“最大多数の最大幸福”と“富の再分配”
前回、社会全体が自動化・効率化・AI化に突き進む中で、そのあおりを食って職を失う労働者が大量に生み出され、本格的に格差社会が訪れるのではないか、ということを書きました。
そのような世の中に変わったときに重要なのが、効果的な“富の再分配”だと思われます。
所得の格差が広がったとしても、それとセットで効果的な再分配システムが確立されれば、“最大多数の最大幸福”は保てるのではないでしょうか。
ここで私がいう“最大多数の最大幸福”とは
衣・食・住・教育・医療という面において、生きていく上で最低限度の生活を送れることを幸福エリアの入り口、つまり幸福の最下限と定義し、国民全員がその最下限は保障される社会の構築
を意味することとお考えください。あくまで物質および学術的な面を中心とした満足度を幸福の尺度としています。
もちろんこれらが充足されることだけが幸福ではないことも理解しています。幸福の定義は人それぞれですから。
ただどこかで定義をしないと話が進まないので、今回はそれ以外の幸福、主に精神的な幸福についてはちょっと横に置いときます。
以降の考察は、そんな考え方を是とした個人的な思いつき、および雑感であることを理解して読んでいただけるとありがたいです。
“富の再分配”とは何か
富の再分配を私なりに定義するならば
企業や個人から徴収した税収や社会保険料により、低所得者でも最低限度の社会生活が送れる仕組みを形成し維持すること
となるでしょうか。とうの昔から実践されていることなので、目新しいことは何もありませんが(苦笑)。
ただし、徴収率の設定や徴収のルール、財源の使い方によっては、この仕組みが“最大多数の最大幸福”につながらない場合も多々あるので、なかなか難しいところだと思います。
もし企業が利益の最大化を目指すために人件費のリストラをし、所得格差が大きく広がった社会となった場合、富の再分配というシステムは、高利益を得た企業、そして高所得者に多くを頼ることになります。
持つ者がその財源を用意せざるを得ないからです。

もちろん政府が“生きていく上で最低限度の生活を国民に保障することを維持する場合は”、ですけどね。

社会は弱肉強食だよ
を是とするならば、そこはどうでもいいかもしれません。ちょっと悲しい考え方ですが。
なぜ“富の再分配”が必要なのか
ではなぜ“富の再分配”が必要なのかと考えると、私は以下の点を挙げたいと思います。
- 一握りの富裕層だけで、消費社会は維持できないから
- 世の中の秩序と治安が乱れるから
- 学力水準が下がり、有能な人材が減るから
- 起業を中心としたチャレンジがしづらくなるから
- できるだけ多くの人が幸せだと嬉しいから
ひとつずつ見ていきましょう。
1.一握りの富裕層だけで、消費社会は維持できないから
現在の資本主義社会が、消費行為ありきで成り立っていることを考えると、所得の極端な格差・偏りは、この大原則を維持できない可能性があります。
仮に4人中3人が中所得者で、1人が高所得者だとします。いわゆる中流社会です。
この4人が全員『Nintendo Switch』(約33,000円)への物欲があったとしたら、

やっぱ買っちゃったよ~、エヘヘ。

君も? オレも買っちゃったよ!

そりゃ買うでしょ。
でも今月は少し生活費切り詰めなきゃな~(苦笑)。

私は関係筋を使って、発売日よりも1週間早く購入したけどね。ワハハハ。
というように、ディティールは多少異なりますが(笑)、メーカーである任天堂には結果として33,000円 × 4体 = 13万2,000円の売上が立つわけです。
今度は4人中3人が低所得者で、1人が超高所得者だとします。いわゆる格差社会です。その場合は

懐がきびしいから買うのは無理だよ~、エヘヘ。

君も? たしかにちょっと手が出せないよね…

ムリムリ。生活費をどうするかで精一杯なのに(苦笑)。

私は関係筋を使って、発売日よりも1週間早く購入したけどね。ワハハハ。
と、一人だけセリフが一文字たりとも変化していませんが(笑)、メーカーである任天堂にはたったの33,000円しか売上が立たないわけです。
このように格差が広がった社会では、全体的な消費活動が停滞し、世の中にお金が回らず、景気は悪くなります。
消費者が少なくなれば、人的リストラをして利益を上げるつもりだった企業の売上も下がり、結局は経営が悪化します。
企業としては利益追求のためにこぞって自動化、効率化を推し進めたのに、巡り巡って自分の首を絞めるという、なんとも皮肉な結果となるわけです。
これを先ほどの例でいうと

利益追求のためにNintendo Switchの製造ラインを完全自動・無人化し、作業人員のリストラをしたのに、逆に売上が下がっとるやないかい!
という感じになるでしょうか。任天堂さん、架空の話でいじってスミマセン。
つまり行き過ぎた自動化・効率化による人的リストラでもたらされる格差社会は、消費社会を維持できなくなる恐れがあります。
それを防ぐためには消費に回されない偏った富を、消費されるように再分配する必要があると思うのです。
2.世の中の秩序と治安が乱れるから
貧困層が増えると、世の秩序は確実に乱れます。窃盗、強盗などが増えることは、歴史が証明していますよね。
許されることではありませんが、生きるためにはそれしか選択肢がなかったという心境は、理解できないわけではありません。
しかしどんな理由があろうとも、そんな被害を受けるのはゴメンです。
それだけに治安を気にしながら生活をするのと、治安を気にしなくても生活できるのでは、雲泥の差があります。

どうだのび太、カッコいいF1のラジコンだぞ! いいだろう!

おっ、スネ夫。いい物持ってるじゃねえか…ちょっと貸してくれよ♪

え…ちゃ、ちゃんと返してくれるんだろうね……?

人聞きの悪いことを言うな! 永久に借りておくだけだぞ!

……………
こんなジャイアニズムが日常的にまかり通るような世の中は、けして健全ではありません(苦笑)。
ジャイアニズムが“足らざるゆえの現象”と考えるならば、“足る者”がそれを分配し、治安のよい世の中にした方が、足る者にとってもメリットは大きいはずです。

どうだのび太、カッコいいF1のラジコンだぞ! いいだろう!

奇遇だな、オレも持ってるぜ。父ちゃんが買ってくれたんだ♪

秩序と治安の維持!
そうなれば当然足らざる者も、やりたくもない罪を犯す必要がなくなり、安心・安全に世の中が回ります。そのためにも富の再分配が必要なわけです。
3.学力水準が下がり、有能な人材が減るから
所得格差が広がると、おのずと学力水準にも格差が生まれます。
高所得世帯(≒高い教育費)の子どもほど学力水準が高く、学歴が高い人(≒高い学力水準)ほど、高所得な社会人になる率が高いことは、統計でわかっています。


つまり高所得世帯の子どもほど学力水準は上がっていき、低所得世帯の子どもほど学力水準は下がっていくことになります。
そしてそれぞれが社会人になると、前述の理由でまた所得格差が生まれ、今度は孫の世代で学力水準の格差が生まれるわけです。
このようなスパイラルが続くと、子どもたちの学力水準は両極化することになります。
そして低所得世帯が増えていけばいくほど、結果的には国全体の学力水準の低下を招くわけです。

学力水準の低下は、優秀な人材を生み出す母集団が縮小することを意味しており、イノベーションが起きづらい停滞した社会を生み出す要因となります。
これは国益を大きく損なう要因となり、経済成長率が低下するおそれがあります。
そして経済成長率が低い国家は、さらなる貧困層を生み出す可能性が高くなるわけです。
これらを阻止するためには、やはり適切な富の再分配を行い、それを教育水準の底上げ、格差の少ない教育機会の提供に充てるべきだと思うのです。
4.起業を中心としたチャレンジがしづらくなるから
起業は国益を生むための第一歩です。社会貢献度が高く、イノベーティブな製品、サービスを生み出す企業は、消費者を潤し社会をより良くする可能性が高いからです。
しかし起業を失敗したときに、再起を図るのが難しいような社会構造、つまりセーフティネットが脆弱な社会構造となっていた場合、起業に躊躇してしまいます。

それは潜在的な起業意欲や願望を断ってしまう要因となり、結果、国益を損なうことに繋がってしまうわけです。
これが富の再分配によって、衣・食・住・教育・医療という、生きていく上で最低限度の生活を保障されるセーフティネットが確立されていたならば、起業意欲がある者はセカンドチャンスを狙いやすいわけです。
それは国益を上げる可能性を高くします。
5.できるだけ多くの人が幸せだと嬉しいから
偽善者、理想主義者と非難されそうですが、やはり可能な限り多くの人が、安心安全に、そして不満少なく生活を送れるのは健全であり、理想的ですよね。
不満が少なければ争いも起きづらいので、より世の中はいい方向に安定します。多くの人が笑顔で生活ができている様は、本能的に嬉しいものですよね。
そう考えると、富を極端に偏らせるのはあまり得策ではない気がしませんか?

とはいえ、富の再分配を行うにしても、いろいろと不都合が生じる場合もあります。
次回はそんな富の再分配に対する反対意見、デメリットなどを考えてみましょう。ではまた。


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