『ウルティマ』と並び、パソコンRPGの元祖といわれている作品のファミコン版です。
あの堀井雄二もハマったという有名なタイトルであったことと、ちょうど『女神転生』をクリアしたので、次にチャレンジする3DRPGということでプレイしました。
最初の感想は、とっつきにくい、でしたね。城、酒場、商店、寺院、宿屋といった設備が白いフレームと文字だけで表現されているのには面喰いました。
今まで経験してきたソフトはイメージしやすいグラフィックスが伴っていたので、スムーズに感情移入できていたのですが、『ウィザードリィ』は無機質な画面が突然現れるだけで、何をしてよいのかよくわかりませんでしたね。
3Dダンジョン自体は『ディープダンジョン』や『女神転生』で慣れていたので、戸惑うことはありませんでした。
このタイトルは3D表示を白黒のワイヤーフレームと、レンガ模様のグラフィックスの2種のモードから選ぶことができるのですが、ワイヤーフレームは上述の施設と同様、感情移入がしづらくてダメでしたね。
昔からのPCユーザーには

生温い!
と叱られそうですが(苦笑)。

ゲームを進めても、ファミコンからゲームに触れたユーザーにとっては、違和感のある部分が多かったですね。
まず敵とエンカウントしたときに、相手の正体がわからないんですよ。“しょうたいふめいのそんざい”とか“ネズミのようなおとこ”といったように、なんとなく予想はできるんだけど、不明瞭なんです。
だから正体がわかるまでは、確実に有効な一手が選べないというか、手探りで戦うというストレスを与えられます。
また、戦利品として得られる宝箱に、いちいち罠が仕掛けられているんですよ。解除という手間がかかるのですが、それをしないといいアイテムを手に入れることができないので、めんどくさくてもセコセコと行っていましたね(笑)。
また印象的だったのが、ダンジョンでパーティーが全滅した場合、その場所に死体が野ざらしなんですよ。復活させるためには、別パーティーでそこまで行き、死体を回収しなければならないというシビアさ(苦笑)。

なんでキャラクターを20人も作れるのかなぁ? こんなに必要かな?
とプレイ当初は不思議に思っていたのですが、こういう場合の措置でもあったんですね。
しかも寺院で死亡したキャラを復活できない場合もあり、最悪の場合は永遠に復活できないステイタス(ロスト)となるときがあるんですよ。
これは長い時間かけてキャラを育ててきたプレイヤーにとっては地獄です(苦笑)。ゲームに緊張感を生み出すひとつの要素ですよね。
もうひとつシビアだなあと思った現象が、“いしのなかにいる!”という現象です。
これはテレポート等をするときに、誤った行先(座標)を指定し、その先が空間でなく壁だった場合に起こる全滅現象です。
大量メンバーがロスト状態になる可能性があり、とても危険なシステムでした。

このように、いわゆる“洋ゲーの洗礼”といわれるものを、初めてファミコンユーザーが体験したタイトルだったのではないでしょうか。
ドラクエというユーザーフレンドリーなソフトに慣れてしまったユーザーにとっては、かなり歯ごたえがあったというか、クセのつよいゲームだと感じたことでしょう。
しかしひとたびこのクセに慣れると、ズブズブと深みにはまっていきます。
とにかくキャラを育てる、という行為が楽しくて。やればやるほど際限なくキャラが強くなっていくので、元祖やりこみ系といいますか、限界に挑戦したくなるんですよね。
ゲームとしては、ワードナというラスボスがいるんですけど、それを倒すよりは、キャラを成長させまくる方が優先度高かったりして(笑)。

何の目的で地下にもぐっているんだったっけ、ボクたちは?
みたいな(笑)。
そのために“グレーターデーモン増殖討伐”とかよくやりましたね。個人的にはフロストジャイアントもよく狩りました。
経験値は高いし、高価なアイテムは落とすし、グラフィックスはカッコいいし、いいことだらけで(笑)。

そう、このタイトル、モンスターのグラフィックスがカッコいいんですよ。末弥純デザインの洗練されたモンスターを、ファミコンの色数でうまく表現していました。
また、音楽もよくてね。ダンジョン内のBGMがいい感じで不気味なんですよ。危険と隣り合わせの緊張感を、絶妙に演出していましたね。
クリアはできました。『ファイナルファンタジー』とほぼ同時期発売だったので大変でしたが、途中はウィズの方が優先だったですね。勉強の優先度はもっともっと下でしたけど(笑)。


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