ケータイの着信音が嫌いです。

オレ流雑感
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 日々の進化が目覚しいケータイ電話。いろいろ機能が増えて、ものすごいことになっていますよね。松本人志じゃないけど、「なんか必死ですよね、最近のケータイ」ってカンジです。

 まあケータイがパーソナルな情報端末の中心として進化したので、それもいたしかたないんですが、一つ疑問なのは「着信音の意義」なんですよね。

 最近は40和音だ、着うただ、なんていって、その進化はとどまることをしりませんが、これって必要なものなんですかね?

 いや、美しい音色で自分の好きな曲が呼び出し音になる、というのは確かに購買層の心をガッチリつかむ付加価値になると思います。私も実際、いろんな曲をダウンロードしてるし。しかもその曲を40和音で聴いて、にんまりしてるし (苦笑) 。

 でもこういった「着メロ」って、個人の空間ではその素晴らしさを味わうことができるけど、いったん街中とか公共の場にでちゃうと、とたんにわずらわしくなるんですよ。

 例えば私がKinki Kidsの『薄荷キャンディー』を着メロにしたとするじゃないですか。音質も申し分なくて気分いいですよね、電話かかってくると。そうすると今度はその『薄荷キャンディー』を他の人にも聴かせたくなるのが人情ってものじゃないですか。私の着メロ『薄荷キャンディー』ですよって。どう? いい音でしょ? みたいな(笑)。

 それで自慢の『薄荷キャンディー』を携えて、街中へくりだすわけです。そして電車にのっていたら、偶然電話がかかってきて、大音量の『薄荷キャンディー』が車内を駆け巡るわけです。自慢の『薄荷キャンディー』なのに、おそらくまわりの人はこう思いますよね。

うるせえな!! 早くでろ!

 これって哀しくないですか? 着メロがどんなに発達しても、他人にとっては騒がしい雑音でしかないんですよね。

 そう考えるとケータイの着信音って究極の自己満足であって、個人スペース内でしか歓迎されない機能なんです。たとえば家電いえでんとしてケータイを使っているとか、着メロを目覚ましにするとか、そういう使い方ならOKなんだけど、でもケータイってもんは外に持ち出してなんぼじゃないですか。でも外だと着メロの真髄を十分発揮できないというか。なんだろ、この矛盾(苦笑)。

 あとたまにウケ狙いの着メロってあるじゃないですか。『サザエさん』とか『笑点』とかを設定している人。これも街中で鳴ると、「おいおい、サザエさん鳴ってるよ」って心の中で突っ込みはいれるけど、本人が考えてるよりウケは取れないですよね。というか、知り合い以外の人に聴かれたら逆に恥ずかしい。

 以上のことをふまえると、ケータイの着信ってやっぱバイブが一番、という結果に落ち着いちゃうんです、私の中じゃ。それだけに着信音の進化を追求するメーカーって、なんか無駄な努力をしてる気がするんですよね。まあウォークマン的な用途も兼ねるなら、音質の向上もわかるんですけどね。

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