80年代に進化し続けた家庭用ゲーム機
ファミコンとはいったい何だったのか?
さて、このコラムで80年代のファミコンについて語るのは、今回でいったんおしまいです。また思うところがあったら書くかもしれませんが…。
最終回である今回は、”ファミコンとはいったい何だったのか?”について、感じたことを書いていきたいと思います。なかなか壮大なテーマなんですけどね(笑)。
結論から申し上げますと、私は“制限下におけるクリエイターの挑戦の歴史”だったのではないかと思っています。というのも、ファミコンの現役稼働期間は10年もありました。
日進月歩の先端技術業界における10年は、高性能機であったファミコンをあっという間に時代遅れのハードに風化させます。
しかしながらファミコンは必須インフラ並みに広く家庭に普及され、その商圏が拡大されすぎたがために、そう簡単にお蔵入りハードにするわけにはいかないという現象が起きました。
広大で魅力ある商用地盤を失うには抵抗がありすぎるわけです。
となると年々貧弱になっていくスペックを前に、クリエイター側は創意工夫でなんとかそれを補いながらコンテンツを開発していくという状況が顕著になったわけです。
言うなれば“しばり開発”の常態化です。
ただ私はそんな“しばり開発”の中で、クリエイターが切磋琢磨し、ハードの限界を超えたコンテンツを生み出してきたという情熱こそ、ファミコンだったのではないかと思うのです。

ファミコンのスペックでよくぞここまで…!
というソフトや周辺機器は、かなり多かったと思います。
最近のゲーム機は、クリエイター側が表現したいことを可能にするスペックが十分にあるし、その範囲が広いじゃないですか。
ですのでファミコン時代と比べたら、“しばり開発”においては、ないとは言わないまでも、かなり緩やかだと思うのです。
だからこそ、この時代のクリエイターの創意工夫や限界への挑戦に、大きな価値を感じてしまうんですね。
ではそういった技術や表現方法で、印象深かったものを具体的に書いていきましょう。
復活の呪文(パスワード)
80年代前半のゲームというのは、基本的に短時間で終わらせるものでした。1時間でそのエッセンスを堪能させ、プレイヤーを満足させると。
ですので、日をまたいでプレイするという想定はなかったんですね。
ところが80年代中盤からは、『ドラゴンクエスト』をはじめとする壮大なストーリーを持つゲームが誕生し、とても1日でゲームが終わらないというソフトがでてきました。
それは同時に“昨日の続きをどう復元するのか”という問題が生じることを意味し、その解決法がないとゲームが成立しないという問題に突き当たります。
そのソリューションが、ドラクエでいうところの“復活の呪文”でした。
ゲーム終了時にわけのわからない文章となった文字列を王様からいただき(笑)、それを一言一句間違うことなく入力することでゲームの続きができるというもので、当時中学生だった自分にとっては、なんとも摩訶不思議なシステムでしたね。
その詳しい仕組みは今でもうすらボンヤリとしているのですが(苦笑)、当時は

なんでこれできちんと続きができるの?
と不思議なことこの上なかったです。いくら考えてもよくわからなかったので、

でも実際に続きができるから便利でいいや
と、深く考えるのはやめました(笑)。
そんなわけのわからない文字列を、“呪文”と言い換えたエニックスのセンスには脱帽です。たしかに呪文ですよ、あれは。呪文ならわけのわからない言葉でも問題ないですもんね。うまいよな~。
ただこの仕組みは、一文字でも間違えると二度と続きができないというリスクと、呪文をメモし、入力するというダルい作業があり、なかなかに骨太硬派な仕組みだったと思います。
書き写し間違いで、何度地獄に叩き落されたことか(苦笑)。
そんな経験をすると、この作業に対するリスクヘッジも生まれてきます。それが呪文を複数書き留めるバックアップシステムです。

呪文①に不備があっても、呪文②があるぜっ!
というセーフティネットですね(笑)。バッテリーバックアップシステムならぬ、アナログバックアップシステムですよ(笑)。
あとは似ている文字フォントを入れ替えてみる作戦です。“ぬ”と“め”とか、“ね”と“れ”とか、とても怪しかったです(苦笑)。これで問題が解決したときは、かなり気持ちがよかったですね。

シャァッ!!
みたいな(笑)。
そんな復活の呪文ですが、変換の特性を利用して、ある文言を入れるとチートなステイタスでプレイできるなどの裏技も生まれました。『ドラゴンクエストⅡ』で有名なのが
ゆうて いみや おうきむ
こうほ りいゆ うじとり
やまあ きらぺ ぺぺぺぺ
ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ
ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ ぺぺ
ですね。由緒あるファミコン神拳奥義伝承者たちの名前の羅列です(笑)。
このように、スタッフのちょっとした悪ふざけのような仕込みがあったのも、懐かしい思い出です。
バッテリーバックアップ
こちらは復活の呪文の進化系です。
ロムカセット内に設置したコイン型電池を利用し、SRAMに常時通電させることでデータを保存してしまうという技術です。
ファミコンでは『森田将棋』(セタ)に実装されたのが最初らしく、その後RPGを中心にこの技術が広がっていきました。
正直パスワード運用の面倒くささに、いい加減嫌気がさしていた(苦笑)我々にとっては、夢のような技術でしたね。

なんて手軽で便利なんだ!
と感動しましたから。
記憶する限り、私が初めてこの技術を体感したのは、『ファイナルファンタジー』(スクウェア)と『ウィザードリィ』(アスキー)だったと思います。
当時はこの2本を同時並行でプレイするというぜいたくなゲームライフをしていたので、この仕組みは本当に助かりましたね。
もしこれ両方ともパスワードだったら、途中で投げ出していたかもしれません(苦笑)。
そんな便利な技術だったのですが、弱点もありました。データが消えやすいという弱点です。
よく聞くのは“リセットボタンを押さずに電源を切った”とか“ロムカセットに衝撃を与えてしまった”とか“カセット挿入時に接触不良があった”等によるデータ消失です。
幸いなことに、私はバッテリーバックアップにおいてデータの消失を食らうという経験はありませんでした。ただ巷でこういったケースをよく聞いたので、

運が悪い人もいるんだなあ
程度の認識でしたね。運がよくてすみません(苦笑)。
仮にデータが消失した場合、完全に一からやり直さなければならなかったのも、弱点の一つです。
パスワード式であれば、直近のメモから再開できるので、レベル喪失のダメージを最小限に抑えることができるんですね。
また、パスワードは物語の節目節目にしおりを挟めるようなものなので、

あのシーンをリプレイしたいな
と思ったときに、それが実行可能なんです。このあたり、面倒くさかったけど、パスワードの利点でもありました。
そんな弱点もありましたが、この技術がファミコンの世界を飛躍的に発展させたのは間違いないと思います。
ただこのバックアップ、いったい何年持つのよ、という問題もありました。電池がなくなれば当然データも消える運命なわけです。
メーカー的には「5年くらい」と公言していたのが一般的だったと記憶しています。
ところが実際はその予測値を大幅に超え、四半世紀以上保存されていたという衝撃の事実を、『ドラゴンクエストⅢ』で私自身が確認しています。
あれは2017年2月の出来事でした(笑)。当時のテキストを再録します。
『ドラクエⅢ』はじめました。
先月『ドラクエⅡ』をクリアした報告をしましたが、その流れで今度はⅢに手を出してしまいました(笑)。
実はDSのⅥをやろうと思っていたんですが、自分の心に正直に従うと…やりたいのはⅢでした。
問題はカセット内の電池でした。なんせ30年前の代物ですからね。セーブができなかったらやめようと思っていました。
さすがに電池を取り換えてまでは…と思っていたら、全然問題なくセーブできるし。すげえな、当時のバッテリー(笑)。ただ消えやすくて有名な電池なので、消えたら諦めます。
旧オレ流ホームページより
このように、久々にファミコン実機での『ドラクエⅢ』のリプレイを始めたわけです。ところがなんと…! ゾーマ戦直前でセーブデータが3つとも消失するという地獄を味わいました。
現役時代にはデータ消失という経験がなかったのに、30年後にそれを食らうというまさかのオチ(苦笑)。人生って面白いな(笑)。
巨大キャラ
そのスペック上、大きなキャラクターを動かすことができないファミコンでしたが、80年代中盤からはそれを可能としていました。
巨大キャラの原点は『スターソルジャー』に登場する巨大ボス“ビッグスターブレイン”だといわれ、これが画面上で登場したときの衝撃はすごかったらしいです。
私はシューティングが下手だったので、『スターソルジャー』はやってないんですけどね。リアルタイムで味わう衝撃に乗り遅れた(苦笑)。
ではどうやって巨大キャラを実現したかというのは、コペンさんの動画がわかりやすいです。
要はキャラの大部分を静止画である背景でまかない、当たり判定や動きがある小さい部分に、スプライトを使った動きあるキャラクターを割り当てるという、ハイブリッド方式を発明したわけです。
イメージ的にはあれかな、観光地によくある、記念撮影用の顔だけだすパネル? あれってパネルの絵は動かないけど大きいじゃないですか。
でも顔を入れる部分は小さいけど、自由に顔を動かして表情を作れるじゃないですか。
でもって、そのパネルを両手を広げて抱えて、全体を動かしながら、表情をあれやこれや細かく動かすと…巨大キャラの誕生ですよ。
そんな感じです…だと思うんですけど(笑)。
コナミの『月風魔伝』では、“新方式ゲートアレイ採用!!”という触れ込みで、大きなキャラを動かしていたことをアピールしています。
その“ゲートアレイ”という仕組みはさっぱりとわからなかったのですが、

何やらすごそうだ
というインパクトを与えるには十分でしたね(笑)。まあたしかに大きなキャラが動いてましたし。
後から調べたところによると、このために『月風魔伝』はどうやら特殊チップを積んでいたようなんですよ。まあドーピングみたいなものです(笑)。
ただこのような、ロムカセット側に後付けのICを積むというのは、中~後期のファミコンには顕著な現象となり、このような工夫でハードのスペックを超える表現を生んでいったわけです。
これこそ”制限下におけるクリエイターの挑戦の歴史”そのものであり、とても感慨深い現象でしたね。
グラフィックス
王道の色替えキャラ
ドラクエ等を筆頭に、同じデザインのキャラが色だけ変わって別キャラとして登場することは多かったですね。
ファミコンは常に容量との戦いだったので、キャラを効率的に増やすための工夫だったわけです。
セコいといえばセコい方法なのですが、クリエイター側の創意工夫、もしくは裏技と捉えると、知恵を絞っているんだなあと感じられて、当時は感心してしまいました。
まあデジカメでとった写真データ1枚よりも、全然少ない容量でゲーム1本を作っていた時代ですからね…マストですよね。
ただ実際には

ま~た使いまわしかよ
と思っていたことは秘密です(苦笑)。
コナミとカプコン
当時グラフィックスの良し悪しは、ソフト購入を決断させる大きな要素だったと思います。
ファミコン専門誌にリリースされた画像写真でイカしたグラフィックスを見ると、ムクムクと購入意欲が湧いたもんです(笑)。
グラフィックスがイカしているかどうかの評価点は、“どこまでアーケードゲームのグラフィックスに近づけているか”でしたね。
ファミコンは使用できる色数が豊富ではなく、当然アーケードゲームのグラフィックスとは雲泥の差があります。
しかしながらそんな貧弱なグラフィックスペックでも、頑張ってアーケードに寄せている努力が大いに感じられるソフトも多数ありました。
その中でも個人的にレベルが高いと思っていたメーカーが、コナミとカプコンです。
具体的なタイトルをあげると、コナミでは『悪魔城ドラキュラ』、『火の鳥 鳳凰編』、『沙羅曼蛇』、『魂斗羅』、『グラディウスⅡ』などが印象深いです。
カプコンでは『魔界村』、『闘いの挽歌』、『ロックマンシリーズ』、『スウィートホーム』などが印象に残っていますね。
この2メーカーは、少ない色数を美麗にみせるテクニックを持っていたというか、画面にグラデーション感を感じさせる表現法に優れていたと思います。陰影をつけるのがうまいんですよね。
グラフィックがチープでしょぼいソフトがたくさんある中で、同じファミコンスペックなのにこうも違うものかと、その技術力の高さにほれぼれしたことを覚えています。
このような技術を見るにつけ、クリエイターは相当苦労していたのだろうな、と感じていました。
裏を返せばそこに制限下でもがくクリエイターのプロ根性を垣間見ることができ、子どもながら大きな感銘を受けたものです。
メタルスレイダーグローリー
ファミコングラフィックスを語る上で外せないのは、HAL研究所がリリースした『メタルスレイダーグローリー』ですかね。
ファミコン末期に発売されたタイトルで、ファミコングラフィックスの集大成のようなソフトです。
8メガビットロムという、当時最大の容量を投入したその描画表現は、ファミコンの限界を遥か高いレベルで超えていました。
スーパーファミコンレベルとまではいかないものの、それに近しい表現を備えていたと思います。
当時の私、このソフトを発売日に購入しました。とにかくグラフィックスに気合が入っているとの触れ込みだったので、その技術力を確認してみたかったんですよ。
さすがは大容量8メガロムだったので、けっこうお高かったです(苦笑)。
でもって早速プレイしたのですが、まあびっくりですよ。まず色数が多い。髪の毛や瞳の色に中間色を使っているので、それだけでイラストに質感が増しています。
加えてキャラクターが瞬きをしたり、会話時に口が動いたりとアニメーションをするので、臨場感も増していました。特殊チップを積むことで、多彩な映像演出が可能になっていたようです。
実はこのソフト、開発に時間がかかりすぎて、リリース時にはすでに次世代機であるスーパーファミコンが発売されていました。
ですので、もっときれいなグラフィックスを追い求めるのであれば、スーパーファミコンでリリースした方がよかったわけです。
ところが敢えてのファミコンでのリリース。このあたりに

ファミコンで限界に挑戦するんじゃ!
というクリエイター側の意地が見えて、男気を感じますね。まあ

今さらスーファミに移行する方が時間も金もかかる
という理由も多分にあったとは思いますが(苦笑)。
ちなみにこのソフトは、現在ではプレミアソフトとなっているようです。残念ながら私はクリアしてすぐに売ってしまったので、手元にはありません。失敗したかなぁ(笑)。
サウンド
サウンドについても、ファミコンは大きな進化を遂げてきました。その中でも、圧倒的な技術力を誇っていたのがコナミです。グラフィックスと合わせて2冠王といったところでしょうか。
コナミには有名な“コナミ矩形波俱楽部”というサウンドチームがあり、そこが奏でるサウンドはまさに職人技のそれでした。
『グラディウスⅡ』ではファミコンのネイティブスペックのみで信じられないほどの音質を叩き出し、

基本性能だけでここまでできるのか
と舌を巻いた記憶があります。
さらに特殊な音源チップをロムカセットに搭載することで、広がりのあるサウンドを実現しています。
有名どころでは『ラグランジュポイント』や『悪魔城伝説』、『魍魎戦記MADARA』などがそうであり、ユーザーの評価が高いようです。
個人的に思入れが強いのが、ナムコの『デジタル・デビル物語 女神転生』です。
Ⅰ、Ⅱともに好きでして、特にⅡではこちらも特殊音源チップを搭載し、音色を増やすことでサウンドに深みを増しています。
当時は様々なゲームミュージックCDが発売されましたが、リリース情報を聞いて購入を即決したのは、後にも先にもこの『デジタル・デビル物語 女神転生』だけです。
今でもたまに聞きますけど、よいですね~(笑)。
以上のように、初期のややチープなサウンドから、後期には驚くほど厚みのあるサウンドに進化した点も、クリエイター側が限界を常に超えてきた証だと思うわけです。
ロムの大容量化
ディスクシステムが開発された要因の一つに、ロムの高騰がありました。
このままだとロムカセットの販売単価は上がる一方であり、それによるユーザー離れが進むことを恐れた任天堂が、ディスクという提案を行ったわけです。
そしてこのディスクシステムは、ロムカセットよりも大容量であることも、そのウリの一つでした。
ところが高騰していたロム価格はある時点で下がりはじめ、任天堂の心配は杞憂に終わりました。そのタイミングで、ロムの大容量化が進んでいくことになります。
ハードスペックが限界を迎え、その解決策としてソフト側の容量を増やし、ゲームを進化させる方策がとられたわけです。
このロムの大容量化は、宣伝文句にもなりました。
記憶する限り容量を広告コピーに採用したのは、コナミの『がんばれゴエモン からくり道中』が初めてだったと思います。

初の2Mビットでござる。
というキャッチコピーを前面に出していました。
当時はビットとかバイトとかよくわかりませんでしたが(今でもそうか(笑))、“とにかく今までよりも数字が大きければすごい”という直感的理由で、とてもインパクトがあったことを覚えています。
スーパーカーの最高速度表示と同じ感覚といえばわかりますかね(笑)。
でも実際の話、ロム容量が大きいほど中身が充実したソフトであるという相関性は、少なからずあったと感じています。当時の私の感覚では、
- 2メガ…なかなか充実してそう
- 3メガ…すげえな。内容濃そうだな
- 4メガ…絶対面白いに決まってる
こんな感じです(苦笑)。ちょっと短絡すぎて笑えますけどね。
ちなみにファミコン最大容量ソフトは、先ほど紹介した『メタルスレイダーグローリー』の8メガビットらしいです。
ただこの流れにより、ディスクシステムの風化が進んだことは間違いがないと思われます。アドバンテージであったはずの容量が、あっという間にロムカセットに追い越されたわけですからね。
でもロムの増量は単価にそのまま反映されるので、リーズナブルさという点では、ディスクシステムに軍配が上がり続けていました。
以上のように、この大容量化も“制限下におけるクリエイターの挑戦の歴史”の一環だと思うわけです。まあ“容量追加してるんだから、制限下じゃないじゃん”とも言われそうですけどね。
ただほら、クリエイター側の“あがき”は感じるでしょ(笑)?
ナーシャ・ジベリというオーパーツ
ファミコン時代のプログラミング技術を語る上で外せないのが、ナーシャ・ジベリというプログラマの存在です。
彼はスクウェアの『ハイウェイスター』や『ファイナルファンタジーシリーズ』のメインプログラムを担当したイラン出身のプログラマで、ファミコンのスペックでは不可能といわれていた表現を、軽々と実現した伝説を持つ方です。
すでに有名な話にはなっていますが、あらためていくつかご紹介いたします。
なめらか3Dスクロール
ナーシャは疑似3Dスクロールタイプの『とびだせ大作戦』や『ハイウェイスター』をプログラムしています。
彼のプログラムで驚異的なのは、高低差の演出、いわゆるアップダウンの表現を、ファミコンのスペックで実装したことです。
これを実現するには“ラスタースクロール”という技法が必要で、当時のファミコンではそれは不可能とされていた技術だったらしいのです。
それを彼は軽々とやってのけ、なめらかな3Dスクロールを実現し、世間を驚かせました。
FF飛空艇プログラム
『ファイナルファンタジー』では、その移動手段に飛空艇があります。
演出サイドはこの飛空艇に影をつけ、より浮遊感を出したいとのリクエストを出したそうです。しかしそのプログラムは言うほど簡単なことではなく、制作サイドからは

無理だよ
との回答が返ってきました。
そこでナーシャに相談をすると、彼は翌日には演出サイドのリクエスト通りに飛空艇の影を実装し、さらには移動スピードを徒歩の4倍にするというおまけまでつけていたそうです。
“無理だよ”と言われたことが翌日には実現しているという事実。まさに天才です。
さらにいうと、おまけでついた“4倍速スクロール”は、現在でもどう実現したのかがよくわからないという謎仕様となっており、“ファミコンのCPUのエラーに近い挙動を使用して実現していたらしい”ということらしいです。
唖然として言葉がでないくらいのインパクトですよね(苦笑)。
技術が追いつくまでに16年
ファミコンが現役を撤退し、次世代マシンにそのフィールドが移った際、リメイクブームが起きました。
ところが『ファイナルファンタジーⅢ』はなかなかそのリメイクが進まず、それが実現したのはオリジナルの発売後16年を経た2006年でした。
なぜこのようなことが起きたかというと、プログラマであるナーシャがファミコンで書いた演出プログラムの再現が難しかったからだそうです。

ハードスペックで圧倒的に有利な次世代機で、再現が難しいなんてことがあるのか?
と、誰もが疑問を呈すると思うのですが、それが事実だそうです。
となると、彼は16年先の技術を先取りしていたともいえ、オリジナル発表時のそれは、もはや“オーパーツ”と認定せざるを得ない状況です(笑)。
ここまではファミコンスペックに対するクリエイター側の苦悩と奮戦を多めに書いてきましたが、彼についてはあまりそれがあてはまっておらず、別次元の存在となっていますね。
しかしながら、創意工夫であり得ないことを実現している事実は、ファミコン史を語るうえでは外せないエピソードだと思います。
まとめ
以上、ファミコンとは”制限下におけるクリエイターの挑戦の歴史”だったという、私個人の持論について書かせていただきました。
ファミコンが現役であったおよそ10年間、開発サイドのこのような努力があり、我々は楽しい毎日を過ごさせていただいたんですね。それについては本当に感謝という言葉しかありません。
もちろん最新のゲームソフト開発でも“しばり開発”という状況は存在するであろうし、そんな状態はゲーム以外のジャンルでも世の中には山ほどあると思います。
しかし社会のことをまだよく知らない少年時代に、こういったクリエイター側の制限下における創意工夫や技術開発、切磋琢磨をより身近に触れることができた最初の機会がファミコンであったことは間違いがなく、私にとってはとても印象深い思い出なんですよね。
そしてそのことがどのジャンルのそれよりも、私に愛着を感じさせているのだと思います。
最後に
さて、全9回にわたって続いたこのシリーズも、ここでいったん幕を閉じさせていただきます。ファミコンについて書きたいことは、あらかた書いたつもりですので…。
ただまさかここまで回数を重ねるとは、夢にも思いませんでした(苦笑)。結局第1回リリースからなんだかんだ1年近くの連載になってしまいましたからね…。
まあまた何か思い出したら書いてみますので、そのときはよろしくお願い致します。ではまた。


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