80年代、高校1年の私を楽しませたアーケードゲームたち
『R‐TYPE』の魅力に憑りつかれ、“不良の温床(笑)”たるゲームセンターに足を踏み入れるようになった高校1年の私。
今回はその時代(1987年)にリリースされ、私の印象に残ったアーケードゲームについての雑感を書いていきたいと思います。
ストリートファイター(カプコン)
1990年代に熱狂的ブームを生み出した対戦格闘ゲーム『ストリートファイターⅡ』の、初代バージョンとなります。
一応ストリートファイターシリーズの原点という立ち位置なのですが、あまりにも次作の『ストⅡ』がメジャーになってしまったがゆえに、“初代”というよりは、“Ⅱのプロトタイプ”というイメージがありますね。
それだけにあまり“初代ストⅡ”とか“ストⅠ”とは呼びづらいんですよ。ガンダム的に表現をするならば、“ザク”に対する“旧ザク”でしょうか。だから“旧ストⅡ”と呼ぶのがいいのかな(苦笑)?
ただプロトタイプだけに、“対戦格闘ゲームの基礎システム”というものは、この作品である程度確立されていました。
- 1対1のタイマン勝負
- 3本勝負のうち2本先取で勝利
- 必殺技のコマンド入力
- レバーの逆入れでガード
- 弱、中、強の、攻撃力別ボタン
- 世界各国を飛行機で巡る
- 二人対戦プレイ可能
このように、その後大きく発展する対戦格闘ゲームの土台は、このタイトルですでに固まっていたことがわかります。
そしてこのタイトルだけにあった唯一無二のギミックが、“圧力センサーボタン”でした。
筐体のボタンの位置に、赤と青のやたらにでかいボタンが配置されており、そいつを拳で叩いてパンチやキックを繰り出すんですよ。
拳で叩くといっても、どちらかというと小指側の側面部をスタンプを押すようにして落とす、といった方が適切かもしれません。“パンチ”というよりは“鉄槌”って感じでしょうか。
そしてその時の圧力の強さによって、攻撃力が弱、中、強に分かれるんですね。つまりプレイヤーが強攻撃を出したい場合は、かなりの力で拳を打ちつける必要があります。
いうなれば、格闘というテーマのゲームに“力加減”というリアルさを演出したわけです。
フィジカルを使うギミックを取り入れた、という点では、ある種“体感ゲーム”の範疇に入っていたゲームだったのかもしれません。しかしながら、その演出はプレイヤー側からは敬遠されてしまいます。
その理由は2つありました。ひとつは単純に疲れるからです(笑)。この“圧力センサーボタン”はかなり押し応えがあり、ホント、疲れるんですよ(苦笑)。
二つめは攻撃力の不確実性です。
自分としては力いっぱいボタンを叩いたつもりでも、それが確実に“強攻撃”となる保証はありません。圧力センサーの規定値を超えていない限り、その同一性がとれないのです。

えっ…今の中攻撃かよ…っ!
みたいな(笑)。
体力を使って一生懸命叩いても、理想の攻撃ができない。これがこのシステムが受け入れられなかった要因だと思うんですよね。
よってこれを改善する策として、皆さんお馴染みの“6ボタンシステム”が登場することになるのです。圧力センサーボタンから6ボタンへ、コンソールを早々とシフトしたゲーセンは多かった気がしますね(苦笑)。
必殺技のコマンド入力も、当時としては発明だったと思います。レバーを一定の法則に沿って動かし、タイミングよく攻撃ボタンを押すことで発動する必殺技。
これは元来ヒーロー漫画やアニメが持っていた、“必殺技を繰り出す前のお決まり準備ムーブ”という文化を見事に踏襲しており、直感的にも必殺技を操っているイメージを増幅させる効果があったと思います。
そしてそのムーブが正確にトレースされれば発動、不正確ならば不発、という条件も、一撃必殺技にはリスクがある、という説得力のある演出となっていたと思います。
ただ…この『ストリートファイター』では、そのムーブの判定基準がすごくシビアでした。
ですので、『波動拳』や『昇竜拳』を狙って出すというのはとても難しく、

あっ、昇竜拳出た! ラッキー!!
てな感じで、運を天に任せるという必殺技になりがちだった記憶がありますね(苦笑)。
というわけで、アーケード版では私の手に負えないタイトルでした。運がよくて日本、アメリカを突破できたくらいです。
ただとてもカッコいいゲームだったので、PCエンジンDuoを手に入れた際に、CD-ROMの移植版『ファイティングストリート』を購入して遊び倒しました(笑)。
何度もチャレンジしてなんとかクリアできました。ただそのクレジット数をもしゲーセンで行っていたらと思うと、ゾッとしますけどね(苦笑)。
忍-SHINOBI-(セガ)

セガの人気忍者アクションゲームの元祖です。これも好きで、ホントによくプレイしましたね。
忍者アクションといっても、アメリカで作られた“忍者テイストムービー”をモチーフにした感じで、ショーコスギチックなテイストがふんだんにあふれていたアクションゲームでした。
いうなればアメリカ人が

OH、ジャパニーズニンジャ、ソーグレイト!
てな風に勘違いしている忍者イメージを、本家の日本がそれをわかった上でモチーフとして採用した、という感じでしたね(笑)。逆にそれがエンタメ感溢れていて好きでした。
ゲームは典型的な“覚えゲー”で、敵の出現場所やアクションパターンを一生懸命覚えた思い出があります。忍者がこう煙のように出現するんですよ。それを覚えるんです(笑)。
そんな努力と根性で、ジワジワと進める面数を増やしていくわけです。運と好調さがシンクロすれば、5面くらいまでいけた思い出があります。ホントにたまにですけどね(笑)。
プレイキャラのジョー・ムサシ(笑)は、遠距離では手裏剣、近距離では刀と徒手空拳で敵をなぎ倒し、1ステージに1回だけ全体攻撃である忍術を使えます。
忍術は画面内の敵を一掃するという効果があり、シューティングゲームでいうところの“ボム”に相当します。一応“分身”、“稲妻”、“嵐”の3種類あるのですが、演出が違うだけで効果はすべて同じです(笑)。
敵ボスで一番印象に残っているのは、3面のボスの『MANDARA(曼荼羅)』ですね。
大量の如来像がジワジワと近づいてくるんですけど、それを手裏剣でバリバリと破壊する必要があるんですよ。破壊しきれないと、背後の電流ゾーンに押し出されて感電死なんです。
これに対抗するためには連打が必要で。ボタンをめちゃくちゃこすった記憶がありますね(笑)。今考えたら、なんて罰当たりなボスなんだろうと思いますよ(苦笑)。
あともう一つ、強烈に印象に残っているのが、随所で行われるボーナスステージです。
遠くから徐々に近づいてくるたくさんの敵忍者を、一人残らず手裏剣で撃退していくミニゲームなんですけど、これが疑似3D視点となっていて、とても迫力があるんですよ。
イメージ的にはスピーディーな3Dインベーダーゲーム、といった感じでしょうか。倒し損ねると、急に敵忍者がドアップで目の前に出現して、トライ失敗となってしまうわけです。
それもまた迫力満点で。ドキッとするんですよ。

やられたっ!!
みたいな(笑)。この“命取られたっ”という感じが、すごく臨場感あふれて表現されていましたね。
デモ画面でもこのボーナスステージの様子が流れていたので、これだけでも

やってみたいな~
と思った人は多かったんじゃないかな?
結局ゲーセンではクリアできなかったのですが、Wiiのバーチャルコンソールにラインナップされていることを知り、すぐにダウンロードしました。
そしてコンフィグ設定で残機をアホほど増やして、20年越しになんとかクリアできました(笑)。
ヘビーウェイトチャンプ(セガ)
セガの体感シリーズで登場したボクシングゲームです。
当時のセガは『スペースハリアー』、『アウトラン』、『ハングオン』に代表される体感ゲームが当たっており、その流れで登場したのがこの『ヘビーウェイトチャンプ』でした。
しかしこいつはヒットしなかったようで(笑)、ゲーセンには定着しませんでしたね。ただ私は結構好きで、よくプレイしていました。
プレイスタイルはスタンディングです。操作方法は…ちょっと説明しづらいのですが、手前に伸びている二本のアームを握り、それを押し込むことでパンチを出す、というものでした。
また、筐体を左右に回転させることができ、回転させつつアームを押し込むことで、フックが打てたりしました。たしか相手のパンチも、この左右の振りで避けてたんじゃないかな?
でもって、結構疲れるんですよ、このゲーム。“体感ゲーム”ならぬ“体汗ゲーム”といってもいいくらいで、2、3戦するとなかなかにいい汗がかけました。
このあたり、スポーツゲームにきちんとフィジカルを組み込んでいて、体感ゲームとしてはとてもよくできていたと思いますね。
このゲームを客観的に見ていて面白かったのが、初めてプレイする人ほど、左右のアームをいきなりフルマックスのスピードでガチャガチャやるんですよ(笑)。

そんな激しくやったら、筐体壊れるっての…
と思うくらいです。
そして短時間でゼーハーいっているという(苦笑)。こんな有様を、何度も見てきました。でもたしかにやりたくなるんですよね、アレ。
でも今から思うと、こんな無茶をするプレイヤーが多すぎて、故障が頻発したのかもしれないですね。だからゲーセンの経営者には

手間のかかるゲーム機だな
なんて敬遠され、結果フロアから消えていってしまったのかもしれませんね。
飛翔鮫(タイトー)
零戦チックな戦闘機で、敵軍をバリバリ倒していく縦スクロールシューティングです。単純明快なので、よくやっていました。
パワーアップアイテムを取ると、ショットの列数が偶数飛びで増えるんですよ。2射が4射、4射が6射、みたいな感じです。最大で12射まであったのかな?
加えてショットの発射角度も扇状に広くなっていき、パワーアップが実感できる仕様となっていました。
戦場は東南アジアのジャングルをモチーフにしているようで、大東亜戦争やベトナム戦争を思い起こさせる演出がなされています。
個人的にはトーチカに隠れながらコソコソ動く戦車が好きで、敵ながら動きがかわいいと思ってしまいました。戦争を知っている世代の方には不謹慎な感覚でしょうけどね。
そしてこのゲームで一番革新的だったのが、セカンドウェポンとして“ボム”を採用したことですかね。
今でこそシューティングゲームでは当たり前になっている武器ですが、私が知る限りこのゲームが初めて実装だったのではないでしょうか。
このボムは画面全体を爆風で吹き飛ばすことにより、対ボス戦での切り札火力として、もしくは絶体絶命の危機を回避するための防御弾幕として利用できました。
つまり攻防で優れた特性を持った武器となっており、プレイヤーの戦略の幅を大きく広げることになったわけです。
さらに使い方によってはプレイ時間を延長させる効果をも持つこととなり、そのワンチャンスに魅力や利点を感じて、クレジットを投入したプレイヤーも多かったのではないかと思います。
このように、『飛翔鮫』は以後の縦スクロールシューティングゲームの基本システムを確立したようなゲームだったと個人的には思っています。
そしてこの『飛翔鮫』を原点として、その後の『究極タイガー』や『鮫!鮫!鮫!』につながっていくことになるわけです。
クリアは…できませんでした。ちょっと私には難しすぎましたね。絶好調の時で3面までいけばいいほうでした(苦笑)。
もしクラシックミニ的な企画でこのタイトルが入っていたら、ちょっとやってみたいですね。
R-TYPE(アイレム)
『R-TYPE』についてはこちらで詳述しておりますので、よろしかったらどうぞ。
その他印象的だったタイトル
他にもいろいろと思い出深いタイトルがありますが、キリがないので一言雑感で紹介して終わりにしますね。
ダライアス(タイトー)
3画面を横に並べるというインパクトで、プレイエリアの広さを実現したシューティングゲームです。長椅子のベンチシート筐体が特徴的でした。
すごくやりたかったのですが、1プレイあたりの単価が高く、費用対効果の面で手を出せませんでしたね(苦笑)。
そんな思い出がありますが、メガドライブミニでなんとかクリアをし、高校時代の忘れ物を回収した次第です(笑)。
ワンダーボーイ モンスターランド(セガ)
敵を倒し、お金を稼いで剣や鎧の装備をグレードアップしていくという、アクションRPGでした。
友人の白田くん(仮名)が得意で、脇で見ていた思い出があります。彼くらい上手くなると、かなりの長時間をワンコインで遊べていましたね。
ただ自分には無理だ、と悟っていたので、手は出しませんでしたけど(笑)。
そしてこのタイトルは、その後キャラクターを『ビックリマン』に差し替えて、PCエンジンのソフト『ビックリマンワールド』として発売されます。
そちらのほうで知っている方の方が多いかもしれませんね。
妖怪道中記(ナムコ)
『源平討魔伝』に続く、ナムコの和風アクションゲームです。
やや暗めで緻密なグラフィックが印象的でした。それだけでプレイをしてみたい気にさせるタイトルでしたね。
主人公のたろすけもかわいらしくて、見ているだけで楽しかったです。ただ私にとっては難易度が高すぎて、手に負えないタイトルでした。
Wiiのバーチャルコンソールでダウンロードをし、再度自宅でチャレンジをしてみたのですが、まったく歯が立ちません(苦笑)。
任意セーブ、もしくはチートオプションが装備されてリリースされたときに、もう一度チャレンジしたいと思います(笑)。
おわりに
以上、私が高校1年(1987年)時のアーケードゲーム雑感でした。
思うに様々なジャンルの基礎システムが多く確立された年だったように思いますね。そして思い出はその3の1988年に続きます。ではまた。


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