80年代に登場した規格外素人参加型クイズ番組
一世を風靡したクイズ番組
80年代に放送されていたクイズ番組は多々ありますが、そのスケールの大きさとお金の掛け方で図抜けていたのが、
ニューヨークへ行きたいか!
で有名な(笑)『アメリカ横断ウルトラクイズ』です。
そのシステムは、まずジャイアンツのホームグラウンドである後楽園球場に、数千人単位の素人参加者を集めて予選を行います。
その予選参加者は○×クイズで人数を徐々に減らされ、100名だか50名だかに絞られた時点で成田空港の出発ロビーまでこぎつくことができます。
しかし出国前にもふるい落としがあり(笑)、それに勝ち抜いた参加者がその後、グアム、アメリカ本土へと転戦していくんですね。
そしてその土地土地で生き残りクイズ合戦を繰り広げ、最終地点ニューヨークにてクイズ王を決定する、というのが、この壮大クイズ番組の基本システムでした。
これを3週~4週かけた連続物クイズ番組としてオンエアするわけです。
この派手な仕掛けに魅了され、知恵がつき始めてきた小学校高学年~中学生のころに良く観ていましたねえ~(笑)。自分だったら
3問目で脱落だった
とか
後楽園の予選は突破できた
とか、バーチャルな観方をして悦に浸っていたもんです(笑)。絶対いるよね、
もし出場していたら、成田まで行けてたのに~!
なんて感情移入して観てた方々(笑)。
で、実は先日スカパーで再放送をしていたので超久々に観てみたんですね。1983年のやつを。
今回はそれを観てあらためてこの番組について再確認したことを中心に書いてみようかと思います。
再確認:アメリカ横断ウルトラクイズ
あらためて感じるスケールの大きさ
まず感じるのが、やはりそのスケールの大きさですね。
スタートが後楽園球場という時点で当時としては規格外の大きさをアピールしているし、ヘリを使った空撮や球場内に車やバイクを走らせる演出もド派手。
何よりも人を大量に集め、煽るだけ煽り一喜一憂させる一体感やライブ感は、抑圧された日常からお祭り騒ぎの非日常へと、参加者および視聴者を見事に誘導していました。
恒例の出国前のジャンケン大会、グアム到着時の泥んこ○×クイズ。
アメリカ本土におけるその土地の名物を活かした様々なクイズ、そしてこの番組の代名詞ともいうべき敗者に科せられる罰ゲーム。
そのどれもが大掛かりであり、番組製作側が湯水のごとくお金を費やしているのだろうなあという印象を視聴者に与えていました(真偽はわかりかねますが…)。
例えば成田のジャンケン大会だって空港のどこかの一室を借りきって撮影されていたのだろうし、飛行機だって貸切でしょう。
その他舞台となる様々な土地においても、現地のスペシャリスト(例えばテキサスならばロデオチャンピオン、みたいな)を手配して大掛かりなセットを組んだりして番組を盛り上げていました。
これらの企画を観て思ってしまうのが
スタッフの人大変だったろうなあ~
ということです(笑)。
いやホント、これに自分が携わったらどう手配しようか、なんてことを想像しちゃいません?
“搭乗前のジャンケン大会の撮影が充分な取れ高で予定通りに無事終わるかなあ?”とか、“出国手続者の名簿が搭乗直前まで完成しないんだけどJALは対応してくれるのかなあ?”みたいな。
さらには“機内クイズが低得点で、グアムの土を踏めずにトンボ帰りの搭乗者の入国印はどうすればいいのかなあ?”とか、ついついしなくていい心配をしながら観てしまうんですよ(苦笑)。
もちろんリアルタイムで視聴していたときは、そんな心配はしないで純粋に楽しんでいましたけどね(笑)。
仕事をしている身で観ると、こんな感じになってしまいます。
それだけに、こんな大掛かりな企画を計画・遂行した製作者には尊敬のまなざしを送らざるをえないわけで。
この辺の裏話を網羅した本があったらぜひ読んでみたいですね(笑)。
恐るべきコンプライアンスの緩さ
二つ目はコンプライアンスの緩さですね。
参加者に対するアナウンサーの接し方、会話、行動に、今それをやったら始末書ものかな…と思えるものがチラホラ出てきます。
具体的な例を挙げると、参加者側をレポートする徳光アナが、参加女性の頬にキスをするなんて悪ノリ行動も普通に放送されていました(苦笑)。
個人情報の扱いに関しても非常におおらかな空気が流れており、本人が確定する情報を保護するような文化は微塵もありません(笑)。
それどころかテレビに氏名・経歴・出身地が公表されて、
あなたもこれで有名人だね!
みたいな、特典提供の匂いがプンプンしています。
参加する方もそれについては望むところなので利害が一致していた、という下地もあったからなんでしょうけどね。
でも当時はそれくらい
テレビに映ったぞーっ!!
ということが、一般人にとって大きなステイタスとなっていた時代だったのです。
例えそれが“通行人の一人として偶然映った”としても、です。
もし当時のスタッフに
番組に関係ない通行人の顔は、ぼかしを入れて処理してくださいね
なんて指示したら
は?? 何いってんの?
みたいな顔をされるんでしょうね(笑)。
ただ現代のコンプライアンスでがんじがらめになった番組と比べると、いろいろな問題が生じるかもしれませんが、当時の番組の方が圧倒的にパワフルで生き生きとしているんですね。
何でもアリというか、制作側も出演側も総じてカオティックなんですよ。
でもその渦巻くパワーがいい方向に流れると、このような怪物番組ができるのかな、と思います。
素人参加者の熱気がハンパない
最後に出演者たる素人参加者の熱気がすごい。
“このお祭りに参加して、あわよくばタダでアメリカ旅行してやろう”という野望に燃えた参加者(笑)の、ほとばしる欲求が画面から滲み出ています。
この直球の欲望は、ともすれば下品な印象を与えてしまうのですが、逆に彼らの嘘偽りない感情を表現しているとも言えます。
裏を返せば、テレビにおけるやらせ・演出を超えた、人間の本質をとても素直に表現することができた要因となっているわけです。
個人的にはこのやらせ感のない正直な彼らの熱量がとても新鮮で、最近のテレビ番組にない楽しさを提供しているなあと感じましたね。
海外旅行がそこまで一般化されていなかったという時代背景も大きかったんでしょうけど。
この素人パワーの凄まじさを象徴するものとして、社会人参加者の現実と非現実のせめぎ合いがあげられます。
というのも、この番組は勝ち進めば勝ち進むほど、一般的社会生活と断絶していきます。
簡単に言うと、この番組で勝ち進むほど、その人が所属する組織に迷惑をかけるということです(笑)。
明日には出社します
と上司に告げてから、えんえんと有給休暇を現地申請した参加者も多かったのではないでしょうか。
部長すみません、また勝ち残ってしまって
みたいな(笑)。
非日常のお祭りに参加したくて出場したのに、日常の現実に追われるという矛盾。
しかしそのしがらみをかなぐり捨ててこのイベントに参加していく様は、とても真似ができない熱量だな、と思いました。
現代でもウケる企画なのか
今この番組を復刻したら、どんな感じになるのかなあ?
大きな違いとしては、現代はスマホによる情報収集がケタ違いに発展しているということです。
問題が発表されたとしても、ちゃっちゃとググれば安易に解答に到達できるでしょう。これだけでもうシラける要素満々ですよね(苦笑)。
テクノロジーの発展が面白さを潰すというか。
80年代の当時でも、問題が発表されるや電話ボックスに駆け込む姿が放送されていましたが、“調べる”というスキルにおいては現代と天と地ほどの差があるので、たいていその行為は無駄に終わるわけです。
けれどもその必死さが逆に微笑ましいというか、藁にもすがる感が出ていていいスパイスになっていました。
また、出場者も問題の傾向と対策を常に勉強して訓練された“クイズエキスパート”ともいうべき人がたくさん出場し、結果偏差値が高い人だけの争いになる可能性があります。
これもねえ、味気ないんですよね。
80年代当時の素人の何が良かったかっていうと、そういった専門対策をすることなく、ありのままの能力と運でドラマを形成していく様なんですよ。
そういった中にはホントに運だけで勝ち進む人もいて、そこに嘘偽りないリアルな勝負のおもしろさを視聴者に提供してくれるわけです。
しかし“クイズエキスパート”的な人ばかりが残った場合、そこに勝負論はあるんですが、一般参加を拒否しかねないムードが漂ってしまうんですよね。
現在でも放送されているもう一つの大型クイズ番組である『全国高等学校クイズ選手権』が、まさにこの問題に陥っています。
ここに最後まで残る高校って、東大に何人も合格する高偏差値高校のクイズ研究会ばかりなんですよ。
この辺の画一化って、個人的に面白くないなあと思ってしまうんです。
そう考えるとコンテンツって、その黎明期から2~3年目あたりまでが一番面白いのかもしれませんね。混沌としていて。
おわりに
そんな感じで『アメリカ横断ウルトラクイズ』は、まだまだ自由な作りが許されていたテレビ制作サイドの企画力・資金力と、大いなる熱量を持った素人参加者のパワーが見事に融合した番組だったといえるでしょう。
素人が本気で楽しんで番組参画できるいい時代でしたね。
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