最近のTVゲームが嫌いです。

オレ流雑感
スポンサーリンク

 「嫌い」というよりは、「ついていけなくなった」といったほうが適切かもしれません。ゲームは好きなんですよ、間違いなく。そりゃあガキのころは狂ってやったもんですよ。『ドラクエ』とかね。必死でパスワード写してたもん。

 ファミコン時代はよかったんだよね。ゲームに情熱をかたむけられた。でもスーファミまでかな…。俗に「新世代機」といわれるハードであった「プレステ」「ニンテンドウ64」「セガサターン」あたりから、なーんかモチベーションが落ちてきた。一番の理由は、社会人になって学生時代のようにゲームに時間を割けられなくなったという、物理的なものだと思うのですが、実はそれだけではないんですよね。

 なんかね、めんどくさいんだよね、ゲーム自体が。進化しすぎちゃって。最近とくに「めんどくさいな~」と思うのが、RPGです。

 昔はそれこそキャラになりきって、夢中でレベルアップしたり、マッピングしたり、メモをとったりしていたんですが…例えばあるRPGゲームをはじめたとするじゃないですか。するとだいたい「旅立ちの街」みたいなとこから始まるよね? その「旅立ちの街」のマップが広すぎんのよ。しょっぱなから。

 なんかもう、いきなり人はウジャウジャいるし、街は入り組んでるし、最近は高低差も表現できるから二階・三階もあるし…私はけっこうつぶしたがりなので、すべての人と話さないと気がすまないし、街を隅から隅まで確認しないと気持ちが悪くて。

 なにか重要な情報を見落としたり、隠しアイテムを取り忘れたりするとヤじゃないですか。でもそのためには時間をかけて、隅々まで歩かなきゃならんし、全然物語と関係ないキャラとも逐一話さなくちゃならんし、タンスとか壷とかすべて調べなくちゃならんし…もう「旅立ちの街」を出るだけで、小一時間くらいかかります。さっさと装備整えて冒険したいんですけど、みたいな。

 また最近は3Dが当たり前で、画面がリアルでしょう。リアルすぎて逆に調べる対象がわかりずらいんですよ。「これは宝箱かな?」なーんて思ったら、全然ちがったりして。昔は宝箱とかアイコン化されていてわかり易かったんだけどな。

 そこでこういう「旅立ちの街」はどうでしょう? まずマップはテレビ一画面分におさめる。スクロールはなし。全体が把握しづらいから。町民は何人いてもいいけど、物語に有効なヒントをくれる人と、そうでない人を色分けしてわかり易くする。

 さっさと進みたい人は、ヒントをくれる人とだけ会話。臨場感を楽しみたい人は勝手に他の人とも会話してってカンジで。逆にプレイヤーが街に入ったら、ヒントをくれる人のほうからプレイヤーに寄ってきて、並んでくれるとか。あ、これじゃゲームにならないか。

 あと最近のゲームはCGがすごくて、なんかお腹いっぱい気味です。わかった、わかった、キレイですよ、リアルですよ、ってカンジです。とくにオープニングムービー。正直いらないなあ。 長いんだよあ、アレ。話の所々に入るムービーもいらないかな。効果的なところ厳選でお願いしたいですね、はい。

 このように、私はプレステ以降、こういったゲームの作りについていけなくなってしまいました。メーカーの技術力を押し売りしたような美麗オープニングムービーを見ていると、はたしてこれはゲームなんだろうか? と思っちゃうんだよね。

 しっかしこのグラフィックの進化ってのはある意味罪だと思いますよ。一番の罪悪は、プレイヤーの想像力を働かせなくしたことですかね。昔を思い出してみましょうよ。『ドラクエ』の主人公にしろ、他のキャラにしろ、いい意味で「記号的」でしたよね。まあ、ハードがそこまでの力しかなかったんだからしょうがないんですけど。

 でもその分イメージするのは自由でしたよね。「主人公ってこんなカッコでこんな顔」みたいな。百人プレイヤーがいたら、百人の主人公がいた。これはすべてグラフィックがお粗末だったおかげです。でもいまはポリゴン・テクスチャーバリバリでしょう? キャライメージがただの一つしか許されない。百人が百人とも同じ。ちょっとつまらないですよね。

 このように、グラフィックがリアルさを追求していけばいくほど、反比例のように私はゲームから冷めていく感じになってきています…といいつつ好きなんだよ、ゲーム。ホントは。でもついていけなくなってるこの現実。トホホ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました