80年代初の商業オリンピック
物心がついて初めてのオリンピック
1984(昭和59)年は、アメリカロサンゼルスにてオリンピックが開催されました。個人的にはこのロサンゼルスオリンピック(ロス五輪)が、物心ついて初めて体験するオリンピックです。
というのも、1980(昭和55)年のモスクワオリンピックは、東西冷戦の影響で日本を含む西側諸国が参加をボイコットしたため、この国際イベントを経験することはできませんでした。
その前のモントリオールオリンピックは、さすがに4歳でしたので、ほぼ記憶がありません(苦笑)。そういっためぐり合わせにより、中学一年の夏にて初のオリンピック体験となったのです。
中学生ともなると、世の中の事象についてある程度認識力がある年齢です。それだけに、オリンピックという初の一大イベントを迎え入れる体制は、それなりに整っていました。
高知での夏休みとリンク
このロス五輪が私にとって印象深いイベントであったのは、物心ついて初めて体験するオリンピックだったということも大きな理由の一つなのですが、それを鑑賞したコアタイムが、母親の実家の高知だった、ということも大きいです。
いわゆる“お盆帰省”ということで、数年ぶりに母の実家のある高知県を訪れていたんですよ、一週間くらい。
そこは典型的な“田舎の農家”で、家は純昭和の造りをしていました。引き戸の玄関、土間、(リビング扱いの)広い和室、縁側、といった感じです。
そしてその広い和室でそうめんやらスイカやらを食べながら、テレビでオリンピックを鑑賞するわけですよ。あ、カルピスも飲んでいたかな(笑)。
こうなるともう、夏の風物詩オールスターズですよ。完全にリアル『ぼくのなつやすみ』状態です(笑)。こんな環境の中、いとこと遊びながらこの娯楽イベントを堪能できた経験は、私にこのオリンピックを強烈に印象づけてくれました。
ちなみにうちの兄貴はこのときにやたらそうめんを食べさせられた記憶があるらしく、以来そうめんが大嫌いになったそうです(苦笑)。
ロケットマンの衝撃
このロス五輪は“現代商業オリンピックの原点”といわれており、演出がとても派手だった記憶があります。もちろん初めて体験する国際イベントだったのでそう感じたのかもしれませんが、開会式からとても印象に残っていますね。
オープニングの曲もとても印象深いです。トランペットを中心に構成された曲はとても勇壮であり、これから起こるドラマへの期待感を見事に煽ってくれました。
正直な話、オリンピックのテーマで覚えている曲は、50年近く生きてきてこれだけです(苦笑)。裏を返せば、それくらいこの曲が印象深かったということです。
そして一番仰天したのが、空飛ぶ人間、いわゆる“ロケットマン”が、競技会場上空を縦横無尽に駆け巡ったパフォーマンスです。

え、え、え~~~っ!? ひ、人が空飛んでいるぞ!!
いやホント、びっくりしたんですって。しかもそのロケットマンのいで立ちは、少年マンガで何度も空想表現されたような、ランドセル型ジェットじゃないですか!
このSF少年マンガを見事に具現化したアイテムと演出は、少年の心をガッチリと捉えましたね。

空飛ぶ移動の世界は、もう目の前なんだ!
と、夢のような技術革新にかなりワクワクさせられたものです。
…ところがその後40年近くも経っているのに、こいつだけは汎用化されていないんですよね。何でなのかな~と、いまだに疑問なんですけどね…やっぱり安全面かなあ?
ともかくこのような演出により、さすがは娯楽大国アメリカがプロデュースするイベントだ、という印象を強く受けたことは確かです。
瀬古利彦の落日
競技に対する個人的な興味は、男子マラソンでした。
というのも、その前年に行われた『東京国際マラソン』において、瀬古利彦が当時の世界歴代3位タイム(2時間8分38秒)で優勝するという勇姿を目の当たりにしたからです。
これにはかなり感動した記憶がありまして、

瀬古なら金メダルを取れる!
という期待を勝手に膨らませていたんですね。
ところが現実はなかなかに厳しかったです。35㎞あたりから先頭集団と差が開き始め、ズルズルと後退し、結果は中途半端な14位。
中途半端と言っては当人に失礼ですが、当時は無敵のラストスパートで金メダルゲット、というイメージを抱いていただけに、結果とのギャップは子どもながらにショックでしたね。
しかしながら柔道の山下泰裕、体操の森末慎二など、他の競技での金メダル獲得シーンもかなり印象深く、今までよく知らなかった人(私にとってですが)が一夜にして大スターになるものだなと、世相の仕組みを実感したりもしました。
カール・ルイスという怪物
ロス五輪を語るうえで外すことができないのが、“カール・ルイス”という存在です。
彼は陸上の花形である100mの金メダリストです。それ以外にも200m、走り幅跳び、400mリレーに出場し、すべて金メダルを獲得しました。ある意味このロス五輪とは、彼のために開催されたイベントだった、といっても過言ではないかもしれません。

なんか全部持ってくな、アイツ
という感覚を、子どもながらに感じましたね。まさに圧倒的、もしくは敵なしという表現が、とてもしっくりくるくらいの活躍ぶりだったのです。
このように、4冠を達成した彼は多くの印象的なシーンを生み出してくれました。ラストにとんでもないブースト走法を見せ、10秒を切る9.99秒で優勝した100m決勝もかなり印象的なシーンですが、個人的に

なんじゃこら
と驚いたのが、彼の走り幅跳びです。
世界一速い助走から繰り出されるそのジャンプは、まさに“空を駆ける”という表現がピッタリで、空中を数歩歩いているかのようなジャンプでした。
まさに人間離れしたアスリートのすさまじさを、初めて教えてくれた選手が彼だったわけです。

人間ってあんなに飛べるんだ
と、唖然とした瞬間でしたよ(笑)。
当然彼はマスメディアにおいても時代の寵児となります。
日本においてもその影響力はすさまじく、『ビートたけしのスポーツ大将』において“カール君”という走行メカが長らく番組の目玉アイテムとなったことなど、それを象徴していますよね。視聴者からは

反則だろ、あれ。
と突っこまれていた後半の加速ですが、今思うと実はけっこうそっくりかもしれません(苦笑)。
あと徳弘正也の『シェイプアップ乱』では、彼をパロった“カールルイ子”というキャラクターが登場していましたね。
面白かったんですけど、キャラの表現についてはもし訴えられても何も言えなかったな、あれは(苦笑)。
アンデルセンの根性
カール・ルイスと並んでロス五輪を象徴するような選手が、女子マラソンに出場したアンデルセンですかね。
8月の酷暑で行われたレースのため、彼女は脱水症状を起こしてしまったのですが、レースを諦めず、足を引きずりながら完走したそのシーンは、全世界に感動を与えました。
こんな状態になりながらレースを続けさせるなど、現代スポーツ医学からすれば完全にNGなのですが、当時はまだまだ根性論がスポーツ科学・医学を上回っていた時代です。選手の“闘う意志”を優先させてしまったのでしょうね。
それは競技を見ている多くの観衆も同様の価値観を持っていたため、彼女の“闘う意志”はスタンディングオベーションで迎えられました。そして昭和スポ根マンガさながらのそのシーンを見た私も

すごい根性だ…!!
と、素直に感動してしまいました。選手生命を脅かす可能性がある背中の痛みを押して山王戦に出場した、桜木花道に感動するようなイメージです。
でも同じシーンを今見たら、

だめだよ、もっと早くやめさせなくちゃ…
と、テレビに向かって呟いていたと思います…そう考えると、40年で価値観って結構変わりますね(苦笑)。
現代商業オリンピックの原点
ロス五輪は“現代商業オリンピック”という点において、かなりエポックメイキングなイベントでした。しかも
という、とても素晴らしい結果を出し、新しいイベントの形と評価されたようです。それ以外にも
- 国威発揚
- 民衆の一体化
- エンターテインメント性
- プラスイメージ戦略
- 経済活性化
- スポーツ界の健全な発展
- スポンサーの収益アップ
といった、三方よしどころか六方よし、七方よしといったイベントとなったのです。
最近はスポンサー権益の部分が顕著になりすぎて

一部の企業が金儲けをするためのイベントに成り下がった
と揶揄されることが多いですが、当時としてはかなり画期的なオリンピックだったようです。
ただ私にとっては、このスキームでのオリンピックがファーストインプレッションだったため、“オリンピックとはこういうイベントモデルなのが普通”という刷り込みが行われました。
というか、それ以外の方法論を知らないし、イメージも湧きません(苦笑)。もちろん当時はそんな小難しいことなどまったく気にしたこともなく、巷にあふれるコカ・コーラのオリンピックヨーヨーなんぞがカッコいいと思い、おもいっきりスポンサーの思惑にのせられていました(笑)。
もちろん昨今取り沙汰されている意見もわからないではないですが、どうしてもロス五輪の成功の印象が強すぎるため、オリンピックはすべてこのような“三方よし”の結果を得てほしいな、と思ってしまうんですよ。
それだけに、今回の東京2020オリンピックはコロナショックという予想外の障壁があったとはいえ、様々な面でロス五輪には到底及ばなかった点が少し残念でした。たくさんのメダルを獲得したアスリートの方々は、それとは関係なくすごいんですけどね。
日暮巡査との思い出
最後になりますが、私にとってオリンピックで外せないのが『こち亀』における日暮巡査です(笑)。
彼は4年に一度、オリンピックの年のみに出演するというレアキャラで、長期連載という前提がある『こち亀』だからこそ生まれることができたようなキャラでした。
彼が初登場したのは、日本が不参加だった1980年のモスクワオリンピックの年で、私はコミックスでその話を読みました。その時は“4年に一度しか出てこない”、“その4年間はずっと寝ている”というキャラ設定に大ウケし、

次のオリンピックの時には本当に再登場するのか!?
と、すごく楽しみにしていたんですよ(笑)。
で、実際彼はロス五輪時にジャンプ誌面で登場したんですね。これには狂喜乱舞した思い出があります。

4年越しにホントに出たよ! すげぇ!!
みたいな(笑)。
結局彼は『こち亀』がギネスに載るくらいの長期連載となったため、その後4年スパンで数回出演することになるんですけどね。こんなキャラ、おそらく世界で唯一無二だよな(笑)。
おわりに
以上、ロサンゼルスオリンピックについての思い出でした。やはり今でも思うのが、オリンピックとはこうあってほしい、という、お手本のようなイベントだったということです。
もちろん思い出補正が印象にゲタをはかせている面もあるとは思うのですが、やはり世の中の“お祭りモード”の濃度が違ったように感じるんですよ。
そしてそれを子どもの時代に鑑賞できたことで、間接的に成功体験を学べたような気がするんですね。現代の子どもたちにも、コンテンツは違ってもよいので、これに近しい思い出がきちんと育まれていればいいんですけどね。


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