前回は世界名作劇場の中でも個人的に最も印象深かった、『トム・ソーヤーの冒険』の魅力と思い出について書きました。
そして40年ぶりにアニメを視聴し直し、得た結論が

ちびっ子全員に観てもらいたい、いや観せるべき作品である!
というものです。
ちょっと大げさですが(笑)、それくらいの価値がある作品だと、あらためて感じてしまったんですね。
というのも、この作品には
と再確認させられたからなんですよ。
ではなぜそう感じたのか、一つずつ考察していきたいと思います。
好奇心と探求心
この物語は、トムの強すぎる好奇心と、探求心から成り立っていると言っても過言ではありません。
机上の勉強にはまるで価値を見出さない彼ですが、こと実地における未経験事項に関しての興味が尋常ではなく、その欲望を達成するための行動力も半端ではありません。
彼の好奇心によって劇中でもたらされた事件には
- 蒸気船に忍び込む
- 家出をして中洲の無人島で過ごす
- 気球に勝手に乗る
- 殺人犯が埋めた金貨を掘り起こす
などがあり、なかなかに破天荒です(笑)。
そしてその行動力に対してちびっ子が憧れを持つことで、

よし、ボクもアレをやってみよう!
という能動的行動を刺激すること請け合いなわけです(笑)。

このように、“子どもに自発的な行動を促すスイッチ”という役割がこの作品にはあり、その点でとても優れた影響力を持つ作品であると思います。
ただあそこまで子どもに破天荒な行動をされると、親としては気が休まる暇がないので、

ほどほどに開花してほしい
というのが正直なところでしょう(苦笑)。
工夫とソリューション
トムはいたずら好きの、大人からすると手のかかるやんちゃ坊主なのですが、その悪知恵は時に効果の高い工夫となったり、問題を解決するためのソリューションとなったりします。
例えば彼は、母親代わりの伯母にペンキ塗りを命ぜられたときは
- とにかく楽しそうに塗る
- あまりに楽しそうなので、近くを通った友人が興味を抱く
- まんまと友人にやらせる
- 我も我もと志願者が集まる
というソリューションで、限りなく自身の労力をかけずに成果物を仕上げるという、見事な結果を残しています。


しかもペンキ塗りの志願者からは

オレの宝物をやるからやらせてくれ!
と言わせるほどの心理状態にまでもっていっています(笑)。
これは悪知恵の範疇ともいえるのですが、考えようによっては
という高度な心理操作であり、現代のマーケティングにおいてもみられる手法であることに気づかされます。
つまり彼は

知恵を働かせれば、逆境もクリアできるんだよ
という教訓をちびっ子にプレゼンしてくれていたわけで、それは彼らの深層心理に少なからず引っかかるのではないかと思われます。
そしてそれにより、工夫と知恵で物事を乗り切るというベースがもし育つならば、それはちびっ子にとってとても有益なことだと言えるでしょう。
…まあ工夫よりもペテン的な要素のみ育って、詐欺師まがいの結果に結びつく可能性もありますけどね(苦笑)。
秘密基地とものづくり
作品中には、トムの親友で宿無しのハックの寝床を作る話があります。これがこの作品のランドマークとも言うべき“ツリーハウス”なんですね。
世の中には自然を利用したテーマパークやキャンプ場、そしてアスレチック場がたくさんありますが、そこでありがちなのがこの“ツリーハウス”です。

これらの企画はすべてこの『トム・ソーヤーの冒険』からインスパイアされたのではないかと、個人的にはにらんでいるんですよね。
おそらく企画立案者は幼少期に“ハックの寝床”たるこのツリーハウスに魅せられた一人なのではないかと(笑)。それくらいあのツリーハウスはちびっ子にとって魅力的でした。

それは家というものは地面の上に建てられるべきだという常識を覆した上に、森の中に隠されているという秘密基地感がそうさせているのだと思います。
そして子どもであるトムとハックが、自分たちの力でそれを作り上げようとする胸熱い展開に、ちびっ子は酔いしれるわけです。
ですので、そんな彼ら二人の行動力に触発されて

ボクも何か作ってみたい!
と、ものづくりのスイッチが入ったちびっ子もいたのではないでしょうか。
そして彼らはツリーハウス以外にも、川を渡るためのいかだを作ったりしており、その姿は

必要な物はある程度自分で作れるよ
ということを、ちびっ子に教えてくれているんですよね。
ガールフレンドと男気
トムは転校してきたベッキーという女の子に一目ぼれし、すぐにアタックを開始してガールフレンドにしています。
このあたりはさすがの行動力といいますか、恋愛というフィールドにおいても例外なくそれが発揮されている様に感心させられます(苦笑)。
そして最終的にトムはベッキーを自分にベタぼれさせるという、恋愛における逆転現象(笑)を確立しています。

ですので、この作品では

女の子に対してどのような態度や男気を見せればそうなり得るのか
ということをちびっ子、とくに男子に教えてくれています。
とはいえさすがにこれに関しては、マネをしようにもマネをしづらいものがあったと思うので、彼の行動力を見て同じように実践をした男子は少なかったかもしれません。日米の文化の違いもありますしね(笑)。
ただこれによって世のちびっ子男子が、となりの席のあの娘に気持ち優しく接するようになるのであれば、この作品の教育的価値は高いのではないのか、と思います(笑)。
しかしながらトムくらい女性に積極的すぎると、将来とんでもないプレイボーイに成長してしまうという懸念もあるので、ひょっとしたらこれは諸刃の剣だったのかもしれません(苦笑)。
差別と格差と友情
この物語は1840年あたりのアメリカを舞台にしているので、作中にはまだ奴隷制度が色濃く残っています。
トムの家にもジムという男性の奴隷がおり、彼の家の雑用を一手に任されています。
ただ彼の場合はトムや他の家族とも良好な関係を築いており、作中では“奴隷”というよりは“使用人”というニュアンスで描かれています。

私は不勉強で、当時の奴隷が実際にどのような扱いを受けていたのかまでは詳しく知りません。
ですのでトムの家族とジムの関係性の表現が、児童向けアニメだからマイルドな表現になったのか、それとも実際にこのような奴隷も存在したのか、よくわからないというのが実情です。
ただ“奴隷”という制度や存在を知らなかったちびっ子が、過去にこのような人種差別の歴史があったことを知る、初めての機会であったことは間違いないと思われます。
同様に、トムの親友であるハックはホームレスで、普通の子どもだったら受けるべき学校教育を受けていません。

それだけに、そのステイタスをトムの伯母からは露骨に嫌悪され、

あの宿無しとは付き合うな
という差別発言を、トムに対してよく口にしている姿が描写されています。
つまりこの作品では、その物語内に
- 奴隷制度という人種差別
- 家庭環境による格差差別
といった、差別と格差に対する問題提起を含ませているといえます。
これらはおそらく原作者であるマーク・トウェインからの

生まれや育ち、環境で人を差別するのは愚かである
というメッセージだと思われます。
そしてそれに対する彼、もしくはアニメの制作陣からの答えが、トムの家族とジムとの良好な関係の描写であったり、トムとハックの人間性のみで惹かれ合う関係性だと思うのです。
そのような描写の中では、トムがジムを奴隷扱いしたり、蔑む言動は当然皆無ですし、それどころかハックのツリーハウスづくりでは、DIYにおいてジムの手助けをおおいに受けています。
また、ジムの友人の奴隷が厳しい雇用主から逃れて来たときは、彼をかくまい、ジムと一緒に彼を奴隷制度のない州へ逃がす手助けまでしています。
ハックに関しては、ホームレス、貧乏、無学という格差をまったく気にすることなく、逆に彼のサバイバビリティや、規則や学校に縛られない自由な生き方をリスペクトしており、また彼の純粋で懐深い人間性を好んで一番の親友となっています。
それはトムの冒険がハックというベストパートナーありきで成立している点がそれを証明しており、その絆がとても強いことを表現しています。

このように、ジムにしろハックにしろ、差別や格差という問題をまるで気にすることなく、トムが彼らと友情を育んでいる描写は、ちびっ子にとって

生まれや育ち、環境で人を差別するのは愚かである
というメッセージを、直感的に感じとる機会になっていたと思います。
児童虐待とネグレクト
ハックが“宿無し”という境遇になったのは、大酒飲みで勤労意欲がなく、さらには暴力をふるう父親から逃れるためです。
それは今でいう児童虐待であり、子育てを放棄している様は完全にネグレクトだといえるでしょう。

つまりこの作品は、現代でも取り沙汰されている社会問題を、舞台背景の基軸に置いているんですよね。
このように書くとかなり深刻な環境でハックは生活を送っていることになるのですが、作品中の彼はその環境を逆手に取り
- 自由
- 気まま
- 束縛されない
という、ある意味原始的で人間らしい生活を送っているというプラス面を前面に出して描写されています。
さらにはハックが元来持つ純粋さ、素直さ、陽気さという人間性が相まって、そこまで悲壮感を感じさせません。
これらの表現は、やはり児童向けのテレビアニメという立場がそうさせたのではないかと思われます。
とはいえ、それでも作中ではハックが生きるために農作物を盗んだり、彼の父親がふらりと街に戻ってきた際には、捕まらないようにそこから逃げる描写があります。
そんな彼を見ることで、多くのちびっ子は

そんな環境の子どももいるんだ
という現実を、漠然としながらも感じるきっかけになったのではないかと思います。
罪と罰
悪いことをすれば怒られるし、下手をするとお仕置きをくらうというのは、全国のちびっ子が幼少期から経験することだと思います。
この点においてトムはスペシャリストであり(笑)、先生に尻を鞭で叩かれるという描写が頻出します。
これが体罰を肯定するとか、助長するという論点は置いておいて、この作品が

ルール違反をすれば報いを受けるんだよ
という、共同体で生活するための社会性や規律性を学ぶという役割は果たしていたと言えるでしょう。

また、この作品では日常的な“罪と罰”を描く以外にも、深刻な罪、つまり犯罪についても描写しています。
それはこの作品最大の悪役である、インジャン・ジョーが犯す殺人です。しかしこの凶行については、酩酊して前後不覚でその場にいたマフに犯行を擦り付けることで、インジャン・ジョーは罪逃れをしていました。
そして冤罪で投獄されたマフに対する罰として、この作品では“縛り首”というフレーズが出てきます。ここで鞭打ちとはレベルの違う、恐ろしい罰の存在が描写されるんですね。

さらに、犯罪者を裁く仕組みとして“裁判”が登場します。
これは子どものいたずらに対し、鞭を打つことで裁くというという仕組みが、大人の世界ではより高度な社会システムとして確立されていることを教えてくれます。
と言っても、これを観てそのシステムを理解できるちびっ子は皆無だと思われます(笑)。
ですので、劇中で子どもたちが“裁判ごっこ”をしているシーンが挿入され、そこでは

小鳥を殺した嫌疑をかけられた猫をどう断罪するのか
という例で、トムを交えた子ども同士があれこれと話し合うことで、裁判の仕組みのチュートリアル的役割を果たしています。

そこでも判事役の子どもによる

この猫に死刑を言い渡す
というセリフがあり、

重大なルール違反については自身の命で償う
という厳しい社会ルールが存在することを、うっすらと認識することになるのです。
保身と良心と勇気
そんなインジャン・ジョーの凶行と、罪の擦り付けの一部始終を偶然見てしまったトムとハックは、数日の間悩まされます。
本当のことを話さないと、冤罪のマフが絞首刑になってしまう可能性があるし、だからといって事実を正直に告発すれば、恐ろしいインジャンの報復(=殺される)があるかもしれないからです。
つまり彼らは“保身”と“良心”との間で気持ちが激しく揺さぶられることで、神経を消耗するほどの悩みを経験するわけです。

彼らのこの精神状態については、ちびっ子でもなんとなく理解ができたと思われます。というのも、この状況は突き詰めれば

隠し事をせず正直に話しなさい
という、親からは何度も教え込まれた状況と同じだからです。
レベルは違えど、ちびっ子にも必ず自分にとって不利益となる隠し事があるはずです。そんな自身の状況と、トムやハックの状況を重ね合わせることは案外と容易なのではないかと思います。
そんな苦しい精神状態の中で、とうとうトムの良心は彼の内の保身を打ち負かし、インジャンの告発を決意します。
そして彼は裁判で堂々と

殺人を犯したのはインジャン・ジョーですっ!!
と、勇気ある証言をするのです。

このように、凶悪犯の眼前で、しかも報復の可能性がある危険を冒した行動は、相当に勇気のある行動だったと言わざるを得ません。
しかしその勇気によって冤罪だったマフの嫌疑は晴れ、彼は涙を流してトムに感謝するのです。
そしてこのトムの勇者的行為は、

正直であることは勇気でもある
という教訓を、大きなインパクトと共にちびっ子に与えたのではないかと思います。
自由と束縛
トムとハックは最終的に1万枚以上の金貨を掘り当て、それを半分ずつ分け合うことで大金持ちになります。
しかし子どもなので財産の管理をする保護者(後見人)が必要であり、特にハックはある裕福な老未亡人の養子になることで、その問題を解決します。
しかしそれはこれまでの彼の自由気ままな生活の終焉を意味しており、他の子どもと同様に、あれほど嫌がっていた学校に通い、規則正しい生活を強いられることになります。

つまり彼は財宝を手にした代わりに自由を失うという、なんともいえないトレードオフを味わうことになったのです。
よく“お金で自由は買える”といいますが、彼の場合は“お金で束縛を買ってしまった”という感じでしょうか(苦笑)。
そんな感じだったので、劇中においてはハックが

こんなんだったら、オレの金貨は全部トムにやる
という、財産放棄と引き換えに自由を求める発言までしており、なかなか考えされられます。
そしてこのエピソードは、

お金を得ることが必ずしも幸せとは限らない
という事例があることや

価値観は人によって違う
という考え方の多様性を、ちびっ子に教える機会になったのではないかと思います。
おわりに
いかかでしたでしょうか。以上のように、この作品にはちびっ子が学ぶべき教訓が盛り沢山であり、冒頭で私が口にした

ちびっ子全員に観てもらいたい、いや観せるべき作品である!
という極論的な意見に共感していただけたのではないでしょうか(笑)。
もし共感していただけなかったとしても、ジュブナイルストーリーとして大変よくできた作品となっていますので、『スタンド・バイ・ミー』や『グーニーズ』等が好きな方でしたら、十分に楽しめる作品だと思います。
というか、スティーヴン・キングはこの『トム・ソーヤーの冒険』を土台にして『スタンド・バイ・ミー』を執筆したのではないのかな、なんて個人的には思っています。
ありがたいことに、現在この作品はYouTubeにて無料で視聴することができます。夏休みの最後に、お子様と一緒に童心に帰るというのも一興ですよ。ではまた。


コメント
こんばんは。懐かしいですね。
当時私がこれを見て思ったのが、これの少し前にあった『ハックルベルィの冒険』の主人公をやってたハックを脇役にしてまで主人公となったトムソーヤってすごいな~って事でした。
まあ、ハックのキャラデザも違うし、あくまで一種のスターシステム的なもんやったんかも知れませんが。
それと、本筋とは全く関係ありませんが、歌はやっぱり大杉久美子か堀江美都子の方が良かったですね。w
タカPさん、こんにちは。
ハックのアニメ、あったんですね。知らなかったです。今ググったのですが、たしかにキャラデザ全然違う(苦笑)…でもこっちも観てみたいですねえ。
貴重な情報、ありがとうございます!
私も約10年前に東京ローカルのMXで再放送していたので久々に鑑賞し、やっぱり名作だったと再認識させられましたね
『世界名作劇場』は大抵、数年間以上の物語が多い中、本作はわすかひと夏位のごく短いけれど濃密な数ヶ月というのは斬新な作品でもあったりしますね
上に書いてあった『ハックルベリィの冒険』は当時好きだったのを覚えておりますが、紙芝居とソノシートのレコード付きの書籍を持っていたのをはっきり覚えてはいるものの、父がレコードプレーヤーを処分した時に、色々とレコードも捨ててしまい、どさくさでこちらも今は無くなっています
総集編以外は滅多に再放送されない(もしかしたら、全話現存していない可能性も?)そうですが、それだけに今となっては相当貴重だったかも…
概要を読んだら、こちらは主人公のハックを野沢雅子さんが演じた様ですね、トムもハックも総なめであります…
ブースカさん、こんにちは。
そうでした、この物語は夏休み前後の極めて短い時間が舞台なんですよね。たしかに濃厚です。トムは一生この夏を忘れられないでしょうね。
ハックの冒険もアニメ化されていたのは、なんとなく知っていました。たしかに再放送してほしいですね! でもハックも野沢雅子さんだったとは…たしかに総なめですね~。
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