追い求めたゲームが主流であった時代に逆行するようなゲーム画面。
しかしながらそのデモを見るだけで、誰でも容易にルールを理解できるというシンプルさ。それはゲームから距離を置く一般人の方々に
これならアクションが苦手な私でもできるかも…
と思わせる力がありましたね。
実際にこのゲームは老若男女問わずプレイできる間口の広さが受け、さまざまな形態で世界的な大ヒットとなります。
ですのでカップルがゲーセンに遊びに来た際、ゲームが苦手な女性が
これだったらなんとか…
とプレイをするという光景が多く見られました。このあたりからも、その間口の広さを証明していましたね。
ゲーム性としては、人間の持つ“整えたい”という欲望を、見事に突いたシステムだったと思います。
とにかくさ、きれいに揃うと気持ちいいじゃん
という本能ですね(笑)。
そして“整えては消す、揃えては消す”という作業が中毒性を生み、プレイヤーは時間を忘れてその作業に没頭したのだと思います。
また、この作業を“対戦型”として利用したのも秀逸でした。
対戦ルールは自ブロックを消すと、相手フィールドのブロックが上にせり上がり、よりゲームオーバーに近づく、という“邪魔しあい合戦”でした。
とてもシンプルなルールでありながらも、白熱した闘いを生み出す仕組みでしたね。まさに
より早く、より正確に消す
という、職人技・熟練技の世界でもあり、それはまるで仕事の正確さ、早さ、効率化を競う熟練工の所作を見ているようでした。残念ながら何の生産性もないんですけどね(苦笑)。
そんな感じで地味ながらも万人受けがハンパなかったせいで、長らくゲームセンターに鎮座し続けたタイトルでもありました。
私はどうにもぶきっちょで…うまくできませんでしたね。お恥ずかしい(苦笑)。
その他印象的だったタイトル
他にもいろいろと思い出深いタイトルがありますが、キリがないので一言雑感で紹介して終わりにしますね。
ニンジャウォーリアーズ(タイトー)
『ダライアス』で世間の度肝を抜いた、3画面横並びベンチシート筐体ゲームの第2弾です。あの個性的な筐体を、今度はアクションゲームにあてがってきました。
『ダライアス』ではあの広大な舞台がゲームのダイナミズムを増し、自由に動き回る空間を提供していたのに対し、こちらは
…3画面にする必要あるのかな…?
という漠然とした疑問を持ったのは内緒です(笑)。
自機の忍者が実は戦闘ロボットだという設定だったので、歩き方がとても機械的でしたね。後ろ歩きする姿はまるでムーンウォークです(笑)。
キャラクターのモチーフは、やはりターミネーターなんですかね?
ギャラクシーフォースⅡ(セガ)
『アフターバーナーⅡ』の発展型ともいえる疑似3D戦闘機シューティングゲームです。『スターウォーズ』の世界観を、まんま実現したかのようなゲームでしたね。
この作品で強烈に印象的なのが、左右355°まで回転する大型筐体です。もはや完全に遊園地の乗り物でした。
それこそ東京ディズニーランドや、USJの体感コンテンツに近しいゲームだったと思っています。乗る前にゲーセンの係員に手荷物を預ける必要があったくらいでしたからね(笑)。
その物珍しさからか、筐体にはいつも長蛇の列ができていた記憶があります。そして1プレイが高い! 確か300円くらいだったと思います。
それだけに高校生であった私にはとても手が出せず、並ぶのも嫌だし、結果未プレイだったりします(苦笑)。
ただゲーム史に燦然と輝く筐体ゲームであることは、揺るぎない事実だと思いますね。
TATSUJIN(タイトー)
『タイガーヘリ』や『飛翔鮫』から始まったと思われる、いわゆる“弾幕シューティングゲーム”にカテゴライズされるタイトルです。
ゲームはとにかく派手でしたね。ミサイルバリバリのレーザービキビキ、といった感じです。特に印象的だったのは、ドクロの爆風が一瞬見えるボンバーですかね。
タイムボカンシリーズ!?
なんて勝手に突っ込んでいましたね(笑)。
しかしゲーム難易度はそのタイトル名通り“達人級”で、もう私には何が何やらわからず、とても手出しができないシロモノだった思い出があります。残念(苦笑)。
おわりに
以上、私が高校2年(1988年)時のアーケードゲーム雑感でした。
先ほども書きましたが、アイレムの独自性が花開いた年だったと思います。また、セガの疑似3D表現が頂点に達した年だったようにも感じますね。
そして思い出は1989年に続きます。ではまた。
コメント