FILE.22 おニャン子クラブ

オレ流80's
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80年代に登場した放課後アイドルクラブ

帰宅直後の学生を狙い撃ち

 80年代の中頃、授業や部活動を終えた男子中高生が、いそいそと帰宅する現象が発生しました。

 彼らのお目当ては、夕方5時からの生放送帯番組である『夕やけニャンニャン』の視聴です。もっと突っ込んでいえば、『おニャン子クラブ』というアイドルを観るためでした。

 おニャン子クラブとは、おもに女子高生を中心とした、半素人アイドルグループです。

 創設時の中心メンバーに、その後番組内での“アイドル発掘オーディション”企画で合格した女子学生が追加メンバーとして加わり、増殖をしつつ番組の華としてアシスタントをしていました。

 この女の子たちに、時の男子中高生ががっつりと反応したのです(笑)。

 その反応の結果は番組の視聴率となって表れ、『夕やけニャンニャン』は夕方の番組としては異例の、二ケタ数字の視聴率を獲得するに至りました。

ケーハクコンテンツ?

 といいつつ、実は私、この番組をほとんど観ていません。おニャン子クラブについても入れ込んだことはありませんでした。

 どちらかというと、世間が過熱する様を、横目で見ていた類です。当時はまだまだ硬派で通っていましたからね、私(笑)。

 というか、まだ精神年齢が低かったんですね。ですので

なにやら“ケーハクなコンテンツ”が盛り上がっているな

と、けっこう冷ややかにそれを見ていたかもしれません。

 まあ“ケーハクコンテンツ”だったかどうかは、直接視聴をしていなかったので、あくまで“外から見た雰囲気でそう見えた”という主観なんですけどね。

 そんなわけで、『夕やけニャンニャン』という番組については、あまり詳しくはないんですよ。ところが驚いたことに、そんな人間でもある程度の文章が書けてしまうんですね。

 裏を返せば、『夕やけニャンニャン』や『おニャン子クラブ』というコンテンツは、それくらい大きな社会現象となっていた、ということです。

 それこそ横目で見ていた人間ですら、ある程度の知識が勝手に刷り込まれるくらいの影響力を持っていた、ともいえますね。当時のメディア王様・テレビの恐るべき影響力、といったところでしょうか。

 ちなみに先ほど私は“冷ややかな目でそれを見ていた”と書きましたが、今思うと当時の軽薄な感じはとても80年代らしくて好きです(笑)。

 社会が元気というか、ハチャメチャながらもパワーがあり、いい時代だったと思うんですよね。

彼女たちがウケた理由

 ではなぜ彼女たちが男子中高生から絶大な支持を受けたのか、外野目線から(笑)分析してみましょう。

となりのクラスのかわい子ちゃん感

 彼女たちが今までのアイドルと大きく異なっていたのは、その“敷居の低さ”です。

 80年代初期を席巻した松田聖子、中森明菜、小泉今日子といったアイドルは、憧れの対象でありながらも、あくまで“高嶺の花”でした。

 つまり一中高生にはまったく手が届かない、“違う世界にいる人たち”なのです。彼女たちと彼らが知り合いになる確率は限りなく0%といえるでしょう。

 しかしおニャン子は“半素人アイドル”です。それこそ“となりのクラスにいるかわい子ちゃん”が、ブラウン管の中にいるという感覚があったのではないかと思われます。

 それは彼女たちがまったく手の届かない世界にいる人ではなく、

うまくしたら知り合いになれるんじゃね?

といったような希望を持たせてくれるアイドルだったわけです。実際はそうでもないと思うんですけどね(苦笑)。

 ただこの“敷居の低さ”を感じさせるキャラクターは、世の男子中高生を夢中にさせる大きな要因となっていたと思いますね。

 ちなみにこのスキームには前例があり、『オールナイトフジ』という深夜番組において、同様の手法ですでに半素人女子大生アイドル『オールナイターズ』が、大学生を中心とした成人男性にウケていました。

 ですので、言うなればおニャン子クラブはそのスキームを女子高生にスライド展開したものだったわけです。

 結果としてそれもまた見事に成功を収め、同時に視聴者層も成人男子から男子中高生に見事にスライドしていく現象が起きました。

選択肢の多さ

 おニャン子クラブはメンバーの増殖を繰り返したため、一時期は女子クラスが一つ作れるくらいの人数が在籍していました。

 それは視聴者である男子中高生にとって、お気に入りの女の子を選ぶ選択肢が増えたことを意味しており、“こんだけいれば誰か一人くらいはタイプの子が見つかるでしょ”といった様相を呈していました。

 私の友人の高岸くん(仮名)などは、

会員番号11番の福永がかわいいんだよ

と下校時に熱く語り、ニヤニヤしていたのを覚えています。

 彼はあまりそういうキャラではなかったのですが、おニャン子が彼の思春期の扉を開けたのでしょうかねえ(笑)?

 そしてこのグループメンバーを数多くそろえるという手法は、秋元康によってその後のAKB48に受け継がれていったと思われます。

会員番号という背番号制

 さきほどキャラ変した高岸くん(笑)も言っていたように、彼女たちには“会員番号”という番号が与えられていました。これもちょっとしたことなのですが、秀逸なシステムだったと思いますね。

 あれって野球やサッカーでいうところの“背番号”なんですよ。

背番号3っていったら長嶋だよ

みたいに、個人名と番号のセットがあることで、より個が認知されやすくなるという利点があるんですよね。

 さらにいうと、人間というものは“数字とそれに対応する固有名詞は暗記したくなる”という習性があると思うんです(笑)。ありません? そういう感じ。

 なんていうのかな、自分でクイズを出して自分で答える感じ、とでもいうのでしょうか。脳内で(笑)。

MC(自分)
MC(自分)

問題! 会員番号8番のおニャン子は?

回答者(自分)
回答者(自分)

国生さゆり!

みたいな(笑)。

 まあこんな感じで、彼女たちの認知度を上げるためにひと役買っていたのではないかな、と思っています。

放課後アイドルクラブ感

 おニャン子クラブは現役の女子高生が多かったので、生放送だった夕方の番組に出演するためには、授業が終わったらバタバタと駆けつけて局入りしていたと思われます。

 その様が授業後のクラブ活動感を偶然にも醸し出しており、その放課後感が生々しくブラウン管から出ていたのかもしれません。

 しかも彼女たちは“半素人”なので、番組に参加することを“仕事”として捉えるまで成熟しておらず、“クラブ活動”に参加する、というライトな意識でいた子も多かったのではないでしょうか。

 それがさらなる放課後感を助長し、視聴者である男子中高生には“授業 → 放課後”というシームレスな時間の移行をリアルに感じさせることにつながり、ゆえに彼女たちをさらに身近に感じさせる要因となっていたと思われます。

 そして視聴者たちは、彼女たちの魅力である“敷居の低さ”をより感じとることができ、のめり込んでいったのではないでしょうか。

 以上が私なりに感じた“彼女たちがウケた要因”です。

おニャン子旋風について

 こうして社会的ブームとなった彼女たちは、世間にも大きな影響力を与えました。それは“おニャン子旋風”とでも言えばよいでしょうか(笑)。

 以降は『夕やけニャンニャン』という番組枠から飛び出した彼女たちの活動で、私の身のまわりにも影響を与えたものを、いくつかあげてみたいと思います。

デビュー曲にみるおニャン子旋風

 彼女たちのデビュー曲は、有名な『セーラー服を脱がさないで』です。

 皆さんご存知の秋元康プロデュースであり、これが大ヒットとなります。ただ問題なのは、その仰天歌詞ですよ。

 ものすごく簡単かつ露骨に意訳すると

1番
1番

友達より早くロストバージンして大人になりたいけど、やっぱりや~めた!

という、いわば“おあずけ”的な(笑)1番の歌詞から一転して、

2番
2番

でも早く捨てた方がかっこいいから、やっぱりあ~げる♪

という2番の歌詞に至るという、女子高生の初体験赤裸々心象風景描写(笑)なのです。

 こんなやばい歌詞がですね~、よくも夕方から、そして公の場でまかり通ったなと。現代では露骨すぎて、コンプライアンス的に即お蔵入り、もしくは地下埋伏アンダーグラウンド化ですよ(笑)。

 しかもそれを現役の女子高生に歌わせるっていうのだから、やらせた方も、やる方もちょっとネジが外れているとしかいいようがないです(苦笑)。ただ

現役女子高生 × 初体験話

という組み合わせは、“リアルな女子高生の裏側の告白”という演出においてはとても優れており、やはりここも秋元康の確信犯的手法が革新的だったと言わざるを得ません。

 あ、ここ、“確信かくしん”と“革新かくしん”がかかっています…ってどうでもいいですね(苦笑)。

 おそらくこれでおバカなチェリー男子は

お、女の子もやっぱり興味シンシンなんだ…!!

とか

チャ、チャンスあるかもしれないぞ!

と、勘違いした前向き思考を得てしまったかもしれません。そう考えると、彼らを掌で転がしたことは、かなり罪深いですよ、秋元康(笑)。

 そして個人的に一番仰天したのが、中学卒業時に行われた謝恩会にて、保護者のお母さんの出し物として、この曲が振りつきで披露されたことです。

 教育の総本山たる学校において、こんなレッドカード級の曲が臆面もなく流れるなんて、究極のミスマッチと言わざるを得ません。

 しかしながら、そんなタブーすら容易に吹き飛ばすくらいの過熱ぶりが当時にはあったわけです。保護者に混じって女性教師も歌ってましたからね。恐ろしい光景です(苦笑)。

 ある意味社会全体が享楽的すぎて、集団麻痺状態に陥っていたともいえます。これを“旋風”と言わずして、なんと言えばよいのでしょうか。

 …でもそんな社会は、今から思えば嫌いではありません(笑)。

『ハイスクール!奇面組』にみるおニャン子旋風

 週刊少年ジャンプの80年代黄金期をけん引したマンガ『ハイスクール!奇面組』は、そのアニメ化においておニャン子クラブとの関係性が非常に色濃いです。

 というのも、番組のオープニングとエンディングの主題歌を、おニャン子クラブメンバーから選ばれた二人組ユニット『うしろゆびさされ組』(岩井由紀子(ゆうゆ)、高井麻巳子)が担当したからです。

 この二人組は、マンガのヒロインである河川唯かわゆい有留千絵うるちえに雰囲気が似ているということで抜擢されたとの話がありましたが、どこまで本当なのでしょうか。

 ちなみにユニットの一人、高井麻巳子はのちの秋元康夫人です…忖度あったよね、おそらくは(苦笑)。

 このように、マンガのヒロインと似たアイドル、そして高校を舞台としたギャグマンガということで、女子高生軍団のおニャン子クラブとは異様に親和性が高いコンテンツとなりました。

 それだけに『ハイスクール!奇面組』は、おニャン子クラブとの“公式リンクコンテンツ”、もしくは“公式メディアミックス”と言っても差し支えないかもしれません。

 作者の新沢基栄も、これを機にかなりおニャン子クラブにのめり込んだようで、『夕やけニャンニャン』の収録を見学に行ったレポートなどが、ジャンプのグラビアで掲載されたりもしていました。

 ちなみにうちのハミコおくさんは、子どもの頃『ハイスクール!奇面組』のアニメを毎週観ていたそうで、

うしろゆびさされ組の歌はすべてそこで覚えた

と豪語しております(笑)。

『ジャンプ放送局』にみるおニャン子旋風

 逆に非公式リンクというコンテンツでは、ジャンプの読者投稿ページである『ジャンプ放送局』がその一つで、その誌面上で彼女たちへのフィーバーぶりが見てとれました。

 当時の“ジャンプ読者層”は、そのまま“おニャン子入れ込み層”にほぼ内包されており(笑)、ハガキ職人といわれる投稿者のネタも、彼女たちにちなんだものが如実に多くなっていたと記憶しています。

 それらはある意味“落書らくしょ”に近しいものでしたが、そういった落書が時を隔てると、当時の文化風俗を知るための貴重な資料となったりするのはみなさんご存知でしょう。

 ですので、彼らハガキ職人のネタというのも、時が経てば貴重な資料になる可能性がある、ということです(笑)。つまり彼らのネタを通して、未来の人は当時のおニャン子旋風を知ることができるわけですね。

 そう考えるとホント貴重だなあ、ジャンプ放送局のネタ(笑)。

おわりに

 以上、おニャン子クラブの思い出について書いてみました。

 これだけ世間をにぎわせた彼女たちですが、実はグループとしての活動期間はわずかに2年半程度だったことを知ると、その露出濃度の濃さに舌を巻かざるを得ません。

 そしてここで得た事業スキームは、プロデューサーである秋元康のその後の大きな糧となったと思われます。

 AKB48、乃木坂46につながる源流がここにあったことを考えると、なんとも感慨深いものがありますよね。ではまた。

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