週刊少年ジャンプ論 第二章 第三節

オレ流週刊少年ジャンプ論
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注)この論文は1994年のものです。

第三節 100万部への推進力 ~男一匹ガキ大将・ハレンチ学園~

 『くじら大吾』(梅本さちお)『父の魂』(貝塚ひろし)を連載陣にし、あとは新人を起用した『ジャンプ』創刊号の発行部数は10万5千部であった。同年同月の各先輩誌の発行部数は(表10)の通りである。トップを走る『マガジン』のわずか8分の1でしかなかった。

表10 『ジャンプ』創刊時の他雑誌の部数

雑誌名

部 数

マガジン 84万4千部
サンデー 69万1千部
キング 42万7千部
ジャンプ 10万5千部

▲飛鳥新社「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」(西村繁男)より作成

 しかし強気に部数を設定していき、暮れの新年号では2倍以上の24万部を発行することになった。売上率も徐々に上昇し、まずは順調な出足であったといえよう。

 創刊11号では、早くも期待していた新人パワーがその名乗りをあげ、『ジャンプ』の推進力となる。本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』、永井豪『ハレンチ学園』の同時新連載である。

 『男一匹ガキ大将』(図9)は、小さな漁村に母一人子一人で暮らす中学一の暴れん坊・戸川万吉が、近隣番長連中を倒して子分にし、その勢力を大きくしていくというもので、迫力あるケンカシーンに既存のマンガには見られない新鮮さがあった。

 その支持者は子どもよりも、当時ブルーカラーと呼ばれた肉体労働作業員に好まれた。貧乏臭いが、上昇志向の強さを感じさせる絵柄、ストーリー構成が自分たちの環境と重なって感じられたのであろう。

 “スカートまくり”が学校で流行になり、話題になった『ハレンチ学園』(同図9)は、男子生徒をしごく一方、女子生徒にめっぽうあまく、スケベな行動をとる教師ヒゲゴジラを、主人公の山岸八十八と、グラマーなヒロイン柳生十兵衛が退治するというハチャメチャな学園ギャグマンガであった。

 当時としては過激なその性表現と、聖職である教師を茶化したキャラクターは、当然教育委員会やPTAからの総スカンをくらった。

 ある地域では『ジャンプ』の不買運動まで起こったが、この騒動がある意味雑誌の宣伝にもなり、読者の支持は減ることなく『ジャンプ』の部数は上昇していった。

 隔週刊であった『ジャンプ』は、1964年(昭和44年)の夏休みを期に週刊化月間を実行した。今まで人気のあったマンガをまとめて増刊としたものを間の週に発行するものであったが、毎週書店に『ジャンプ』が並ぶことには代わりはなく、念願の週刊誌形態はできあがったのである。

 そして1970年(昭和45年)の年末最終号では、待望の100万部の大台にのったのである。

図9 100万部への推進力となった『男一匹ガキ大将』(左)と『ハレンチ学園』(右)

▲(本宮ひろ志、永井豪)『ジャンプ』1988年13号より

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