80年代に専門誌を多発させた家庭用ゲーム機
80年代のファミコンブームについて語ってきたこのシリーズですが、今回はファミコン専門誌についての思い出を書いていこうと思います。
ファミコン専門誌の乱立
ファミコンの爆発的ブームにより、それを取り扱った専門誌も多数発刊されました。
当時はネットなどない時代で、新作のプレスリリースというのは専門誌を介して行われることが多く、毎号楽しみにしていたものです。
ファミコン専門誌は80年代半ばから乱立したのですが、私が覚えている限り
- ファミリーコンピュータMagazine
- ファミコン通信
- マル勝ファミコン
- ファミコン必勝本
- ハイスコア
といった専門誌がありました。ちなみに1~4は“4大ファミコン雑誌”と呼称されることがあります。

これらはほとんど隔週発刊だったと思うので、発刊スパンが1週ずれていると、毎週なにやらの専門誌が発売されていたことになります。ですので、毎週のようにファミコンの情報を得ることができました。
発売日は木曜日だか金曜日だかに集中していた記憶があります。ですので、毎週その曜日は楽しみでした。土曜日は早売りのジャンプを購入していたので、ホント週末はパラダイスです(笑)。
ここで私が“毎週のように専門誌を読んでいた”と記載しているので、さぞたくさんの専門誌を購入していたのかと思われたかもしれませんが、ほとんどが立ち読みです(笑)。
というのも、高校の目の前にそれなりに大きな書店があり、休み時間を使って立ち読みし放題だったんですよ。
さらにうちの高校は休講時間は自由行動可だったので、まるまる一時間立ち読みできるときもありました。
そんな幸せな環境に恵まれていたので、毎週のように情報収集ができたんですね。本屋にとっては大迷惑だったと思いますけど(苦笑)。
ではそれぞれの専門誌の雑感を書いていきたいと思います。
ファミコン専門誌雑感
ファミリーコンピュータMagazine
ファミコン専門誌の老舗的な雑誌です。
他の専門誌が左開きの横書きレイアウトだったのに対し、この雑誌だけは右開きの縦書きレイアウトという、和テイスト(笑)を感じさせる構成でした。
まあ当時の週刊誌はほとんど縦書きレイアウトだったんですけどね。その名残でしょう。

この雑誌のメインはなんといっても“ウル技”コーナーで、当時ファミコンのトレンドであった裏技やバグ技を紹介しているコーナーでした。
その内容に応じて“横綱”とか“大関”といったランク分けがされており、自身が持っているソフトだった場合、いそいそと試したことも懐かしい記憶です(笑)。
この“ウル技”コーナーを語るうえで外せないのが、“ウソ技”という仕掛けです。
これは紹介されたウル技の中に、絶対できないウソ技を忍び込ませてクイズにしていた企画です。これはなかなかの企画だったと思います。書かれた指示通りやっても裏技が再現されず、

ムッキーッ!!
となっていたチビッ子も多かったと思います。でもそれもいい思い出ですよね(笑)。
このウソ技で伝説になっているのが『水晶の龍』というソフトに出てくるヒロインと、野球拳ができるというウソ技です。
これが日本全国のムッツリスケベ青少年を刺激しまくり、こぞってファミマガの罠に落ちたという伝説のウソ技です(笑)。

しかもこのウソ技の合成画面がよくできているんだ、また(笑)。
いや、今見れば気づくかもしれませんが、当時は画像補正なんてことは一般化されていなかった時代でしたからね。まったく免疫がなかった。だからみんながこぞって引っかかってしまったんですね(苦笑)。
それだけに私にとってファミマガとは、このウソ技と同義になっている感がありますね。
ファミコン通信
『ファミ通』と名を変えて令和の世でも発刊が続いている、唯一の専門誌です。もはや専門誌の代名詞と化しているところがありますね。個人的には一番好きな専門誌です。

ファミコン通信の特徴は、おバカ企画が多いところです。また、それを行う上で編集者がキャラクターとして誌面上にグイグイ出ていましたよね。
この辺楽屋オチのリスクがあるので賛否はあるかと思うのですが、私は好きでした。すごく楽しそうに見えたので。将来編集者になりたいなあと、うっすらとした憧れを感じたのもいい思い出です(笑)。
今思うに『ゲームセンターCX』のテイストって、ファミコン通信に源流があるのかなあ、なんて感じます。
どちらも製作スタッフが前面に出てきて、メインを張ったりするじゃないですか。舞台素人があえてセンターに出ていく感じというか、それを笑いに変えている点が似ているな、と思いましたね。
あとシュールなマンガも多かったですね。新井清和の『べーしっ君』とか、吉田戦車の『はまり道』とか。他にも桜玉吉のドラクエパロディマンガとか、すごく楽しかったです。
一番好きだったのは、鈴木みそのゲーム業界取材エッセイマンガ『あんたっちゃぶる』ですね。けっこう辛口&毒舌で、ギリギリのネタが多くて面白かったです。手元にまだコミックスがありますよ(笑)。

読者参加のはがきコーナーも多かったですよね。
このあたり、『オールナイトニッポン』的なAⅯラジオっぽさもありました。読者参加型専門誌なところがとっつきやすさを演出していたのかもしれません。ハガキ職人も多かったと思います。
その他貯めるとプレゼントと交換できるガバスシステムなんてのも特徴的でした。ハサミで切り取って保管してたなあ。結局貯まり切らなくて使わなかったけどね~(苦笑)。
その後専門誌としては唯一週刊化を成し遂げ、一人勝ちの状態に持っていったのは大したもんだと思います。
このように、ゲーム好きの私たちに、業界の裏側をチラ見させてくれるとても魅力的な専門誌でした。あ、過去形にしちゃだめか。まだ発刊しているんだから(苦笑)。

マル勝ファミコン
ごめんなさい、あまり誌面において思い出がない専門誌です(汗)。
ただ角川書店が発行していただけあって、本格的なマンガ連載がありました。『魍魎戦記MADARA』なんかが有名ですよね。読んだことないんですけど(苦笑)。

でもコナミからファミコン化もされていて、ゲーム専門誌が生んだオリジナルコンテンツがゲームになるという、逆転的な流れがあって面白かったです。
そんな思い出薄い雑誌だった(失礼)のですが、ひとつ大きな思い出があります。それは大学の時に、マル勝の編集アシスタントのバイト面接に行ったことです。
その当時はもう『マル勝スーパーファミコン』だったかな?
バイト情報誌に“編集アシスタント募集”なんて感じで、角川書店の求人が載っていたんですよ。当時は前述した通り、編集者に興味があったので、ダメ元で履歴書を送ってみました。
結果的には採用されなかったんですけど、“マル勝”というフレーズで私が一番印象深いのがそのイベントでした(笑)。
ファミコン必勝本
4大ファミコン雑誌(ファミリーコンピュータMagazine、ファミコン通信、マル勝ファミコン、ファミコン必勝本)と言われる中では、一番メジャーっぽくなかった専門誌です。
いい意味でマイナーというか、同人誌的な自由さがあった気がします。

カラーページもダントツで多く、たしかオールカラーが売りだったような記憶があります。それでいて一番安かったので、お得感もありましたね。
やっぱりね、カラーでみたいですよ、ファミコンの画面(笑)。
編集者陣では、『ジャンプ放送局』の鈴木みそがいましたね。『ジャンプ放送局』時のキャラクターと同じデザインで誌面に出ていたので、すぐにわかりました。

あれ~? こんなところに鈴木みそがいるよ
と思いましたからね(笑)。
その他『ジャンプ放送局』つながりでは、常連投稿者の一部がここでライターや編集をやり、本格的に業界へ移った方もいるようです。
私は『デジタルデビル物語 女神転生』が大好きなのですが、このタイトルの攻略本に『女神転生Ⅱのすべて』というものがあるんですね。
この著者が成沢大輔というライターで、ファミコン必勝本のライターをされていた方でした。
これが個人的にはどストライクの本で、当時私のバイブルと化していました。成沢大輔氏の『女神転生』に入れ込む熱量がすごくて、読み応え抜群でしたね。
彼ほどこのタイトルのテーマ、独自性、面白さを理解して記事を書いている人はいないのではないかとさえ思います。

私は『デジタルデビル物語 女神転生』で世界の神話に興味を持ったのですが、この本はそれをさらに加速させる影響力がありましたね。
ですので、その後タイトルが『真・女神転生』に変わった後でも、女神転生の攻略本は必ず成沢大輔氏の著書を購入していました。
ちょっとファミコン必勝本とは話がズレてしまいましたが(笑)、そんな思い出があります。

ハイスコア
ややマイナーと思われるファミコン専門誌ですが、ある時期私が定期購入していた雑誌です。というのも、この雑誌は月刊誌だったんですよ。
ですので一番ランニングコストが安くて、お財布に優しかった、というのが購入の大きな理由でした(笑)。

また、私は『飛龍の拳』が大好きだったんですけど、この雑誌は飛龍の拳シリーズの当時の最新作である『飛龍の拳Ⅱ』の情報に力を入れていたんですね。
販売元であるカルチャーブレーンと提携でもしていたのか、かなりページを割いていた記憶があります。マンガも連載していましたからね。そんな事実も、この雑誌を購入していた理由のひとつです。
他にこの雑誌で記憶に残っているのは、この雑誌主体でファミコンソフトを企画・制作していたことです。
『ゾンビハンター』というアクションRPGなんですけど、アイスクリームのプレゼント企画として制作されたんですよね。販売もされたみたいですけど。

アイスクリームの景品にファミコンソフトがつく、しかもオリジナルタイトルというところに、当時のファミコンブームの過熱さが見てとれます。
企画自体とても斬新なのですが、個人的には一雑誌編集部がソフトを作るというのが斬新でした。
というのも、当時の専門誌はソフトを評価する側だったわけじゃないですか。このソフトは面白い、これはクソゲー、みたいな(笑)。
その評価する側がソフトを制作するという逆転の発想ですよね。映画評論家が映画監督になって作品を作るようなものです。でもこれって…諸刃の剣ですよね。
当然業界のライバル誌は、厳しい目でそれを見たはずです。
私はこのタイトルは未プレイなので、その評価ができないのですが、いろいろと聞いた話では賛否両論だったみたいです。評価の声もあれば、う~ん…な声もあったみたです(苦笑)。
もちろんハイスコア誌面では巻頭カラーでガンガンに宣伝しまくりです。当たり前ですが(笑)。
“今までにない革新的ゲームが誕生!”みたいなテイストで押しまくりですよ。宣伝スペースに糸目をつける必要がないのは、雑誌社がソフトを制作販売する強味かもしれません。
それでも私としては、購入するにはちょっと危険だというレーダーが鳴りました(笑)。
でも成り立ちがある意味独特なソフトだったので、コレクターズアイテムとして入手しておけばよかったかな? なんて感じるこの頃です(笑)。
おわりに
以上、80年代に書店を沸かせたファミコン専門誌の思い出でした。
でもホント、生活に楽しみを与えてくれたいい思い出です。時間があれば、平気で1時間は立ち読みできたもんな…超迷惑だけど(笑)。
悔やまれるのは、当時購入した雑誌をすべて捨ててしまったことです。
ジャンプみたいに少し手元に残しておけばよかったと、後悔することしきりです。80年代サブカル愛好者としては必須アイテムだよね~。失敗したなあ。
そして思い出はその8へ続きます。


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