春先の志村けんさんに引き続き、芸能界・歌謡界の象徴たる筒美京平さんがお亡くなりになられました。まさに“巨星墜つ”という感じの、哀しいニュースです…。
以下、表現上一部敬称を略することをお許しください。
この訃報を知ったときは、死角から突然殴られたような衝撃でした。もちろん1960年代からご活躍をされていた方なので、冷静に考えればそういったこともあり得るご年齢だったのですが…あまりにも活躍期間が長い作曲家だったので、永遠に曲を作ってくれるという錯覚に陥っていました。
彼に関しては“天才”という表現しか思いつかないです。私ごときが評するのもおこがましいですが。でもあれ程多くのヒット曲を数十年に渡って作り続け、移り変わるあらゆる世代に受け入れられるその音楽性は、そう表現するしかないわけです。
皆さんも経験したことはないですか? 物心がつき「いい曲だな~」と思った曲の作曲家が、筒美京平さんだったことが。さらに大人になり、知識量が増えるにつれて、「え? あの曲も筒美京平?」「え? あれも?」「げっ、親父の好きなあの曲も筒美京平!?」「テレビでやってる懐メロ番組、ほとんど筒美京平の曲じゃん」と驚愕した経験が。
おそらくこの文章を読んでいただいている方の、ほぼ全員が「はい」と答えてくれると思うんです。それくらい幅広い年代の人々に受ける曲を作り続けたのが、筒美京平さんのすごいところだと思うわけです。
普通であれば、時代が経つにつれその作風にはどうしても古臭さが生じるものです。いわゆる「もうあの人のセンスは古い」というやつです。しかしながら彼にはそれがない。もう超人です。完璧超人です。
個人的には藤井フミヤの“タイムマシーン(1995)”、TOKIOの“AMBITIOUS JAPAN!(2003)”を聞いたときに、「なんでこの人は年を取ってもこんなカッコいい曲が作れるんだ?」と驚嘆しましたから。何十年経とうとも、その時代の音楽の最新トレンドにあった曲を送り出せるという超絶能力。もう絶句するしかないですよ。
また、私は80年代のサブカルチャーが大好きなのですが、彼の絶頂期がそこに被ってくるわけです。つまり彼なくして80年代サブカルは語ることができないし、それこそ文化の確立すらできないわけです。それくらい彼は、時代の重要なピースとして存在していたといえるでしょう。
とにかく残念です。日本サブカルチャーの基礎土台が、だるま落としの如くゴッソリと抜き取られたような喪失感を感じます。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
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