週刊少年ジャンプ論 第三章 第三節

オレ流週刊少年ジャンプ論
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注)この論文は1994年のものです。

第三節 厳しい競争 ~その問題点~

 いざ『ジャンプ』誌上に作品を連載したとなると、次に待っているのはシビアな競争原理である。本に綴じてある読者アンケートで上から下まで順位をだし、人気のないものはどんどんカットされる。これはベテランも新人も全く関係はない。

 連載5回目までに読者の支持率が上昇カーブを描いていれば連載は続行になるが、その条件を満たさなければ10話打ち切り終了。いくら10話で切られてもつじつまが合うような話作りをしているとはいえ、そう簡単に描きたいものを10話にまとめられるわけがない。

 私は今までにずいぶんと尻切れトンボな作品を見てきた。しかしこの人気重視は雑誌の面白さを保つための『ジャンプ』の固い編集方針であった。

 だが打ち切りの恐怖に尻を叩かれるマンガ家には、かなり厳しいプレッシャーを与えているといえる。この点について『北斗の拳』の原作者である武論尊はこう語る。

 ジャンプで仕事をするのは、他誌と比べてものすごいエネルギーが要るんです。人気があればあったで、全然気が抜けないしね。編集者たちは個性的だけど、『とにかく当てる。趣味じゃねえんだ』という点だけは徹底的に共通してて、実に激しい。その連中がそれぞれ抱えている漫画家の中から、何がいつ飛び出すかっていう強迫観念が常にあるんだよ。よほどマイペースでやれる資質と条件を備えた人でないと、あのプレッシャーは辛いですね。

文藝春秋「マルコポーロ」1993年5月号;P62

 デビューしたての新人は、とくに泣きをみることが多い。表11はここ5年間の新人デビュー作品と、そのマンガが1年以上連載されたかどうかを調べたものである。

表11 最近5年間の新人マンガとその継続状況

タイトル(作者名)

一年以上継続

合計

1989ジ・エッジ(長沢克泰)

×

6
サイボーグじいちゃんG(土方茂)

×

てんで性悪キューピッド(冨樫義博)

×

カメレオンジェイル(井上雄彦)

×

ドラゴンクエスト-ダイの大冒険-

オートマチックレディー(のむら剛)

×

1990酒呑☆ドージ(梅澤春人)

×

4
GPボーイ(赤井邦彦・鬼窪浩久)×
珍遊記(漫☆画太郎)
メタルフィニッシュ(宮崎まさる・鶴岡伸寿)×
1991アウターゾーン(光原伸)×5
タイムウォーカー零(飛鷹ゆうき)×
天外君の華麗なる悩み(真倉翔)×
天より高く!(浅美裕子)×
天然色男児ブライ(高橋一雄)×
1992モンモンモン(つの丸)4
柳生烈風剣連也(野口賢)×
究極変態仮面(あんど慶周)
サイコプラス(藤崎竜)×
1993ファイアスノーの風(松根英明)×4
原色超人ペイントマン(おおた文彦)×
VICE-ヴァイス-(柳川よしひろ)×
超弩級戦士ジャスティス(山根和俊)×


(年平均)

23タイトル
(4.6)

継続率17.4% 

▲『ジャンプ』1989~1993より作成

 2作目がヒットしたマンガ家はまだいい。だかそんなパターンは稀である。ここで打ち切られたマンガ家と、二節のマンガ家専属制度が大きな問題として絡んでくる。

 知っての通り、『ジャンプ』には専属契約を結ばないとデビューできない。だからといって1年間は必ず作品を掲載してくれるのかというと、そんな保障はどこにもない。

 雑誌の総ページには限りがあるから、マンガ家はそのスペースに潜り込もうとして次回作を死に物狂いで描く。しかしその作品が編集部で認められなければ、描き直しかボツになる。

 もし認められたとしても、控え原稿になり掲載されなければ、原稿料は支払われない。では他誌に描こうかと思っても、専属契約を交わしているのでそれもできない。

 それは飼い殺し同然であり、一方的にマンガ家不利な環境ができているのである。つまり使い捨ての考え方なのである。捨てられて消息がわからないマンガ家など山ほどいる。

 人気重視のもう1つの問題点は、打ち切りとは逆の、「打ち切らせてくれない」エンドレス方針である。雑誌を代表する作品になると、たとえその作者が描きたいことは描き尽したとしても、連載続行を強要されるのである(図22)。

図22 ジャンプ特有の「人気マンガ“エンドレス”方針」

①ドラゴンボール

▲『ドラゴンボール⑰巻』(鳥山明)より

 連載終了をにおわせる発言をしているが、この後数年間連載は続行された。

②北斗の拳

▲『北斗の拳⑯巻』(武論尊・原哲夫)より

 宿敵ラオウが死ぬことにより、一つの結末をむかえる(左)が、次週では新展開となり、物語は続行される(右)。

 『北斗の拳』は、ラオウが死んだところで終わっているんです。その後ももちろん僕が原作を書いていたんだけど、まるで覚えがない。あれは創作というより営業でしたね。

武論尊、文藝春秋『マルコポーロ』1993年5月号;P62

 俺は今度こそ本当に止めさせてくれとお願いした。だけど駄目なんだ。後の話はガチャガチャになって、だから今でも、『ガキ大将』を読んでくれとは誰にも言えないんだよ。

本宮ひろ志、文藝春秋『マルコポーロ』1993年5月号;P62

 このように、『ジャンプ』ではマンガ家が描きたいことを描く、納得いったところで完結させるという、アーティスティックな考え方はほとんどできない。マンガ家は“売れる作品”をひたすら描かねばならない。『まじかる☆タルるートくん』を連載していた江川達也は、『ジャンプ』マンガの特徴をこう分析している。

 ジャンプの漫画は、作品というよりも商品という感じが色濃くでていると思います。専属契約によるガードの中で、商品価値の低いものは高いものにかえるような方法論にはめて描かされるわけで、悪く言えば管理教育と過保護の下で漫画化がロボット化し、作家性が弱くなっていく危険もありますしね。しかし私企業は利潤の追求が目的なので、売れる方法論をもつジャンプは素晴らしい勝利者であると思います。

江川達也、文藝春秋『マルコポーロ』1993年5月号;P63

 つまり『ジャンプ』では、マンガを“アート(芸術)”として捉えるのではなく、“マーチャンダイズ(商品)”として捉えているのである。そのことが良いか悪いかは別として、こういう方法で“売れる雑誌”になったことは確かなのである。

 『ゴーマニズム宣言』(扶桑社)で有名な小林よしのりのように

極めて愚直な人間がジャンプでは成功するんじゃないかと思う。

小林よしのり、文藝春秋『マルコポーロ』1993年5月号;P63

というかなり厳しい批判もあるが、読者は知る由もない。好きなマンガはできるだけ長く読みたいのが心情である。

 だが、売れることだけを追求するために、すべてのマンガが無個性化していったらどうなるのか。こればかりはあと数年たってみないとわからない。はたして“商品マンガ”は吉とでるのか、凶とでるのか。

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