みなさん、こんにちは。
お気づきの方もいるかと思いますが、先月(2022年2月)よりTwitterを始めてみました。
サイドバーにもツイートが載るようにしてみたので、ご興味ある方はのぞいてみてください。ただ
今さら? 遅っ!!
と思った方は多いと思います。私もそう思います(笑)。
でも理由はあるんですよ。簡単に言うと、ツイッターが嫌いだったんです。しかも食わず嫌い。つまり偏見を持っていたわけです。
というわけで、今回の記事は
- Twitterが嫌いで興味がない人種が
- その土俵にとうとう挑む
というものです。ですので
- Twitterを“食わず嫌い”していた人の、“食わず嫌っていた理由”
- そんなアンチがそれに挑む心境
に興味がある方は楽しめるかもしれないので、ぜひご一読を。
ただ“食わず嫌い”意見が羅列されるため、少々尖った文章となっております。先に超謝っておきます(苦笑)。
Twitterに対する“食わず嫌い”の理由
昨今のSNSにおいて、完全にその中心となっているTwitter。
私生活でも仕事でも
もはやこのアプリを利用しないなんて考えられない!
なんて価値観が一般化しましたよね。
ですが私はこのサービスについては様々な“食わず嫌い”な疑念があり、積極的に手を出す気持ちになれなかったんですよね。
ではそれらをご紹介いたしましょう。
“つぶやき”を全世界に配信するって必要?
Twitter創成期(2006年頃)は、140字のテキストを配信するだけのサービスでした。
まさにTwitterの語源である“ツイート”のみのサービスだったわけです。これがまったく私には刺さらなくて(笑)。
一個人が発する短文に、なんの需要があるんだろう?
という感想が、このサービスに対する第一印象でした。
実際の話、当時のありがちなツイートというのは
渋谷、なう。
会社、ダルいなう。
並んでいたら、割り込みされた。ムカつくなう。
といった使われ方が多く(笑)、ホントにどうでもいい情報ばかり、というイメージだったんですよ。
もちろんこのサービスを利用していなかったので、外野から見たイメージなんですけどね。
そこには有用な情報もなければ、笑えるようなオチもない。そもそも
140文字なんていう狭い領域では、十分な情報を発信できない
なんて感じていました。
これは当時からテキストサイトを運営していた者の、“表現”という点における価値観の違いや、驕りがあったかもしれませんね。お恥ずかしい。
こんな感じで、個人の独り言なんて見る必要もないし、それが全世界に発信される必要性がまったく理解できず、さらにいうと
こんな作業をチマチマとやる人がいるなんて、どんだけ暇なんだろう?
とすら感じていました。
もうディスりが止まりませんね、2006年当時の私(苦笑)。でもそれくらいこのサービスの良さが理解できなかったんですよ。申し訳ございません。
ストレス解消として利用されるの?
そう考えると、このサービスを利用するユーザーの目的は
ストレス解消なのだろうか…?
なんて思ったりもしました。
要は溜まったストレスを、匿名で世の中に吐き出す、という利用方法です。
王様の耳はロバの耳~~~~っ!!
みたいな(笑)。
心の中で渦巻く不平、不満などを、誰かに聞いてもらいたい。しかしリアルの世界でそんなことはできない。
だったらネットの世界で叫ぼうと。そこではきっと誰かがオレの声を聞いてくれる。共感してくれる人だっているかもしれない。
そんな需要があったのかな、なんて思ったりもしました。
だとすると、何と後ろ向きなコミュニケーション・ツールなのだろうと。
もしこれがサービスの本質だとしたら、あまり健全ではないですよね。
ただこの利用方法で救われた方も多々いるかもしれないので、一概には悪く言えませんが…。
逆に面倒な人間関係が増えてない?
Twitterのサービスが年と共に充実していき、テキスト以外にも画像や動画などをアップできるようになりました。
これによって以前持っていたような
140文字なんていう狭い領域では、十分な情報を発信できない
というネガティブな思想は通用しなくなりましたね。
短文 × 画像を駆使した“一発ネタ”や“わかりやすい意見の投稿”、そして“Web誘導への玄関的利用”が一般的となり、ユーザーの表現の幅は大きく広がったと思います。
また、その表現の幅の広がりと元来持っていた“口コミの威力”が相乗効果をもたらし、TwitterはSNSの王者となったわけです。
いわゆる“バズる”という社会現象も発生し、発信者のツイートが一夜にして大きなトレンドとなることも増えていきました。
逆に“炎上”というマイナスのベクトルでの反応も発生し、そのサービスが“諸刃の剣”であることも社会問題となっています。
ですので、そのような盛り上がりを見るにつけ
…なんか…余計な人間関係を自ら作ってるようだな…
という、ネガティブな感想を持ってしまうのです。
ツイートを行っている方のほとんどは、世の中に自分の意見に対する共感を求めているのだと思います。
それはいわゆる“承認欲求行為”のひとつであり、他人から好意的な反応を求めたい衝動がそうさせていると思うんですよね。
この点においては、今現在私が文章を書いてアップしているのとまったく同じ感覚だと思います。私もめちゃくちゃそれ、欲しがってますからね(苦笑)。
やはり自分の意見が共感されたり、好意的な反応をしていただけると嬉しいですよ。この快感を得たいがためだけに、サイトを運営しているといってもいいくらいですからね。
ただそれが行き過ぎてしまうと、Twitterの場が単なる自己顕示欲渦巻くフィールドになってしまい、そのマウントを取り合う戦場と化してしまいます。
さらにTwitterは双方向性や伝播性がブログより圧倒的に優れているだけに、ネット内での新たな人間関係やコミュニティが構築されやすいんですよね。
そんなコミュニティが戦場になってしまうととても悲惨だなと。
ですので先ほどの
…なんか…余計な人間関係を自ら作ってるようだな…
といった感想を持ってしまうし、さらには
わざわざそんな火の中に飛び込まなくても…
というような、少し冷めた目でそれを見てしまったんですよね。
情報の洪水に翻弄されない?
Twitterの圧倒的な口コミ能力というのは、自動的にタイムライン上に積み上がってくる情報の多さにあると思うんですよ。
おそらくは過去に見たツイートに紐づいたジャンルや、初期設定した興味の中から自動的にどんどんタイムライン上に情報が入ってくるのだと思われます。
これは自分にとって有用な情報を漏らさず収集できる、という点でとてもメリットがあると思うのですが、
“情報の洪水化現象”によって、逆に翻弄されちゃうんじゃないかな?
なんてデメリットも感じてしまうんですよ。
要は泉の如くあふれ出る情報に、個人のキャパシティがついていけない、ということです。
さらには、次々に現れる新しい情報のウォッチングに時間を大幅に奪われて生活に支障をきたす、なんてことも考えられます。
そんな依存症ともいえるリスクがあることも、サービスの利用に対して慎重になってしまう要因と言えるでしょう。
見たくもないツイートが強制されるの嫌じゃない?
また、“情報の洪水化現象”がもたらす影響のひとつとして、
なんじゃ、このツイートは…
といったような、見たくもないツイートを見せられる、なんて現象があるかと思います。
相互にフォローしあった方が、実はものすごく不快な物言いをする方だった、なんてことになると、そのツイートがタイムライン上に現れ、その度に不快な気分になるという。
これもねぇ、ストレスなのではないかと勝手に勘ぐってしまうんですよ。なんかいろいろな罠が多そうだな、なんて。
“Twitter食わず嫌い”がTwitterに挑戦
しかしながら今回、そんな“食わず嫌い”サービスに挑んでみることにしました。というのも
食わず嫌いの悪い想像で敬遠するのもよろしくないよな…
これだけ世間に需要があるのだから、何か大きな利点があるのだろう
といった気持ちが湧いてきたからです。ちょっと遅いですけどね、我ながら(苦笑)。
まずはアカウントを作成し、実際にそのフィールドに出てみて、今まで想像していた“食わず嫌い”のデメリットがどれくらい現実と相違しているのかを確認してみたいと思います。
そして考えてもいなかったメリットをたくさん見つけ、
なんだよ、これならもっと早くTwitterをやっていればよかったよ!
なんてイメージ変換ができれば最高ですよね。
そんなハッピーストーリーを妄想しつつ、少しいじってみたいと思います。
そして“Twitter嫌い”だった人物が、実際に体験してみてその印象がどう変わったのかを、後日書いてみたいと思いますのでお楽しみに。ではまた。
【追記】その後日談です。ご興味ありましたらどうぞ👇。
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