24年ぶりのスグル新シリーズにおいて、重要な初戦を任された完璧超人。テリーを圧倒的に降し、新勢力の実力を見せつける役割を担ったキャラだと思いきや、真なる役割は別にあった…?
出身 | フランス |
超人強度 | 4800万パワー |
必殺技 |
ドリフト・タックル |
主な戦績 | テリーマン● |
記念碑的栄誉を手にしたキャラ?
彼はキン肉マン第二シーズンの『完璧超人始祖編』にて、『完璧・無量対数軍』の一員として初登場しました。
まさかのキン肉マン、24年ぶりの連載再開。この青天の霹靂の中で、
いったいどんな話になるんだろう?
と、その期待度を否が応でも押し上げたことを記憶している方も多いのではないでしょうか。
そしてそのストーリーは皆さんご存じの通り、悠久の時を超えた師弟のイデオロギー闘争を、愛憎深く描写した壮大なサーガとなっており、シリーズ最高傑作の呼び声も高いです。
そんなシリーズの先鋒として決戦の火ぶたを切ったのが彼、マックスラジアルでした。それは数いるキャラの中でもかなり恵まれたシチュエーションでデビューを飾ったキャラだったとも言え、ある意味記念碑的な栄誉を手にしたキャラだともいえるでしょう。
これを第一シーズンに置き換えるならば、スグルと試合形式で一番最初に闘ったゴーリキに相当する栄誉、といったところでしょうか…あれ? あんまり記念碑っぽくないな、おっかしいな(笑)。
フォルム
そのフォルムはマックス(最大の)ラジアル(半径)という彼の名前の通り、両肩に装着された巨大なタイヤが大きな自己主張をしていました。
肩に円盤的な物質を装着しているキャラにはロビンマスクや悪魔将軍などがいるのですが、彼のタイヤは今までの誰よりも大きな装着物であり、一目で攻撃の特性を連想できるキャラでしたね。
そしてその巨大なタイヤに比例するかのように、ガタイも大きいです。
身長は256㎝と数いる完璧・無量大数軍の中でも武道と並んで1、2を争うサイズであり、しかもウエストが細くて足が長いので、アンコ型の武道とは違ってシルエットがスマートです。今風のレスラーといった感じですね。
そんな身長のアドバンテージがあるせいか、彼はテリーマンに対して
チビ野郎
という蔑みを持った発言を多くしています。ただ彼にかかってはほとんどの超人がチビ判定されてしまうので、実は闘うたびに相手をチビ呼ばわりしていたのかもしれません(苦笑)。
しかしながら足が長いスマートなシルエットは重心が高く感じられ、それが足腰の弱さを感じさせるのは否めないところです。しかも彼は上半身にあれだけ巨大かつ重量感あるタイヤを装着しているため、
あの上半身を支えるには、ちょっと不安を感じさせる足腰だな…
という、下半身の踏ん張りの足りなさを個人的には感じましたね。ローキックに弱そう、みたいな(苦笑)。
そして西洋甲冑の鉄仮面をモチーフとしたマスクは、その庇のデザインの共通性から、どことなくロビンマスク臭を感じさせます。
つまりこのロビン臭のおかげで、時折のぞき見える素顔がちょっとブサイクっぽくても(笑)、彼は外見がカッコいい超人の部類に属することができるというメリットを持っていたといえるでしょう。
さらにそのメリットとスマートな外見を有効活用し、印象的な立ち回りをさせれば、十分人気超人となり得るポテンシャルを所持した超人だったように思えます。
もう一つ、彼のフォルムで特徴的なのが、サスペンションでできた両足でしょうか。ダンパーとなっているこの足は軟質で、関節技が効かないという利点があります。言うなれば、部分的にスプリングマンの特性を所持しているわけですね。
つまり彼は日常生活においてもビョンビョンと弾むような足取りで歩いていることになり、それゆえ
ドクター中松さんのジャンピングシューズいらず!
と思わずにはいられません…って、え? 思わないですか(苦笑)?
ファイトスタイル
ファイトスタイルは、一目で目を引く巨大なタイヤを利用した攻撃です。
まずは巨大タイヤを高速で回転させながら激突する『ドリフト・タックル』。そして回転の強大な摩擦と圧で相手の身体を削る『ビッグラジアル・インパクト』。
これらのフェイバリットは彼の“完裂”という異名を見事に表現しており、かなり痛々しい攻撃を得意とする超人だといえます。
特に『ビッグラジアル・インパクト』は左右両方のタイヤで攻撃ができるので、二人同時に相手をすることが可能であり、その巨体フォルムと相まって、彼の豪快な攻撃力をより強調することができました。
そしてそのアピールの餌食に選ばれた最初の超人があのビッグボンバーズであったのは、まさに適材適所とだったいえるでしょうか(苦笑)。これによって彼は実力差がある相手(笑)であれば、1対2でもお構いなし、という凄みを読者に植えつけたと思われます。
と同時に、己のフェイバリットである『カナディアン・バックブリーカー』で体を削られたカナディアンマンにはいつもながら
お気の毒様…
としか言いようがなく、なんとも切ない気持ちにもなったものです(苦笑)。
また、彼の攻撃で印象的なのが
相手の痛々しい負傷描写
でしょうか。
彼の攻撃を受けると、まるで肉体をえぐり取られたような凄惨なタイヤパターンの裂傷が、体に刻まれるんですよ。これが作品中数ある技の中でも、ダメージ表現としては図抜けて痛々しいんです。
もちろん彼のフェイバリットよりも強力な技はたくさんあるのですが、こと見た目の残酷さ、痛みの伝わり方においては、トップクラスのフェイバリットだと思いますね。
また、この圧倒的な攻撃特性を持つ巨大タイヤは、防御においても優れた能力を発揮しています。
ターンバックルに激突しそうな場合はタイヤを回転させてそれを駆け上がることで激突の力を上方向に逃がしたり、『カーフ・ブランディング』のようなスタンプ技を、このタイヤが先にクッションとなることで防いでしまいます。
つまりエアーが入ったタイヤは、技の衝撃から身を守る一種のエアバッグでもあるわけなんですね。
以上のように、彼は攻防において自身の大きな特性に一点集中したファイトスタイルを持つ超人であり、ザ・マンリキやモーターマンなどと同系統の超人といえるでしょうか。
もし彼が『キン肉星王位争奪編』に登場していたとしたら、間違いなく技巧チームに入っていたような気がしますね(笑)。
彼の敗因とは
そんな特性一点集中タイプで強烈な攻撃力と防御力を持つ彼ですが、それは裏を返せば
その武器が破壊されれば大きく弱体化する
ということを示しています。
実際の話、彼はテリーマンに右側のタイヤのラバーを削がれ、パンクさせられると、一気に劣勢に回ります。
片輪になった彼は防御バランスが崩れて『カーフ・ブランディング』を防げず、最終的には『全身全霊をかけたブレーンバスター』により、敗北を喫してしまうのです。
つまり彼の強さと弱さはあまりにも表裏一体であり、まるで諸刃の剣のような様相を呈していた超人だったともいえるのではないでしょうか。
おそらくですが、彼はこれまでのキャリアにおいて、自身のタイヤの耐久性を疑ったことはなかったのではないでしょうか。というより、はなからそんなリスクは頭になかったのかもしれません。
それくらい彼の巨大タイヤは、そのようなリスクに直面する前に相手を裂殺していたのでしょう。実際の話、彼は
完璧超人は常に短い時間、最高の技で勝ち続けなければ存在価値はない
と語っています。
しかしその考え方は自身の特性をケアするという思考を奪い取り、逆に盲目的な過信をするという思考につながったのかもしれません。そしてそれこそが、彼の最大の弱点であり敗因だったのではないでしょうか。
タイヤの消耗について
テリーは逆転の糸口を、リング上に落ちたタイヤカスから見つけました。このテリーの描写を見たときに、実は私は
…なんかF1チックだな…
と感じてしまいました。
というのも、私はF1が好きなので、レース中にコースに落下するタイヤカス(マーブル)や、それに伴うタイヤの摩耗といったことに反応しやすいんですね(笑)。
そしてタイヤの摩耗は極端に車の性能を落とし、かつバースト(パンク)の恐れがあるとかをすぐに想像しちゃうんですよ。
それだけに、この試合がタイヤカスによって展開が変わったことに、妙な親近感を感じるんですよ。まあ余談なんですけどね(笑)。
でもそのような視点で彼を見ると、
なんできちんとタイヤを整備しとかなかったのかな…
なんていう感想が浮かんできちゃったりして。本来であれば一試合行うごとに彼は
タイヤの摩耗、空気圧をチェックしてくれ
な~んて、ディーラーや整備工場にメンテナンスに行かなきゃダメだったんですよ。でもって
ラジアルさん、左のタイヤの溝がもうないですね
マジか。じゃあ交換してくれ
10万円ほどかかりますが、よろしいですか?
ギャフン!
なんてやりとりが、日常茶飯事であるべきだったんですよ、きっと(笑)。
彼の真の役割とは
このように、24年ぶりに復活したスグルシリーズの、栄誉ある初戦に抜擢されながらも、残念ながら敗北を喫してしまったマックス・ラジアル。
初戦においてはその実力をまざまざと見せつけ、圧倒的実力差を表現するパターンが新勢力としての王道でありかつ役割であること考えると、その敗北は大きな失策であったといえるでしょう。
延いてはそれが彼に“役割を全うできなかった失格キャラ”の烙印を押してしまったかもしれません。
しかしながら、私は彼の真の役割は“圧倒的実力差で勝利すること”ではなく、
真の完璧超人の教義を読者に示すこと
だったのではないかと考えています。
24年ぶりに登場した完璧超人。新たな敵として現れたこの連中が、いったいどのようなイデオロギーを持っている集団なのか、それを広く指し示す役割こそが、マックス・ラジアルの役目だったように思えるのです。
というのも、この時点で我々が認識していた“完璧超人のイデオロギー”とは、ヘルミッショネルズが提示していた
- 鍛錬した己の肉体のみで闘わねばならない
- 闘いを感情で左右してはならない
- 敵に背を見せてはならない
- 凶器を使ったり反則をしてはならない
- 敗北してはならない
- 敗北した場合は自害せねばならない
という“完璧超人鉄の掟”以降、アップデートされていないんですよ。
ですので、新たに登場した完璧・無量大数軍にこの教義がまだ生きているのか、それとも解釈が異なった部分があるのかを、あらためてプレゼンする機会が必要不可欠だったんですね。
そのプレゼンターに選ばれたのが彼、マックス・ラジアルだったわけです。
そして彼が試合を通じてプレゼンした“完璧超人のイデオロギー”において、強く読者にアピールした点が2点ほどあったと考えています。ひとつずつ考察していきましょう。
1.プロセスに完璧さは求めない
ヘルミッショネルズ、特にネプチューンマンが語った“完璧超人のイデオロギー”というものは、先にあげた1~4の項目にあるように、
試合中の一挙手一投足においても完璧さを追求する
つまりは攻めるも守るもパーフェクト
といった、闘いのプロセスにおいてすらわずかな失策も許さないという、ガチガチの完璧主義でした。それはある意味イスラム原理主義のようでもあり、まさに完璧原理主義を掲げていたわけです。
ではマックス・ラジアルは、この経典どおりのファイトを繰り広げたのでしょうか。答えはNOです。実例をいくつか挙げて考察してみましょう。
まず一つ目の例としては、彼はあっさりとテリーに背後を許し、カーフ・ブランディングを食らっています。これは掟3に大きく背いた、ネプチューンマンからしてみれば許しがたき失策です。
そして二つ目に、ボロ雑巾になっても不敵な言動をとり続け、けっして気持ちが折れないテリーに対し、
嫌いなんだよ、オレは往生際の悪い超人っていうのが!
とイラついた様子を見せている様は、明らかに彼が感情に左右されていることがわかり、つまりは掟2にも反しています。
掟1や4においては抵触していないファイトをしているようですが、そもそも論で両肩の巨大タイヤを“肉体”と呼ぶには無理があり、
デフォルトが凶器所持だよな…
というツッコミを受けてしまう余地があるのは否めません(苦笑)。
ただそれを言ったら完璧原理主義者の一人であるケンダマンも同様なので、ここは目をつぶりましょうかね…と思ったのですが、ラジアルの横で武道が竹刀をビシバシと振り回し、ターボメンは鋭利なトゲを突き刺しまくっているので、なかなか目をつぶれないのが正直なところです(苦笑)。
このように、24年ぶりに登場した完璧超人であるマックス・ラジアルはとても完璧原理主義に則ったファイトをしているとは言い難く、掟1~4においては彼以外の完璧・無量大数軍を含め、そこまで重要視していない印象を読者に与えたと思われます。
つまり完璧・無量大数軍は
闘いのプロセスに完璧さは求めない
という価値観を持っており、その点において過去に我々が教育を受けた完璧原理主義とは大きく異なるんですね。
ではなぜ完璧原理主義が崩れたのかというと、
それを維持し続けると、作品が動脈硬化を起こすから
だったのではないかな、と思っております。
何を言っているかというと、完璧原理主義ではキャラクターのレンジが狭すぎて遊びが少なく、闘いにバリエーションが生まれづらい、ということです。
だって考えても見てくださいよ。闘うのは己の肉体だけ、凶器をつかっちゃダメ、背を向けちゃダメ、なんていうストイックな縛り設定を絶対としてしまったら、
- 出せる超人は人間型ばかり
- ギミックを体につけられず外見が地味
- ギミックがないから特殊能力の差別化がしづらい
- 背中を見せられないから格闘描写が大きく制限
という弊害が生じ、物語は劇的に地味でつまらないものになるでしょう。
それは例えるならばプロレス団体における道場マッチを描写することに近しく、そこにストイックさはあれど、壮大で心躍るサーガを描写するのは至難の業です。
そのデメリットを考えた結果、ゆで先生はこの完璧原理主義を少し緩める方向へ舵を切ったのだと思われます。そしてその意思を読者にプレゼンしたのがマックス・ラジアルだったのではないでしょうか。
2.より厳格となった“敗北=死”
とはいえです。とはいえ、完璧原理主義を緩めるという行為は、完璧超人を完璧超人足らしめないというリスクが伴います。
鉄の掟のストイックさこそが完璧超人なんじゃないの?
という考え方ですよね。それももっともな意見だと思います。
ですので、ゆで先生は掟の1~4を緩める代わりに
“敗北=死”をより厳格化する
こと、つまり掟の5、6を以前よりも徹底させることで、完璧超人のストイックさを維持しようとしたのではないでしょうか。
それを強く主張した表現が、敗北後のマックス・ラジアルの衝撃的な自害行動でしょう。武道が差し出した竹刀を杭代わりに、迷いなくその身を貫いていった彼の行動に、衝撃を受けた方は少なくないと思われます。
そしてその迷いなき行動の主因は
完璧超人は常に短い時間、最高の技で勝ち続けなければ存在価値はない
という、“完璧”をであることの証明として“常勝”や“絶対的勝利”を掲げた信念であり、そこに彼ら完璧超人としての教義および価値観を全振りしたのではないのではないでしょうか。
しかしながらこれを読んで
…でもさ、それだったらネプチューンマンだって人狼煙として自害したよね?
とすれば、当時から掟5、6は厳格だったんじゃない?
大きな差はないように感じるけど…
と思う方も多いでしょう。そうです、あの当時ネプチューンマンも見事なる“敗北=死”を実践しているんですよね。
ただですね、マックス・ラジアルの自害とネプチューンマンの自害には決定的な違いがあると思っていまして、それはその行動に至る意志の中に、どのくらいの割合で完璧超人の掟が影響力を持っているか、なんですね。
それをパーセンテージで表すとすれば、
掟に従う気持ちが5%
仲間の侵略行動を止めたい気持ちが95%
掟に従う気持ちが100%
だったのではなかったのかな、と感じています。
つまり敗れた正義超人に対する敬意や禊という気持ちが自己犠牲の大きな要因であるネプチューンマンと違い、マックス・ラジアルのそれは完全に完璧超人の掟や信念、価値観から生じた行動なのです。
そしてその思想による行動は、完璧超人の掟に対する彼らの盲信性や狂信性をまざまざと感じさせ、エッジが効きすぎたその行動原理に不気味な違和感を我々に与えました。
実際の話、マックス・ラジアルが死に至るまでの言動というものが、我々の理解を超えた恐怖を感じさせるものであったことに異論を唱える方は少ないのではないでしょうか。
しかしながらこれによって“敗北=死”という考え方こそが、24年ぶりに登場した新たな完璧超人の絶対的イデオロギーであることを強烈にアピールすることにつながり、
闘いとは相手を理解するために行うもの
という正義超人のイデオロギーと対極をなすことで、このシリーズの闘争テーマの大きな柱が確立されたわけです。
さらには、彼の自害を手助けした武道や他の完璧・無量大数軍の思考も受け入れがたいものであり、
こいつらとは闘えない…
とテリーが拒否反応を示したように、彼らのイデオロギーは何やらドス黒い不快感を我々読者にも与えたのでした。
そう考えると、彼の真の役割とは
圧倒的実力差で相手を倒すこと
ではなく、価値観の違いから生じるザラザラとした不快な違和感を我々に与え、
新勢力のイデオロギーを強烈にアピールすること
であったという考察も、あながち間違いではないのではないかなあ、なんて思います。
おわりに
以上、マックス・ラジアルに関する考察でした。
極論すれば、彼の役割とは
自害すること
だったわけです。
ここだけ切り取ると、彼はとても悲しい役割のキャラクターだったことになりますが、彼のこの行動があったことで、軍団のイデオロギーの違いが明確化されたといえます。
そしてその相違はその後発展するドラマの大きな基軸となり、結果的に壮大なサーガを作り出した起点だと考えれば、彼の功績はとても大きなものだったとはいえないでしょうか。
皆さんはどうお感じになられましたでしょうか。ではまた。
※今回は阿部さん、ダブりんちょさん、ハトランゼさん、完璧超人さん、近藤さん、レミントンさん、麦ロードさんほか、たくさんの方からリクエストをいただきました。ありがとうございました。
コメント
アキラさん、こんにちは!
新シリーズでも完璧原理主義を突き詰めたファイトを守ったのがジャスティスマンだとすると、彼が「地味」とか「プロレスではなく総合格闘技をやってる」とか評価されるのも頷けますね!やはり完璧超人の頂点の一人は、敗北=自害以外の掟も具現化した存在であるべきと考えられたのでしょうか?
でも、ネプチューンマンもベビーフェースのロビンマスクではなく、サタン様ような巧みなヒールが相手であれば、試合が面白くないと人間の観客からブーイングを受けることはなかったのではないかと思ってしまいます。プロレスの試合は誰と誰をマッチングさせるかで大分違いが出ますからね!
マックス・ラジアルの役目にはジャイアントキラー&不屈の闘志というテリーの個性を再確認する役割もあったと思います。その意味ではいいマッチングでしたね!!
たけFさん、こんにちは。
たしかにジャスティスマンだけ一人、完璧原理主義を貫いている感じはしますね(笑)。でも…そんな彼の試合を皆さんなんて言ってます? そう、塩試合、です。
ここからも、完璧原理主義がいかにエンターテイメントと対極にあるかがわかろうというものです。塩試合を増やすわけにはいかないので、やはりこの教義はやりすぎなんでしょうね。ただジャスティスマン一人だけこれを貫くのも個性なので、彼だけはこのままでよいのかもしれませんね。
追伸
1行目「無量対数」ではなく「無量大数」ですね。
アキラさん、こんにちは
完璧超人の掟を改めて見比べてみるとかなり違いがあるなぁと思いつつ実は超ストイックに守っていたのはネプ1人だけなのかなって思いました。あのネプキンも「時と場合によっては凶器を使う」なんて言ってましたし(笑)
ラジアルの役割が自害することってなんか武士みたいですね。でも負けイベント戦闘にもかかわらず自分の中ではベストバウトだと思っています。巨大タイヤのパワーと痛々しい裂傷、それでも立ち向かうテリーの熱きテキサス魂のぶつかり合いが結構好きでしたね。
そして超人批評を読んでいて思ったのが彼って守備型の超人な気がしました。あのタイヤがあればマッスルスパークやインフェルノ、ナパームストレッチも完封出来そうですしドクター中松さんいらずの両足も阿修羅バスターやウォーズレッグブリーカーを防ぐのに役立ちそうです。なのでタイヤのメンテを普段からしっかりしてリングサイドにもタイヤ交換のピットを設置してれば簡単には負けなかったと思います。そのあたりは完璧超人なのに完璧じゃないと思いました(笑)
アトールさん、こんにちは。
そうですね、教義に真摯だったのはネプだけだったのかもしれませんね。裏を返せばそれは彼がピュアな超人だということでしょう。バカ正直な超人なのかもしれませんね、彼は。
そしておっしゃる通り、彼はタイヤを維持してさえいれば、防御力がずるいくらいありますよね。それだけに日ごろのメンテナンス、大事だったのでしょうね(笑)。
どうでもいいことに気づきました。彼のタイヤはリングの上では役立ちますが日常生活(寝るとき)ではちょっと不便かもしれません(笑)
実は体が休まらない(笑)?
こんにちは。
ラジアルの果たした最大の役目は「新章の試合がめちゃくちゃ面白いと読者に示すこと」
だったと思います。
究極タッグ編の試合のテンポに慣れていた中でのテンポの良いラジアル戦は衝撃でした。
パオマイさん、こんにちは。
たしかにおっしゃる通りですね。私も新章の試合のテンポの良さに、当時唸りましたからね~。
あの短い回数で、両者のよい所をギュッと凝縮した闘い…素晴らしいとあらためて感じました。
アキラさん、こんにちは
個人的には、ラジアルのもう一つの仕事は「これは2世の続きじゃなくて初代の続き」って示したことでしょうか。
それは4800万パワーという、2世ではありえない超人強度だったり、攻防一体のタイヤというギミックが攻略されたらあっさり倒れるテンポの良さだったり、最初にラジアルに立ち向かったカナスペが大分マトモなキャラに戻っていたことだったり、文章ではなく絵で魅せるスタイル(テリーのめっちゃ痛そうな傷や窓が空いていて空っぽになっているキン肉マンの部屋)に戻っていることだったりするんですが
確かに始祖編が人気爆発したのはステカセインフェルノくらいからですが、このラジアルの試合辺りからコアなファンは「ゆで先生、2世より初代の方が描きやすいんじゃ」とか言われてましたね
タロウさん、こんにちは。
なるほど、素晴らしい考察ですね!
たしかに私も第二シーズンが始まった時に一番驚いたことが、試合展開の速さ、でした。そしてそれは長い試合が続いていたⅡ世との、大きな差別化になっているのは間違いがないと思います。
そう考えると、彼は30年近い物語の切断面を、拒絶反応なく縫合したキャラだとも言えそうですね!
貴重なご意見、ありがとうございました!