【遊んで暮らす】ロボットとAIの発展でそんな夢の世界を実現したい。

オレ流雑感
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オレたちが思い描いた夢の未来

 …う…ん…? もう朝か…日差しが柔らかいな。今日は過ごしやすい一日になりそうだ。こんな日は公園にでも繰り出して、ゆっくりと読書でもするか。

ロビー
ロビー

ご主人様。

朝食のご用意ができております

 ああ、ありがとう、ロビー。ではいただくか。うん、おいしいよ。

 食事のあとは部屋の掃除と洗濯をお願いしようかな…そうそう、リビングのカーペットを取り替えておいてくれるかな?

ロビー
ロビー

かしこまりました。

お出かけなされるのですね?

 うん、天気がいいからね。ちょっと公園まで行ってくるよ。

ロビー
ロビー

承知いたしました。

あと会社から今月分のご入金がありました

 そうか、今日は給料日か。先月は何時間働いたっけ、ロビー?

ロビー
ロビー

10時間弱です

 ちょっと働きすぎたかな? よし、今月は5時間労働を目標にしよう。ロビー、それで調整してもらっていいかな?

ロビー
ロビー

はい、ご主人様。

5時間を超える分は私が担当しますので、ご安心ください

 よろしくね。じゃあ出かけてくる。あとはよろしく。

ロビー
ロビー

いってらっしゃいませ

 …さて、しょっぱなから寸劇を披露しましたが(笑)、どうですか、こんな生活。そう、それはまさに

未来はロボットやコンピューターが主に働いて、人間は好きなことだけをしていればいい夢の世界!

の実現です。

 そしてこんな生活のイメージは、『ドラえもん』に代表される昭和後期のSFマンガの、人間がロボットやコンピューターと共存する夢の未来世界のテンプレートだったように感じます。

▲夢のような未来世界!  ©藤子・F・不二雄

 そして時は経ち、世の中はどんどん便利になっていきました。特に昨今の技術革新およびAIの進化はすさまじく、上記のような夢のAIロボティクス社会が現実のものになりつつある予感を、大いに感じさせる社会にもなってきています。

変わらない労働コアタイムの常識

 となると、来るべきユートピアの実現に向けて、労働時間は年々減少していってほしいものです。実際はどうなのでしょうか。

 数値的にみれば、どうやら現代は戦後時代と比較して、年間総労働時間はかなり減っているようです。そしてそれは“週休2日制の浸透”を当たり前のものにしてくれたのです。

▲一応労働時間は減少しています。

 よしよし、技術革新と共に、人間の労働時間は着実に減ってきているぞ…しめしめ…

なんて満足している人はいないよね!!

ダン!! というのが私の主張なんです(笑)。

 たしかに週休2日制度はかなり浸透しました。

 しかしながら、午前9時~午後5時までの労働、いわゆる“9時5時くじごじ”という労働コアタイムの常識は、昭和~平成~令和と時代が変遷しても、まったく変化していないのです。

 戦後80年間の技術革新は凄まじいのに、この“9時5時”という常識だけは1ミリも変化していないという事実。これは我々が幼き日に夢見た未来社会とは、かなりのズレがあります。

 だって我々が夢見た未来社会は、週休2日制の浸透なんて地味なライフスタイルではないでしょう? それこそ

週休3日制の完全浸透

9時~12時程度の労働時間

といったくらいのインパクトがある世界ではありませんでしたか? それはつまり

年間余暇時間>>>年間労働時間

という式で表される、自分のためだけに使える時間が圧倒的に多い世界ではありませんでしたか?

 それなのに、戦後80年のとんでもない技術革新の結果をもってしても、“9時5時”という常識が崩れていないのはすこぶる疑問というか、

到底納得ができない!!

ダン!!(2回目)というのが個人的な感想なんですよ。

 だってもう21世紀だよ? 団塊ジュニア世代にとっては“未来”と同義だった“21世紀”に入ってから、もう20年以上も経ったんだよ? なのにこの体たらくはおかしいじゃあないですか(苦笑)。

▲21世紀はこのくらいのレベルはないと困ります(笑)。

 ですので、今回はどうしたら“オレたちが思い描いた夢の未来(笑)”を実現できるのか、いろいろと考えてみたいと思います。

そもそも労働時間の激減は国民の総意か?

 このような話題に触れる大前提として

労働時間の激減は国民の総意である

という考え方が、そもそも論で正しいものなのか、ということについて考えてみましょう。

 労働時間の削減という施策については

毎日毎日仕事したくない…

生きるために仕方なく働いている…

毎日がストレスとの格闘

というモチベーションで働いている層には、諸手を挙げて支持されそうです。

 ところが一方では

オレ仕事楽しいから、時間を減らされるのは嫌だけど

ダラダラ過ごすくらいなら働きたい

といった、尊敬できる意見を持つ方々もいるんですよね。

 ですので、今回のテーマの趣旨は、以下の様な思想定義を前提として進めていく、と考えていただけないでしょうか。

  • 労働コアタイム(9時5時)を大きく削減する未来を考える
  • それは行動選択の自由時間を増やすことを目的とする
  • その行動選択においては、それをさらなる労働に充てるのも自由である
  • 行動選択の自由時間を増やすことで、人間らしい豊かな生活を実現する

 つまり労働拘束時間を減らし、その浮いた時間の使い方を自由に選択させる、ということです。例えば10時間の浮いた時間があったとしたら

私はそれを読書と映画鑑賞に費やす

私は8時間を労働に充て、2時間を勉強に費やす

といったように、自分がよりやりたい行動を選べるようにする、というイメージです。

▲浮いた時間を仕事以外に使う!
▲浮いた時間も仕事に使う!

 そしてその“浮いた時間”こそが、昨今の技術革新と機械化・AI化社会によってもたらされる時間だとお考え下さい。

 これならば、労働に対する意識が両極端の層でも、“労働時間の激減”という施策に対しては大きな反対は起きないのではないかな、と思います。

労働コアタイムを短くするには?

 ではどうすれば労働時間を削減し、労働コアタイムを短くできるのでしょうか。それについては

  • 仕事内容を見直し、無駄な作業をなくす
  • 広い仕事範囲をカバーする機械やロボットをどんどん汎用化する
  • 自動化できる部分はどんどん機械に任せる
  • ルーチンワークはAIに任せまくる

といった施策を全国で推し進め、作業効率を上げていかなければなりません。

 ただ…これって今までもやってきたことですよね? それなのに、前述した通り“9時5時”のコアタイムは1ミリも減らないんです。これは一体なぜなのでしょう?

 これについては様々な理由が考えられます。技術革新と効率化により

  1. 売上単価の下落と納期短縮が起きるから
  2. さらなる高品質なものへの需要が高まるから
  3. 人口が増えた分の需要に労働があてがわれるから
  4. 新しい種類の仕事が増えるから

ということがこれまでにも起きていたように感じます。1、2については人類の際限のない欲望が労働時間の短縮を拒んでおり、3については全世界的な需要増がそれを阻んでいるわけです。

 また、いろいろと便利機器が増え、時間のかかった仕事が短縮されたのに

…なぜか違う仕事で空いた時間が埋まる…

というご経験をされた方、多いのではないでしょうか。これが4ですね。あれ、とても不思議です(苦笑)。

 さらによく聞くのは

新しいテクノロジーが生じると、それに関連する新しい仕事が増える

という事象です。これが人類の歴史では、確固たる事実として繰り返されているんですね。

 ですので、技術革新によってある仕事Aが淘汰されたとしても、新しい仕事Bが生じることにより、労働者は職を失うことなく働き続けることになるわけです。

 このように、1~4の理由だけでも労働コアタイムの削減が難しいことがわかります。そして、そもそも論で

人間はそのようにできている!

という説もあったりします。

 それはパーキンソンという研究者が唱えた

パーキンソン
パーキンソン

仕事の量は、完成期限までに与えられた時間を全て満たすように拡大する

という学説です。要は

1時間で終わる仕事に1日分の時間を与えられると、人はその仕事に1日費やしてしまう

という習性が、人間には備わっているということですね。恐ろしい…。

▲恐ろしきパーキンソンの法則(汗)。

 このような“歴史的背景×人間の習性”という現状を見ると、出てくる答えは

…労働コアタイムを減らすなんて無理じゃん

ということになります。ゲェェェ~ッ、話が終わっちゃったよ(苦笑)!

実は効率化より制度の問題?

 いやいや、待ってください。こんなことでオレたちの理想郷ユートピアをあきらめるわけにはいきません(苦笑)。ここはもう少し抗ってみましょう。

 そこで注目したいのは、先ほどの“パーキンソンの法則”です。

1時間で終わる仕事に1日分の時間を与えられると、人はその仕事に1日費やしてしまう

 これですね。まずはこの人間の本能的な習性を打破することから考えていきましょう。 

 仮にこれが正しい理論だとすると、労働時間の短縮は技術革新や効率化も大事ですが、労働時間を設定する社会の制度や仕組みを変えることも効果的、ということになります。要は

効率化云々以前に、9時5時というルールの変更の方が先なんじゃね?

という考え方です。

 たしかに週休2日という世の中がここまで一般化されたのは、1993年(平成5年)に

週40時間労働制

が実施されたことが大きいです。これにより、世の風潮は週休2日制に一気に傾いていきました。

 ではこのルールをもう少し拡大した世界を想像してみましょう。

週休3日の世界
労働コアタイムが9時4時の世界

 …どうですか?

いやいやいや、そんなん地獄だよ!

結局鬼残業一直線!!

という方もいれば

そういうルールにしちゃえばねぇ。

なんだかんだそれで収めるようにはできるんじゃないの?

という方もいるでしょう。前者の方はそもそもの仕事量が許容量ギリギリかすでに超えている人で、後者の方は、やり方によってはパーキンソンの法則に抗える可能性がある人なわけです。

 これね…本当に個人的な肌感覚でエビデンスも何もない意見なんですけど…やっちゃえばできると思うんですよ。

 いや、“週休3日”と“コアタイム9時4時”の同時実現は無理かもしれないけど、どちらか一方の世界だったら何とかなるんじゃないの…? って思うんです。

 もちろん様々な職業があって、特性もピンキリだから、いろいろと厳しい部分もあるでしょう。とくに前者のような方はそんなの急には無理だと思うし、これによって結局残業が増えたり、休日出勤が当たり前になる方もいらっしゃるでしょう。

 ただ地球上に存在するすべての必須労働量を集計し、その時間的圧縮ができるかできないかという数値的観点だけでみた場合、物理的には不可能ではないと思うんです。

 そのためには、制度としての“週休3日”もしくは“コアタイム9時4時”というルールに、法律や世の中のムーブメントを先立って変えることは必須だと思います。

▲行政によるルール改定も必須。

制度の改定による弊害を考える

 こんな私の根拠薄弱な

やっちゃえば人間なんとかなるようにできてるんだよ

という意見を聞いて

お前、簡単に言うけど、納期どうすんだよ!?

サービスの質が下がっていいの!?

と反論する方も多いでしょう。これに対する私の答えは

  1. さらなる機械化と効率化で対応する
  2. サービスの質を下げる

という、より怒りの火に油を注ぐようないいかげんなアイデアです(苦笑)。

 1についてはさらなる技術革新で労働時間を圧縮しましょう、という考え方です。もちろん今日明日で解決する対応ではありませんが、100年後には人間がやっていた肉体労働中心の業務も、ロボットができるようになりますって。

 ただ私が推したいのは2の方なんです。労働時間の削減により現行の納期が担保できないのなら、納期を延ばせばいいじゃないかと。過剰すぎる現代のサービスの質を落とせばいいじゃないかと。

 もちろんそれによって不便になる部分が出てくるとは思いますが、そのうちその不便さを見越した生活スタイルに順応しますよ。納期が3日遅くなる世界になったら、今より3日早く手配するようになりますって。

 そしてそれを受け入れることで労働時間が減って、その分自由につかえる時間が増えて生活が潤うならば、その方がよいのでは? なんて思ってしまうんですよね。

 このような考え方に対して、決まって出てくる反論が

それは資本主義経済では成り立たない考え方だ

というものです。そう、資本主義経済はサービスの向上ありきで、競争ありきで成り立っている社会だからです。その社会システムの中で

サービスの質を下げりゃいいじゃん

という考え方は、回っているギヤを逆回転させるような意見であり、システムと矛盾した、到底現実的ではない考え方なのです。

 ではどうするのか。極論をいえば、

資本主義経済の考え方をやめればいい

ということになります…う~ん、これは少し語弊があるか(苦笑)。やめるというより、価値観を改めればいいと思っています。

 これについては『人新世の「資本論」』という著書で一世を風靡した斎藤幸平氏が、近しいことを提案されております。ご興味ございましたらばリンクをどうぞ。

 この著書で斎藤氏は

斎藤氏
斎藤氏

そろそろ経済成長を最重要視した社会システムをやめませんか?

と説いています。それは“脱成長”という、現在の常識とは正反対な、なかなかに挑戦的なご意見なのです。

 そしてそれは先ほど私が提案した

サービスの質を下げりゃいいじゃん

と、ある意味リンクする考え方です。

 ただ私はサービスの質がどんどん低下し続けることと引き換えに労働時間の削減を達成しようとしているわけではないんですよ。

 おそらく強制的な労働時間の削減により、一時的なサービスの質の低下は受け入れる必要があるでしょう。しかしながら、時間が経てば技術革新によってまたサービスの質は高まってくると期待しているんです。

 そう、つまり労働時間の削減をしながらも、削減前のレベルまで技術がサービスの質をきっと押し上げると思っているんですよ。

 そしてサービスの質が上がってきたら、また労働時間を1時間削減する。一時的なサービスの質の低下を受け入れる。また技術革新でその質の差が埋まってくる…別窓でもう一度まとめましょうか。

①労働コアタイムを9時4時にする。
②サービスの質の低下を受け入れる。
③技術革新でサービスの質が元に戻る。
④労働コアタイムを9時3時にする。
⑤サービスの質の低下を受け入れる。
⑥技術革新でサービスの質が元に戻る
⑦労働コアタイムを9時2時にする。
………以下繰り返す。

 つまりこのサイクルを繰り返すことで、いつかはサービスの質を落とすことなく労働時間コアタイムを激減できるのではないか、という考え方です。

 ただそのためには相当な技術革新が必要です。そこは機械、ロボット、コンピューター、AI、等の開発に、すべての知見を総動員するわけです。

 そして行政は二度とパーキンソンの法則

1時間で終わる仕事に1日分の時間を与えられると、人はその仕事に1日費やしてしまう

が起こらないように、労働時間コアタイムを社会ルールとして計画的に削減していく。

 この技術革新と行政ルール変革を両輪として、オレたちが夢見た理想郷ユートピアを目指していきたいんですよね。

▲技術革新とルール変革の二刀流。

お金の問題

 このような夢の理想郷計画を口にしても、もう一つ大きなツッコミを受けそうです。それは

労働時間が減ったら収入も減るよね。

そもそも論で生きていけないよ?

何言ってんの? 本気?

という、金銭面での問題です。さらに言えば、技術革新やAIの発展により職が奪われて、収入を確保することに危機感を覚える方も多いのではないでしょうか。

 これに対しても、私は既存の考え方から大きく脱却すればいいと感じています。それは

生活を成立させるための金銭を、労働だけで取得しようとしなければよい

という考え方です。つまりそれは

ベーシックインカムの導入

ありきの考え方、ということです。

 ベーシックインカムは国が全国民に対して一定のお金を毎月支給するシステムです。これについての雑感を過去に書いたので、もしご興味がございましたらどうそ↓。

 仮に月の生活必要額が20万円ならば、ベーシックインカムで10万円が支給されれば、労働で得るべき金銭は今までの半分で済みます。

 それは今までの労働拘束時間を半分にしてもやっていける、ということを意味しています。もちろん単純計算をした場合ですが。

 もっと言うと、これちょっと怒られそうなんですけど、働かなくても生活できる金額を全額支給してくれてもいいと思います。上の例で言うならば、20万円をまるまる毎月支給してもらうわけです。

いやいや、それはいくら何でも…

と思うかもしれませんが、ここは譲れないんですよ。

 だって“遊んで暮らす”21世紀のユートピアを実現するのがこの文章のテーマなんですからね。そりゃあ譲れませんよ(苦笑)。

▲オレたちの未来世界実現は譲れません(笑)。  ©藤子・F・不二雄

財源はどうするのか

 こう書いてまたまたお叱りというか、ツッコミを受けるのが

財源はどうするんだよ!

というご意見です。いや、もっともです(苦笑)。

 それに対する理想的な解決法は

機械やロボットが馬車馬のように働けばいい

ということになります。我々が毎月20万円を手にできるよう、機械やロボットが身を粉にして働けばいいんですよ、我々の代わりに。

 いや~、とても乱暴な解決法ですね、我ながら(笑)。ですので、もう少し現実に即した意見を述べましょうか。

 今現在の状況を見て言えるのは、技術革新を懸命に推し進めること大前提とした上での

労働意欲が高い人たちが稼いだお金で賄う

が解決法かな、と思っています。もっと噛み砕いて言うと

働くことが得意な人が働かない人を養う

でしょうか。

 あ~やばいな、これもかなり叱られそうだ(汗)。

なんで汗水垂らして働いた人が、怠けて遊んでいる人を養わないといけないんだっ!!

 いや、ごもっともです。私もそう思います。まったくもって同感です(苦笑)。しかしですね、これは

今までの資本主義経済という枠組みやルールを守らねばならない

という無意識な刷り込みがそう思わせるのかもしれません。ですので、夢の未来世界実現の話を進めるために、ここは今までの仕組みに付随する感情論を一旦横に置いて考えてみましょう。

 先ほども書いたように、この“遊んで暮らす”や“労働コアタイムを激減させる”という目標を達成するためには、これまでの

ノーワークノーペイ

という常識を

ノーワークでもペイ

という常識に大転換することが必須です。

 ちなみに2022年時点での日本の総労働人口約7000万人らしいです。その労働力で年間に生み出した国内総生産(GDP)は、実質546兆円だったそうです。

 そして“ノーワークでもペイ”というユートピアにするためには、総労働時間が激減したとしても、546兆円以上の価値をはじき出さなければなりません。

 仮に多くの人がユートピアを目指し、

働くのや~めた!

ベーシックインカムだけで生きていくわ

という選択をして労働人口が現在の半分の3500万人に減ったとするならば、現状の生産量を確保するためには一人当たりの生産量を倍に増やさなければならないことを意味しています。

 つまり減った3500万人分の生産力を、残った労働者の生産効率アップと、ロボット等による機械生産で補う、ということです。

 そしてこの新しい常識を維持するためには、さらなる無人化・自動化による生産力の増加が不可欠となってくるわけです。はたしてそんなことが実現可能なのでしょうか?

 それについては正直わかりません。ただ昨今の技術革新の向上を見ていると、近い将来にはいいところまでいくのではないかと感じます。

 ただ重要なのは、そのような全自動、超高効率生産社会が到来したときに、その富の配分を

ノーワークでもペイ

の大原則に当てはめていないと、オレたちが夢想した

人間は好きなことだけをしていればいい夢の世界!

というユートピアは、永遠に訪れることはないということです。つまり

なんで汗水垂らして働いた人が、怠けて遊んでいる人を養わないといけないんだっ!!

というような考え方の人が存在したり、

稼いだ分はぜ~んぶオレの私財だっ!

ビタ一文、やるもんかっ!

というような、富を独り占めするような思想の持主がいてはいけないのです。

 とてもとても納得しづらいかもしれませんが、働くのが好きな人、働くことが生きがいの人が稼いだお金は、まずは国民全員に決められた額で平等に分配されなければならないのです。

 そしてそれでも余剰となった利益を、働きに応じてさらに上乗せしていく。そこである程度の貧富の差が発生する。それくらいのマインドでないと、この

人間は好きなことだけをしていればいい夢の世界!

というユートピアは実現しないのではないかな、と思います。

 そう考えると、この理想郷というものは、労働を進んで行う人の大きな意識転換が必須だということがわかります。要は、労働を進んでする人には

ボクが働いて生じた富は、みんなで分けてよ

それで多くの人が人間らしく、楽しく幸せに生きられるならば、私は満足なの

という、聖人のようなマインドになって働いていただくことがマストだということになります。

▲右のような聖人マインドへの意識改革が必要不可欠?

 そして実は、夢の理想郷実現で一番重要なことは、各人の上記のような聖人パラダイムシフトであり、

遺伝子にこびりついた“資本主義社会脳”をぶっ壊せ!

という意識を多くの人が持たないと成り立たないのかもしれません…って、自分で書いていながら無茶だな~と、ヒシヒシと感じます(苦笑)。

 といいつつも、時間をかけた意識変革と思想教育によっては

これも不可能ではないのでは?

とも感じています。この思想が常識になるくらい、社会全体が総力をあげて変革していくんですよ。

 と同時に、“ノーワークでもペイ”の人々がその立場に胡坐をかくことなく、感謝を怠らないマインドとなるような教育も施していく。

 率先して労働をしてくれる人、周りよりも多く奉仕してくれる人には敬意を持つというマインドを育てていくのです。

 その結果“ノーワークでもペイ”の人々が、

あの人は本当に献身的に働いているから、少し多めに渡してあげて!

あの人の取り分が自分より多くても、全然納得できるよ!

と、自らお願いしちゃうような健全なマインドの世界を構築できたとしたら、この富の配分はとても幸せで納得度も高い世界を作り出すのではないでしょうか。

 それにより、世界は今までのような“激しい貧富の差”の世界ではなく、より富を平等に分け合いながらも、ある程度所得差が生じるような“ゆるやかな貧富の差”の優しい世界を実現できるのではないでしょうか。

 そしてそんな優しいマインド、より平等な富の配分の仕組みが根づいた上で、労働のロボットによる自動化やAI化、そして高効率化を究極まで高めていけば

未来はロボットやコンピューターが主に働いて、人間は好きなことだけをしていればいい夢の世界!

という夢のような未来世界は実現できるような気がしますし、それこそが

オレたちがあの頃に思い描いていた夢の未来

なのではないかな、なんて個人的には思いますね。

▲生きている間に実現するだろうか…(苦笑)。  ©藤子・F・不二雄

まとめ

 以上、かなり荒唐無稽なユートピア論を展開してきました(苦笑)が、これを実現するために必要なことを、もう一度確認してみましょう。

  1. 人間の労働力の代替となる技術革新を徹底追求する。
  2. 行政は法律で労働時間の削減を推し進め、パーキンソンの法則を打破する。
  3. 資本主義経済の考え方をやめ、一時的なサービスの低下を受け入れる。
  4. ベーシックインカムを導入する。
  5. 働くことが得意な人が働かない人を養う“ノーワークでもペイ”を常識にする。
  6. そのために富を分配する聖人マインドを育てる。
  7. 同時に奉仕してくれる人には敬意を持つというマインドも育てる。
  8. “過度な貧富の差”ではなく、“緩やかな貧富の差”という優しい世界をつくる。
  9. 優しい世界の土壌で、ロボットやコンピューターにガンガン働いてもらう。

 …このような感じでしょうかね。これによって、

行動選択の自由時間を増やすことで、人間らしい豊かな生活を実現する

未来はロボットやコンピューターが主に働いて、人間は好きなことだけをしていればいい夢の世界!

といったような世界が実現すればいいな、なんて。

 もちろん私が夢想した世界が理想郷とは思わない人もいるだろうし、多くの反対意見やツッコミもあるでしょう。

 ただ私たちが昭和の時代に夢見た未来社会を本気で実現するならば、このようなアプローチが選択肢としてはあったりするのかな、なんていう、一庶民の戯言としてお楽しみいただけたのであれば幸いです。

 そしてここまで読んでいただいた方は何となくお気づきでしょう。私がとても“怠け者”であるということに(笑)。ではまた。

コメント

  1. ユートピア実現のためには、価値観のパラダイムシフト改革が必要っていう論点は、あんまりこういう議論では無い気がするので非常に面白かったです。

    真面目な話として、そもそも昔の世界では「働くことはダサい」とする価値観が強く、労働時間も今よりはるかに短かったようですし(西洋だと奴隷に働かせて自分らは思索にふけり、結果、西洋哲学などの新しい発想が爆発的に発達(奴隷はたまったもんじゃないですが)日本でも江戸時代などは商人は金儲けをする存在で一般的には蔑まれがちだったと何かの本で読んだ事があります)
    勿論、今より人間が社会に求めるものも、社会に求められるものも少なかった時代の話なんでしょうが(この辺りの掘り下げで、アキラさんの、サービス提供の質を下げても良いじゃないか論がより真実味を増してくる気がします)

    書いてて、ユートピア実現の為には、技術革新と並行して、人間の内面変化を教育やプロパガンダなどを通し、100年単位の規模感で社会構造そのものを変化させれば、本当に可能な気もしてきました(ややディストピア感も出て来てますが)
    思い返せば、昭和時代からしても、令和の今のコンプラ価値観は、結構ドラスティックな価値観の変容な気もしますし…。
    後は、今のセーフティネットである生活保護ですらズルいと一部で指摘する「働かざるモノ喰うべからず」な、他者不寛容な感情論を、いかに「他人養う俺カッコいい」というステータスに変革するか…

    長文乱文失礼しました。要するに僕も働きたくないっていうお話なんすよ、これは…。

    • アキラ アキラ より:

      ふくらはぎさん、こんにちは。

      私が共感してほしかった点、理解してもらいたかった点が伝わってよかったです。
      そうなんですよね、おっしゃり通り、人間の代わりにロボットが稼ぐって仕組みは、中世の奴隷制そのものなんですよね。また、令和のいきすぎたコンプラ意識が成立したことを思えば、聖人パラダイムシフトも可能なのではないかと感じますね。

      そして働きたくない、という願望は一緒です(笑)。

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