週刊少年ジャンプ論 第二章 第五節

オレ流週刊少年ジャンプ論
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注)この論文は1994年のものです。

第五節 ラブコメ砕く北斗神拳 ~北斗の拳~

 1980年に入っても『ジャンプ』は衰えることなく快走を続ける。1979年(昭和54年)スタートの『キン肉マン』(ゆでたまご)、1980年(昭和55年)の『Dr.スランプ』(鳥山明)の2大ヒット作がその牽引力となる(図13)。

 超人プロレスを舞台に次々と現れる強豪超人と闘ってゆく『キン肉マン』は、仲間超人たちとの友情や、個性的な敵超人との対抗戦、必殺技などが小中学生を中心にウケ、8年間の長期連載となる。

 一方『Dr.スランプ』は、ほのぼのとした絵柄と無邪気なギャグ、可愛らしいキャラクターで女子大生をも巻き込む爆発的人気マンガとなる。

図13 80年代前期の二大牽引力である『キン肉マン』と『Dr.スランプ』

▲「キン肉マン⑬巻」(ゆでたまご)より
▲『ジャンプ』1982年27号「Dr.スランプ」(鳥山明)より

 1981年(昭和56年)に新連載の『キャプテン翼』(高橋陽一)は、今までのいわゆる“スポ根マンガ”とは一線を画し、「ボールは友達」という、くさくも爽やかな名文句で読者を魅了し、爽やかなサッカーマンガとしてヒットする。

 その影響力は小学生を中心に瞬く間に広がり、校庭ではサッカーをする子どもが一気に増加するほどであった。現在のJリーグの選手には、翼に魅せられてサッカーをはじめたという人がかなりいるらしい。

 また、このJリーグブームにのって、今年から再び『キャプテン翼』は連載を開始することになるのである。(図14)。

図14 脱スポ根マンガの先駆け『キャプテン翼』

▲「キャプテン翼⑥巻」(高橋陽一)より

 さて、順調に部数を積み上げてきた『ジャンプ』だが、300万部を超えたところで足踏みをする。ラブコメ路線が定着してきた『サンデー』に部数を食われたのである。

 それは高度経済成長時代が終わりを告げ、新しい社会の波が訪れたように、マンガの世界でもジャンルの方向転換がなされた時期なのである。

 梶原一騎に代表される熱血マンガはなりを潜め、軽い感覚で異性の揺れ動く心のひだを描くマンガが、女子はもちろん、男子にも受け入れられるようになったのである。

 『ジャンプ』はこういったラブコメ路線を敬遠したため、1981、1982年(昭和56、57年)と300万部を下回ることになる。このラブコメ傾向について、西村こう語っている。

 どこの世界でもそうかもしれないが、少年漫画の世界でもご多分にもれず、『少年サンデー』がラブコメで突破口を開き好調と見るや、どの雑誌も同工異曲の作品作りに走る。

 ~中略~

 わたしとしては、どうしても男っぽい漫画でラブコメに引導を渡したかった。

 ~中略~

 少なくとも小中学生をターゲットにする『少年ジャンプ』がラブコメやロリコン紛いの色気で読者を引っぱりたくはなかった

西村繁男「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」:P284、253

 確かに『ジャンプ』がこの時期だしたマンガには、ラブコメの範ちゅうに入るものはほとんどなかった。

 1983年(昭和58年)にラブコメを凌駕するハードアクション劇画が新連載となる。『北斗の拳』(武論尊・原哲夫)である(図15)。

 一子相伝である「北斗神拳」を伝承したケンシロウが、核破壊後の混沌とした世界を舞台に悪を倒し己の宿命に決着をつけるべく闘っていくのである。

 残虐ではあるが、その迫力ある拳法シーンと、ドラマチックなストーリー展開が人気を呼び、「おまえはもう死んでいる」という名ゼリフは日本中に浸透していった。

 このケンシロウ人気で発行部数は再び上昇し、1984年(昭和59年)には403万部を記録した。

図15 ラブコメを打ち砕いた「北斗神拳」

▲「北斗の拳①巻」(武論尊・原哲夫)より

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