80年代のプロレス界で起きた痛快な下克上
革命前夜
1980年代前期の『ワールドプロレスリング』、いわゆる『新日本プロレス』は、視聴率が20%を超えるというまさに絶頂期でした。
それはエースであるアントニオ猪木の人気に加え、タイガーマスクというスーパースターが誕生し、社会的なブームになったということがその要因です。
そんな絶頂期でしたが、タイガーマスクはあくまで軽量級(ジュニアヘビー級)の選手でした。やはりプロレスの王道はヘビー級です。ヘビー級が盛り上がってナンボ、という不文律がそこには厳然と存在していたのです。
しかもヘビー級のエース・アントニオ猪木にはやや老いが見え始めてきた時期で、次なるヘビー級のスター誕生が望まれている時期でもありました。
その第一候補は猪木の愛弟子である藤波辰巳。彼はジュニアヘビー級からヘビー級へ転身を果たし、そのキャリアをステップアップしていこうとしていた最中でした。当然私も世論も
猪木の後継者は藤波だな
という認識で一致しており、彼の順調な成長を見守っていました。
しかしその規定路線に突然“待った”をかけた男が登場するのです。それがその後プロレス界に数々の革命を起こした長州力でした。
金曜8時に起きた革命
金曜日の夜8時、当時小学5年生だった私はいつものように『ワールドプロレスリング』にチャンネルを合わせていました。
試合は猪木&藤波&長州組 VS 外国人チームの6人タッグマッチ。後楽園ホールからの生中継です。このチーム編成を見た私は
あ~、これは長州がやられて終わりかな?
と、その試合展開を読んでいました。
プロレスには序列や格というものがあり、それらはレスラーの実績や実力、さらに華や人気によってなんとなくランク付けされます。
ですので、タッグマッチにおいて負ける可能性が高いのは、そのランクがリング上で一番下のレスラーであることが多いわけです。
つまり私はその法則から今回の負けレスラーが、長州か外国人チームの一番弱いレスラーだと読んでいたわけです。
それくらい当時の長州はレスラーとしてパッとしておらず、目立たない選手でした。それゆえ小学5年生の私にすら、そのような過少評価を受けていた存在だったのです。
しかしこのタッグマッチは私の予想とは別の方向で、妙な空気を醸し出すことになります。試合開始時点からやたらと長州の態度が悪く、チームメイトの藤波に対して何かしらと立てつくのです。
それは藤波のタッチを拒否したり、そっぽを向いたり、ちょっとしたことで罵倒したりといった行動で、およそ同じチームとしてはありえないような、ディスコミュニケーションを繰り広げました。
つまり彼が持っていたイライラを、藤波にぶつけるような態度を終始取っていたのです。この異様な展開を見た私は
…⁇ 長州はいったい何をやっているんだ?
と、彼の行動が理解できず、さらには
長州の分際でエース候補の藤波に、何を反抗してるんだよ!
と、怒りにも似た不快な感情を彼に対して抱いていました。
それは当の藤波も同じ思いだったらしく、とうとう彼は業を煮やして長州に平手打ちをかまします。するとそれでスイッチが入ったのか、長州も藤波に殴り掛かり、外国人チームそっちのけで乱闘を繰り広げました。
こうなると試合はもうめちゃくちゃです。そんな混乱したリング上で、長州はマイクを取って藤波に対し、後世に残る発言を放ったのです。
オレはお前の噛ませ犬じゃない!!
それは下のランクでくすぶっていた選手が、上位の選手に対して下克上を仕掛けるという、リング上での革命が起きた瞬間でした。
“序列を崩す”という革命
彼の噛ませ犬発言は、私に生まれて初めて“上に立てつく”というシーンを目の当たりにさせてくれました。これは幼き私にとっては、なかなかに衝撃的なことだったんですよ。
というのも、親や先生といった目上の存在に対し、真っ向立てつく行為などはご法度、という道徳観念がまだまだ強かったからです…いやぁ~、素直ないい子だったんですよ、私(笑)。
ですので、子どもでも認識していた
という動かしがたい序列が絶対ではないと、一夜にして知らしめたこの状況は、当時の私の頭を大きく混乱させるとともに、
プロレスはこんなルール違反をしてもいいんだ…!
という新たな価値観を私に植えつけたのです。まあ別にこれはルール違反じゃないんですけどね(苦笑)。当時の私にはそう映ったわけで(笑)。
そしてそれを実行した長州力というレスラーを、序列上では
顔じゃないだろ!
と嫌悪しつつも、頭の中では
でも勇気あるな。今後の行動が気になるな…
と、否が応でも彼は“急上昇ワード”ならぬ“急上昇レスラー”になってしまったのです。
“名勝負数え唄”という革命
序列を崩すという大それた革命を行った長州ですが、それが口だけだったら逆に彼の評価を下げるわけです。言ったからには、それに相応する行動を示さねばなりません。
格下の長州が下克上を起こしたことについて
立場をわきまえろ
と幼心に感じていた私にとって、ここはとても重要なポイントです。
ですので、後楽園ホールの“噛ませ犬発言事件”後、初めて組まれた二人のシングルマッチは大注目だったわけです。そして心の中では
おそらく長州が藤波に返り討ちにされ、恥をかくのだろう
と予想していました。
しかしながら、そんな私の予想は大きく裏切られることになります。この試合で長州は躍動し、藤波にまったく引けを取らないファイトを見せるのです。
それどころか、“成り上りたい”という自身の欲望を隠すことなくさらけ出したそのファイトは、のちに“ハイスパット・レスリング”と呼ばれる出だしから飛ばしまくるファイトスタイルで、とても新鮮かつエネルギッシュでした。
これを見た私は
長州ってこんなに強かったの!?
と、彼の知られざるポテンシャルに衝撃を受けた次第です。
だってねぇ、“猪木の後継者”、“次期新日本プロレスのエース”と世間的にも認められていた藤波を相手に、まったくもってそん色ないファイトをしていたんですよ、長州は。
まあミュンヘンオリンピックにアマレスで出場したバックボーンを考えれば、そのポテンシャルがあったことは当たり前といえば当たり前なのですが、当時の私は長州のアスリート遍歴なんて知らなかったですからね。とにかくびっくりですよ。
結局この試合はアクシデントによる無効試合となり、痛み分けとなりました。しかしながら、全国のお茶の間に長州力の真の実力を見せつけるには十分な内容であり、長州力というレスラーが“口だけではない”と証明した瞬間でした。
正直言ってですね、この段階で私、完全に長州力に魅了されてしまいました(笑)。“噛ませ犬発言”のときは不快なイメージを持っていたはずなのに、彼がきちんと実力を証明したので素直に
痛快でカッコいい!!
と感じてしまったんですね。
もともとアンチ巨人、アンチタイガーマスクという反体制気質もあったため、彼の下克上スタイルは私の心をガッチリとつかんでしまったのでした。そこからはもう、全力で長州応援団ですよ(笑)。
私のような気持ちで長州に魅了された人は多かったと思いますね。それくらい彼の成り上がり様は痛快であり、世の中や自分の環境に鬱屈とした不満を抱えていた人ほど、彼に勇気を与えられたのではないでしょうか。
そして彼は1983年の4月、WWFインターヘビー級のタイトルマッチで見事に藤波からフォールを奪い、ベルトを戴冠。誰もが予想していなかった“藤波超え”を果たしたのです。
しかしケンカを売られた藤波も黙っておらず、その後も二人は幾度となく闘いを繰り広げます。その試合はどれもが噛み合った激しいものとなり、視聴者を飽きさせませんでした。
その様は“名勝負数え唄”と呼ばれ、今でもプロレス界に燦然と輝く一大抗争劇として、歴史に名を残しております。
そしてその痛快な下克上は、長州の隠れていたポテンシャルがあったからこそ、ともいえるのですが、実はそれを受けた藤波の試合巧者ぶりがそれを可能にした、という側面も大きかったのではないかと感じています。
当時は激烈で勢いあるファイトスタイルの長州に目が行きがちでしたが、実はそれを全部受け切った上で、さらに試合を面白くなる方向に導いた藤波の懐の深さの方も、レスラーとしてとんでもない能力だったのではないかと。
ですのでこの二人の闘いが輝いたのは、“藤波の天才的な受けの技術”があってこそと、個人的には彼を評価しております。
ともあれエース候補・藤波に真っ向勝負することで、その存在感を大いに増した長州力。その革命行動は、その後もマット界に大きな波紋を広げることになります。それについては次回をお楽しみに。ではまた。
コメント