限られた自由時間をどう使う?中年の“趣味のタイパ”を最大化する方法
皆さん、余暇を楽しんでますか?
人によって様々な趣味があり、特に社会人の方は限られた少ない時間をやりくりして、それらを楽しんでいると思うんですよね。

となると、やはり重要視されるのは
趣味のタイパ
でしょうか。わずかな時間で自分の好きなことを、どれだけ多く、しかも質高く実践できるか。この達成度の差で、人生の幸福度が大きく変わってきそうです。
そういう私はといいますと、最近ある“ちょっとした工夫”をしたことで、私自身の“趣味のタイパ”がより充実してきたような気がするんですよね。
そこで今回の私の近況報告は、大きな成果を出すに至った(と自画自賛している)ちょっとした工夫のご紹介をさせていただこうかな、と思います。
そのキーワードは
です。どうです? 興味、湧いてきたでしょ(笑)?
これを読めば、ひょっとしたらあなたの余暇もより満足度が上がるかもしれません。ではいってみましょう!
時間が“無限”だった時代は過ぎた
まず大前提として、中年の時間感覚と若者の時間感覚との大きな違いについて確認したいと思います。
誰しもがそうだったと思うのですが、20代頃までって

時間は無限
という感覚で生きていましたよね。
その中でも学生時代…特に大学時代なんてのは、昼までグースカ寝て、起きたらそのまま夜中までファミコン…そんな生活を平気でやっていたもんです…ほらほら、思いあたる人、たくさんいるでしょ? 今ドキッとしたあなた、あなたのことですよっ(笑)。

しかし人生の折り返しである40歳を過ぎてくると、

よくもこんな恐ろしい時間の使い方をしていたな…(汗)
と、自分の過去ながら驚愕しますよね。そう感じる理由としては
- 湯水のごとく使える時間が今はとれない
- 人生の残りの自由時間を計算し始める
といったものがあると考えられます。
1については、物理的な理由ですよね。中年はとかく仕事や子育てなどにより、自分の趣味に投じられる時間が激減します。
これによって、多くの方が“週末だけの限られた自由時間”という生活を強いられているのではないでしょうか。こんな貴重な時間を、無駄に過ごすなんてできないですよね、もったいなくて。
2については、時間に対する“無限感”が“有限感”に変わるというターニングポイントです。RPGでいうならば、魔法を使えるMPが半分を切ったときに感じるストレスに似ているでしょうか。

あ、オレあとホイミ5回しか使えねぇわ…
なんて感じで、自然と脳裏によぎる計算…まさにこれと同じ感覚で

あ、オレ人生であと●時間しか自由時間ねぇわ…
という計算を、無意識にし始めるんですよ。

こらこら、そこのいまいち納得していない表情の若人よ。本当なんだってば。キミもあと20年したらそうなるから。そのとき初めて、この文章の意味を思い出すんだよ(笑)。
そして1と2でわかることは、“時間が無限”だった時代を過ぎた我々中年にとっては、
自由時間の価値がグンと跳ね上がる
ということです。要は学生時代の1時間と中年の1時間には、同じ1時間でもその価値に数倍の開きが生じる、ということなんですよ。
この前提を押さえていただけたところで、次は“趣味そのものの選択の苦しみ”について触れていきたいと思います。
趣味という「選択」の苦悩
前述した“限られた自由時間”の弊害は、物理的に時間が少ないという以外にも、
どの趣味を取捨選択するか
という、苦しい選択を中年に突きつけます。そりゃそうですよね、やりたいことをすべて行う時間がとれないんですから。
私の例でいえば
A.文章(ブログ)を書く
B.レトロゲームをプレイする
という趣味の取捨選択を迫られるんですよ。学生時代なら両方存分にできたのに…(泣)。
Aの趣味は今現在この文章を書いているように、
何かを発信し、それを多くの方に楽しんでいただく
という、私にとっては満足度がハンパなく高い趣味なんですね。皆様のリアクションが心地よいからこそ、『今週のキン肉マン』や『超人批評』も続けられるんです。
Bの趣味もまた、80年代カルチャーを愛する私にとっては至福の時間なのですよ。学生時代に大いに楽しんだゲームを再プレイすることで、楽しかったあの時代にトリップする。
この懐古思想100%な趣味は、厳しい社会に疲弊した自分をヒーリングさせるという、いわば
人生の湯治(苦笑)
のような、これまたとても重要な時間なんです。
そして私が両立できずに苦しみながら選んだA、Bの時間配分は、
A:B=9:1
でした。そうなんです。私は“物書き”の方に、多くの余暇時間を割く選択をしたんですね。
なぜそのような極端な時間配分となったのか。それは前述した“自由時間の価値がグンと跳ね上がる”という、中年特有の現象が大きな要因となっていたのです。

アウトプット型とインプット型の価値観
その理由は、残り少ない貴重な自由時間を過ごすならば、

より創造的な作業に使いたい
という、個人的な価値観の優劣が生じたからです。
実は趣味というのは大まかに
A:活動的趣味(アウトプット型)
B:受動的趣味(インプット型)
の二系統に分かれていると私は感じています。具体的には
A:スポーツ、演奏、模活、絵画、文筆
B:映像鑑賞、音楽鑑賞、読書、ゲーム
といったジャンル分けとなるでしょうか。
これを私の例に当てはめると、
A.文章(ブログ)を書く=アウトプット型
B.レトロゲームをプレイする=インプット型
となります。そして私はAのアウトプット型趣味の方に、限られた時間を使う優先権を与えたんですね。
というのも、言い方は悪いですが、Bは油断をすると“時間の浪費”につながる罠があるんですよ。例えば
- YouTubeで上がってくる動画をダラダラと観てしまう
- やらなくてよいゲームのレベル上げに勤しんでしまう
などです(苦笑)。つまり貴重な自由時間を無駄にしてしまう可能性が高いんです。
しかしAはその浪費リスクが少ないし、自己研鑽や他人を楽しませるという副次的満足感も伴う可能性があるのです。このような思考により、私は“物書き”の方に大きく舵を切ったんですね。
もちろんBを否定する気はまったくありません。やれるんならBもやりたいです。時間の浪費だって、それが魂の洗濯となる場合も十分あるでしょうし。
しかし私に残されたMPはもう少ないのです。中年とは“回復してから挑む”ではなく、“攻めないと時間が足りない”状況です。だから私はホイミではなく、ギラに価値を見出したわけなんですね。

創造と消費のジレンマ
そう思ってアウトプット型の趣味を優先してきたんですけど、やはり後ろ髪を引かれるんですよ、インプット型の趣味に。やっぱりですね、やりたいんです、レトロゲーム。
だって私、
と、レトロゲーム詰め合わせミニハードをこんなたくさん購入しているんですよ?
しかもレトロゲーマー御用達のエミュレーターマシンであるレトロフリークだって購入し、ハードオフを巡ってはレトロゲームソフトを発掘する傍ら、せっせとインストールしてほくそ笑んでいる男なんです(笑)。
そんな男がね、レトロゲームを楽しむ時間の優先順位が低いからやらないって…もったいない時間の使い方だって…いやいやいや、これって自分にウソをついているでしょう!?
そもそも論でAとBの趣味は、その役割が違うんです。Aは“創造の満足感”であり、Bは“消費の満足感”なんですよ。創造の満足と消費の満足。そこに優劣はないんですよ。
つまり私はギラを使う魔法使いを気取っていましたが、ホイミの重要さも知っている僧侶でもあったんです。それならば、ここは貪欲に両方を唱えられる“賢者”を目指そうではありませんか。
そこに気づいた私は、

AもBも与えられた1時間でこなせないか?
という、二律背反した解決法を模索してみました。そして…私なりの“悟りの書(解答)”を手に入れたのです。それが
A:B=9:1
を
A:B=5:5
にするソリューションでした。いや、5:5どころではないですね。私的には満足度を
A:B=10:10
にした、画期的ソリューションだったのです。

アキラさん、わかった!
AとBを30分ずつやるんですね?
ノンノン、違います。それじゃあ5:5じゃないですか。私は10:10って言ったんです。
ではその解決方法を、次の章で解説していきたいと思います。

趣味の「外注化」という発想
私が手にした“悟りの書”には、
物書きとレトロゲーム、同時にやればいいじゃん
という、強引極まりないことが堂々と記されていました(笑)。そう、いわゆる“趣味のマルチタスク化”をしろと書いてあったんです。
なるほどね。筋トレをしながら音楽を聴く、プラモを作りながらテレビを観る。この考え方の延長線上で

文章を書きながらレトロゲームを操作すればいいわけだ!
…って、できるか! さすがにキーボードを叩きながら、ゲームのコントローラーを操作できないですよ。アシュラマンじゃないんだからさ(苦笑)。
つまり趣味のマルチタスクとは、その組み合わせが限定されるんです。①筋トレ×②音楽、➀造形×➁動画のように、
趣味①は手先を使用する
趣味②は耳目を使用する
といった、情報流入が別系統な場合のみ可能なんですね。ですので、物書き×ゲームというマルチタスクはほぼ不可能なんですよ。
ただですね、そんな壁にぶち当たったときに私、ふと気づいたんですよ。

だったらどっちかを趣味②にしちゃえばいいじゃん
ということに。そこでとった施策が
レトロゲームはYouTubeの実況動画を観ることで代用する
というアイデアでした。これだったらキーボードを叩きながら、同時にレトロゲームが可能となります。
つまり私は自分でレトロゲームを操作することを放棄し、それを外注することにしたのです。そしてこの
趣味の外注化(アウトソーシング)
は、私の限られた1時間という自由時間において、物書きとレトロゲームをマルチにこなすことを可能にしました。そう、私はギラとホイミを両方使える賢者にとうとうなれたのです(笑)。

趣味の外注化に満足度はあるのか
そんな感じで趣味の賢者と化した私。しかし…耳をすませばチラホラと聞こえてきますね、

アキラさん、自分でプレイしないって、それゲームしたとは言えないですよ…それじゃあ満足感なんてないでしょ…
という声が。
いや、わかりますよ。おっしゃることはわかります。ゲームのキャラクターを自分自身で操作するからこそ、冒険を疑似体験できるわけですからね。それこそがゲームの醍醐味なんです。
でも皆さん、過去にこんな経験はありませんでしたか? 友人がプレイするゲームをすぐそばで見ていて、友人がクリアしたときに自分のことのように喜んだ経験が。
そしてその瞬間に、まるで自分がそのゲームをクリアしたかのような錯覚に陥ったこと、あるでしょう? 例えるならば、ボクサーとセコンドの関係値ですよ。
ボクサーが世界戦を闘う。そして自分はセコンドとしてすぐそばでそれを応援し、かつ適切なアドバイスを送る。その結果、ボクサーが世界チャンピオンになる。この時、セコンドだって絶対に達成感があるはずなんですよね。
つまりゲームには、ボクサーとセコンドのような
プレイヤーとオブザーバーの喜びの共有
が、確実に存在すると思うんです。そしてそれは“ゲームを外注することの満足度”を、強く証明していると感じるんですよね。

もうひとつ、このアウトソーシングが私の満足度を高める理屈として、私がレトロゲームに求めていることが、それである程度達成できる、という事実があります。
私がレトロゲームプレイに求めていることって、前述したように
人生の湯治
なんですよ。楽しかったあの時代を追体験することで、厳しい現実社会に疲弊した自分をヒーリングすることなんです。
つまり私がより重要視しているのは、ゲームをプレイしてキャラとの一体感を得ること以上に、あの頃の満足感を再体験することなんですよ。
言うなればそれは、本棚にあるお気に入りのマンガを再読することに近いんです。そしてゲーム実況は、その誌面を画面に映し、セリフを朗読してくれているようなものです。これは

自分は手を動かさず、視聴覚と記憶だけで味わう贅沢
でもあるんですよね。
このように、レトロゲームプレイを外注化することは、私の限りある1時間において、かなり満足度の高い“趣味のマルチタスク化”を実現したといえるのです。ここに私が
A:B=10:10
と表現した論理的根拠があるんですよ。
再読×初読の化学反応
そしてこのソリューションは、些細な工夫でまるで瓢箪から駒のような、予想外の追加利益を私に届けてくれることになります。それは下手したらマルチタスクの満足度を
A:B=10:10
から
A:B=10:12
に引き上げる効果すらあると思えるようなひと工夫だったんですね。それこそこれによって

下手に自分でプレイするよりも満足度が高い
と思えるほどの。
そのひと工夫とは、ゲーム実況動画を選択する際、
完全初見のプレイヤー実況動画を選択
することなんですよ。いや、たったこれだけなんです。
先ほど私にとってのレトロゲームプレイとは、“マンガを再読すること”に近いと述べました。ただこれには一つだけ大きな弱点があって
ネタバレがデフォルト
だということです。そうなんです、“再読”という行為では、“初読”で体験した驚きや感動を再現することは不可能なんですよ。
ところが初見プレイヤーのゲーム実況動画では、あの感動に近い感覚再現が可能だということに気づいたんです。私が実際に体験した具体例としては

『ドラゴンクエストⅢ』が実はⅠ、Ⅱにつながる物語だった!
という衝撃に対する、初見プレイヤーの新鮮なリアクションがありました。
ギアガの大穴に落ちて、見知らぬ土地に落下する実況者。そこで知った土地の名前、そしてフィールドに出た時に耳にしたBGMは…以前プレイして慣れ親しんだドラクエⅠの舞台である、アレフガルド!
この時の実況者の新鮮な驚きや仰天リアクションには、はたから見ていても

うんうん、そうだよね、そうだよね
と、本当に感慨深い気持ちにさせられました。
それはまるで数十年前に自分が体験した衝撃を過去から切り取って届けてくれたような、とても不思議な感覚なれど、間違いなく心が躍り、体中が満たされていくリアクションだったのです。
ちなみに下の動画がその時の感動を再現してくれています。とても面白い動画なので、ぜひご覧になってみてくださいね。
この追体験と初体験が重なり累乗化したような感覚は、ある意味

人生の湯治の究極の姿
とでもいえるでしょうか。なぜならば、こればかりはどんなに自分一人で再プレイをしたとしても、けっしてたどり着けない感覚の境地だからです。
いうなればそれは、ギラ×ホイミという両立では飽き足らず、ベギラマ×ベホイミという、“上位魔法の併用”を賢者にもたらしたくらいの満足度だったんですよね(笑)。
そのことに気づけただけでも、この“趣味のアウトソーシング”という行為は、とても意義深いものがあったと感じています。
満足度最大化の“中年的手法”
以上のように、私は文章を書きながらレトロゲームをするという、本来であれば両立せざる趣味を両立させ、貴重な自由時間を二倍濃縮することに成功しました。
この“アウトプットに集中しながらもインプットの旨味を享受する”というソリューションは、個人的には
やりたいことを全部やった感
が得られ、かなり高い満足度を感じています。
もちろんこのやり方について、

いや、それじゃあゲームした気にならんよ、やっぱり
と、同意できない方も多々いらっしゃるでしょう。特に若年層の方はそうかもしれません。
しかし前述したように、
- 自由時間が制限されている
- MPの底が見えてきた
中年であればこそ、趣味に外部の力を取り込むという、新しい手法に寛容になってもよいのかな、と感じています。
しかもありがたいことに、現代ではそんな楽しみ方ができるテクノロジーが確立されており、安価でそれを享受できる環境があります。
ですので自分の親世代ではけっしてできなかったこの新しい趣味のあり方に身を任せるのも、そこまで悪いことではないでしょう? だって毎日仕事、頑張ってるんだからさ(笑)。
そう思うとこのアイデア、なかなかに賢者な手法だと思えてきませんか? いや、“賢者”というよりは、老獪な“中年的手法”かな(苦笑)?

終わりに─自由時間はテクノロジーで増やせる
以上が私の提案する“趣味のタイパ”の最大化手法でした。物理的な時間は有限でも、設計次第でその“密度”を変えられる一例とご理解いただければ、と思います。
そしてここまで興味深くこの文章を読み進めてくださった方ほど、この中年的手法はより強い効果を発揮すること請け合いだと確信しております。
だって…今この文字をタイピングしながらも私、『ファイナルファンタジー』の初見動画を存分に楽しんでいるんですから。
そんなマルチタスク状態で仕上げたこのテキストを、皆さんはついついここまで読んでしまった。これはホイミしながら放ったギラが、意外と高いダメージを与えた証拠じゃないですか。
ほら、説得力あるでしょう? この趣味のタイパの最大化(笑)。あなたの“悟りの書”には、どんな趣味の外注化が記されているでしょうかね。それではまた。
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