80年代のプロレス界で起きた価値観の変化
80年代のプロレスシーンにおいて、伝説となった“噛ませ犬発言”を行った長州力。
彼はエース候補であった藤波辰巳にかみつき、彼と真っ向勝負をすることで、自身のステイタスを一気に押し上げる下克上を成功させます。
そして彼の痛快な行動力は、その後もプロレス界にさまざまな革命を起こすことになりました。今回はそんな彼の革命劇を追ってみたいと思います。
ファイトスタイルの革命
その1でも少し書きましたが、長州はプロレスにおけるファイトスタイルでも革命を起こしています。
それまでのプロレスというのは、歌に例えれば“Aメロ”、“Bメロ”という感じでじっくりと地味な攻防を行い、最後に“サビ”といえる部分で大技、必殺技を繰り出して試合が決まる、という展開が普通でした。
しかし長州はゴング開始からダッシュをするように技を繰り出し、すぐに見せ場をもってくるような“ハイスパット・レスリング”を実践しました。
試合開始直後からテンポ、スピードが早く、躍動感あふれる試合が展開されたので、視聴者に新鮮な衝撃を与えたのです。
それはまるで“サビ”を歌い出しにもってくるような闘い方であり、いきなり会場が沸くという効果をもたらしました。
さらには高度成長経済が成熟し、ライフサイクルの回転がどんどん早まっていた世の中にもマッチしており、特に若者にそれが受け入れられたわけです。
ではそんな彼のハイスパット・レスリングを象徴する技を3つほどご紹介します。
サソリ固め
うつ伏せになった相手の腰を支点にして、エビのように反らせる『ボストンクラブ』というポピュラー技のアレンジ版です。
抱える相手の両足をクロスさせて一本化し反らせることで、腰の他に足も同時攻撃するという複合技でした。
その姿はまさに一本尾を持ったサソリそのものであり

ネーミングうまいな~
と、技と名前が完全一致している様に舌を巻いたものです。
この技は若き日の前田日明を脱出不能に追い込み、レフェリーストップ勝ちをしたその必殺性から、相手の足をクロスさせるという導入ムーブだけで会場が大いに沸くという現象を生み出しました。
ゆで先生もその個性に影響されたのか、ケンダマンにこれを使わせていますね。
リキラリアット
彼のレスラー人生において、一貫してフィニッシュホールドとして使用された技が『リキラリアット』です。
ただし“ラリアート”という技は、スタンハンセンの『ウエスタン・ラリアート』という特許技(笑)があり、まだまだ他のレスラーの必殺技をパクることがご法度だった時代に

なかなか思い切ったことをしたものだ
と、子ども心に感じましたね。おそらくオリジナルのハンセンが、ライバル団体である全日本プロレスに移籍した後だったから可能だったのかもしれません。
また、長州のラリアートは、自らが相手に向かってダッシュし、その右腕を叩きつける“攻撃ミサイル型”なのが特徴で、そこがハンセンのラリアートとの差別化となっていました。
そしてその“ミサイル性”こそが、彼のスピード感あふれるハイスパット・レスリングを表現する大きな要因となっていたように思えます。
ひねりを加えたバックドロップ
彼を象徴する技の中で私が一番度肝を抜かれたのが、この『ひねりを加えたバックドロップ』です。
これは動画を見ていただいた方が話は早いのですが、要は相手を後ろに反り投げる際、技の発動を極力速くし、しかも自らの体勢をひねることにより、落下時の受け身を取りづらくしたようなバックドロップでした。
特に相手がヘッドロックをかけてきた際にこのバックドロップが炸裂するのが定番で、その動きはまさにノーモーションの電光石火。
その技の発動スピードと落下時の危険さ、そして衝撃の大きさが視聴者にも十分に伝わり、彼がレスリングのオリンピアンであることを再確認できるような技でした。
私は稲妻のように炸裂するこの技が大好きで、長州を応援する大きな要因にもなった技ですね。
“師匠に弟子が立てつく”という革命
藤波辰巳との“名勝負数え唄”を繰り広げることで下克上を達成し、自身の格を一気に藤波と同等にした長州力。
彼の成り上がり志向は次期エース・藤波と肩を並べるだけでは飽き足らず、次は団体のエースであるアントニオ猪木に向けられることになります。
この構図は“師匠に弟子が立てつく”という形となり、これも今までの日本プロレス界ではありえない対立構造でした。この点でも彼は革命を起こしたことになります。
さらにいうと、アントニオ猪木は彼の師匠でありながら、新日本プロレスの社長です。つまりは団体の最高権力者であり、彼はその最高権力者に牙をむいた、ということにもなりました。
この対立構造は一般社会ではありえない、とても非常識なものであり、プロレスというジャンルがいかに破天荒なものであるかを世間に示したといえるでしょう。
猪木への挑戦をぶち上げた長州力に対し、私はもう

立場をわきまえろ
という不快な気分はありませんでした。痛快に成り上がる彼の生き様にすっかりと魅了され、全力で打倒・猪木を応援したものです。
その入れ込み具合を証明するものとして、この時にはすでに彼の入場曲である『パワーホール』が収録されたカセットテープを入手済みであったことがあげられるでしょうか(笑)。
私が記憶する限り、昭和50年代で彼が猪木にシングルマッチで挑戦した回数は、3回くらいだったと思います。結果的に勝利を得ることはできなかったのですが、そのどれもが名勝負でした。
まさに昇り調子の長州と、老獪なテクニックと経験値でそれを封じ込める猪木。長州が猪木超えを果たせなかったのは残念でしたが、彼の“反骨心”がもたらす痛快なファイトは、私に大きな感動を与えることとなりました。
また、この闘いを通じてアントニオ猪木というレスラーのうまさ、引き出しの多さ、そして懐の深さをあらためて知ることができたと思います。
“独立軍団を作る”という革命
長州は自身の下克上を成す上で、自分同様くすぶっていた他のレスラーたちをスカウトし、団体内部で独立した軍団を結成しました。それが『維新軍団』です。
それまでのプロレスというのは、日本人軍団と外国人軍団が抗争するという対立構造が、その物語を作る基本形でした。
しかし長州は“日本人内での別軍団”を作ることで、日本人同士の軍団抗争という、プロレスにおける新しい対立構造を作り上げたわけです。
これは外国人に頼らなくても、ストーリー次第では十分にファンを満足させる闘いが可能であることを証明し、日本プロレスの新たなる可能性が垣間見られた瞬間でもありました。
実際の話、新日正規軍と維新軍団との対抗戦は面白かったですからね。対戦相手を綱引きで決定するという、伝説の“綱引きマッチ”が行われたのも、この軍団抗争でした。
そうです、『キン肉マン』でも採用された綱引きマッチの元祖がこれだったんですね。
そしてこの維新軍団以降、日本プロレス界では日本人レスラーをいくつかの軍団に分けることが当たり前となりました。現在の新日本プロレスでも、4つくらいの軍団があるはずです。
これらは長州が起こした革命が、令和のプロレスにも脈々と受け継がれている確固たる証拠なんですよね。
そしてその維新軍団は、ある時を境に軍団ごと新日本プロレスから独立して離脱するという、とんでもない結末に至るのです。
長州をエースとし、ライバル団体である全日本プロレスと提携して、その戦場を移すんですね。
長州が下克上を起こす、というストーリーは、おそらくアントニオ猪木が企画してシナリオを書き、長州がその期待に見事に応えた結果だったと思います。
しかしながら、その延長で彼が更なる野心を抱き、独立志向を持つまでに至ろうとは、さすがの猪木も予想外だったでしょうね(苦笑)。
“臆面なく出戻っちゃう”という革命
育ての親である新日本プロレスに対し、後足で砂をかけるように出ていった長州率いる維新軍団。全日本プロレスでも自身のスタイルである“ハイスパット・レスリング”で強烈な革命を起こします。
しかしながら、その3年後には全日本プロレスを離れ、またもや新日本プロレスに舞い戻るという仰天行動を見せます。これには子どもながらに

え!? あれだけ親不孝したくせに、よく戻ってこられたな
と、その臆面もない行動にびっくりさせられたものです。
とはいえ長州は好きなレスラーの座から動いていなかったので、その行動に特に不快感を感じた、ということはなかったのですが、単純に

バツ悪くないのかな?
という心配が先に立ちましたね(苦笑)。
ですので、そんな行動がまかり通ってしまうプロレス界に対し

プロレス界というのは世間一般の常識では推し量れない、特殊な感性がある世界なんだな…
と、業界の特異性を体感する貴重な機会となりました(笑)。
そして古巣に戻った長州は、レスラーだけではなく現場監督としてもそのキャリアを積み重ね、日本マット界における重鎮となったわけです。
おわりに
以上、80年代のプロレス界に革命をもたらした革命戦士・長州力についてでした。
現在の長州は破天荒なTwitterがバズり、千鳥の『相席食堂』における

食ってみな、飛ぶぞ
という珍言により、“おかしな言動のおもしろおじさん”というキャラクターで予想外の晩年ブレイクを果たしています。
これはこれで微笑ましいのですが、やはり現役時代のギラギラした反骨心と、野心あふれる行動力を目の当たりにしてきた私にとっては、彼のマット界における功績を最近の人にももっと知ってほしいな、なんて願望があったりしますね。ではまた。


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