先日Amazonプライムにおいて、新劇場版の『序』『破』『Q』を一気に鑑賞いたしました。『中田敦彦のYouTube大学』における熱烈プレゼンに触発されての鑑賞となります。
そこでのあっちゃんの気合がすごすぎて、ついつい再生ボタンをポチっとしてまいました(笑)。
そこで一つ感じたのが、作品中における性表現についてです。
私はエンタメ作品における性表現を否定するつもりはありません。作品中に性的興奮を刺激させることも表現技法のひとつであり、演出であると思っています。
ただ個人的には“その作品の性質に似合った演出法”かつ“流れに無理のない演出法”での性表現を好むので、それを逸脱した性表現の場合は

なんだかな~
としらけてしまうこともあります。
簡単に言うと、そこに“あざとさ”や“ファンへの媚”が見えるのが嫌いなんです。最近の表現だと

これやってんな
ってやつです(苦笑)。
そういった観点で見た場合、この新劇場版エヴァンゲリオンの性表現は“これやってんな”と感じるタイプの性表現でした。では具体的にどんなところにそう感じたのかを何点か挙げてみますね。
その前に、私のエヴァンゲリオンに対する知識度と立ち位置を確認しておきます。
ハマった、ハマっていないという点ではハマってはいません。TVアニメ版は20年くらい前に深夜の再放送を一通り観た程度です。よってキャラの名前と設定はある程度理解しています。
ただ物語についてはよく意味がわかりませんでした。だからあっちゃんの手助けをYouTubeにて受けた次第です(笑)。そんな知識度と立ち位置での意見であることをご了承ください。
さらに性表現というものは、その感じ方に個人差があります。
ある人にとっては性的刺激を受けることが、ある人にとってはまったく気にならない、もしくは性的とは感じない場合もあります。その人の性癖や感性によってその基準が違うわけです。
ですので、これからあげることについて共感できない方も多数いらっしゃることを理解した上で文章を書いていることをご了承ください。では始めます。
ミサトさんの妙なアングル
女性ながら作戦の立案と総指揮を任されている葛城ミサト。そんなできる美人指揮官でありながらも、ざっくばらんな性格、私生活での干物っぷりとのギャップが人気のキャラです。
そんな彼女の身体的特徴を表現するのに、上記のようなシーンが登場します。こういった形で彼女が肉体的にもナイスバディであることを高らかに謳っているわけですね。
たしかにインパクトは十分なのですが、その構図が…“やってんな”ですよね(苦笑)。
いや、嫌いじゃないですよ、こういう構図。男としては(笑)。ただこの作品において、このカット割りが必要かどうかという視点で考えると、不自然なシーンだなあと正直思ってしまいました。
アスカのラフな服装
選ばれたエヴァ操縦者の中で、おてんばワガママ王女的な立ち位置のアスカ。そのアスカは…御覧の通り、衣服が無防備すぎます。
もちろんこういった表現で、彼女の天真爛漫なエネルギッシュさや、自分に自信があるキャラであることを演出できるとは思います。
ですが…やはりこの露出とカット割りは必要かな…? ちょっと露骨すぎてやはり“やってんな”と感じてしまいます。
上記のミサトと合わせて感じることは、実写のドラマや映画でこのようなカット割りをすることは滅多にないよね、ということです。
もちろんエロスを求めた映画やAVなどは別ですよ。それらはそういうテーマの作品なので、仕方ないです。
しかしながらエヴァンゲリオンはそういうテーマの作品ではないので、こういった構図を選択する必要がないわけです。
それでもこのような演出を敢えてするということは、やはりサービスというか、視聴者に対する媚と捉えられても致し方ないのかな、と感じてしまいました。もしくはアニメ特有の文化とも言えるかもしれません。
必要以上にボディコンシャスなプラグスーツ
プラグスーツというのは、エヴァンゲリオン操縦者用の特殊スーツです。中の空気を抜くことで気密性が高くなり、結果体のラインにピッタリとフィットする機能性が特徴的です。
ところがそのフィットラインはあり得ないくらいのタイトさです。
特に女性パイロットのそれは、自身の裸をトレースしているのかというくらいのタイトなデザインとなっており、ぶっちゃけ

ボディペイントくらいじゃないとこうはならないだろ
と突っこみたくなるほどです(笑)。
もちろんボディコンシャスでタイトな衣服は、シャープかつスタイリッシュなイメージを演出できるので、その見栄えの良さを利用し、デザイン的に攻めるのはありかと思います。
そもそもエヴァンゲリオンはエンターテイメント作品なので、ある程度のコスチューム的色気もエンターテイメントとみなせばいいのかもしれません。『キャッツ・アイ』もレオタードの怪盗で魅力でしたからね。例が古いけど(笑)。
ひょっとしたら戦隊ヒーロー物の悪役女性が、妙に艶めかしいデザインなのと同じ原理なのかもしれません。
ただひとつ気になるのが…彼女たちが14歳というローティーン設定だということです。この設定があるがために、どうしてもこのデザインを手放しで喜べないんですよ。
仮に彼女たちが20歳という設定ならば、

おお、エッチでいいね! おっぱいポヨンポヨンじゃん!
なんて気楽に言えるんですけど(言うなよ)、14歳はちょっと…逆に14歳って設定したならば、なぜにこんなデザインにしたの…? と感じてしまうんです。
別に私は行き過ぎたフェミニストではないつもりです。
ただ14歳という設定だったら、そのコンシャス加減をもう少し緩くしてもよかったのではないかと感じてしまうんです。
でもこれがエヴァンゲリオンという作品の個性として、普通に一般化していますよね。だから私の感覚の方がおかしいのかもしれません。
ただ語弊があるとは思いますが、日本全体がゆるくロリコン化しているのかな、と感じてしまうのが正直なところです。
百歩譲ってそのデザインが物語の設定の中で、機能性をリアルに想像し、追求して突き詰めていった結果だとしましょう。
それゆえ体のラインが浮き出るのが物理的にも機能的にもリアルな設定なんだ、物語上必要な表現なんだ、だから着る人の年齢とは別の問題でそれは関係ないんだ、という理由があったとします。
でもそうであれば、シンジやカヲルの股間ももう少しコンシャスな表現をしなければいけないはずです。だって女性は胸の形があそこまでハッキリ表現されているんですからね。せめてモノが上を向いているか下を向いているかがわかるくらいにしないと辻褄が合いません(笑)。
でもそんなこといったらキリがないこともわかってはいるんですけどね。私も実際そんなところまで求めてないですし。ただ理論的には、という話です。
勘違いしてほしくないのは、ボディコンシャスなプラグスーツのデザインはカッコいいし色気があって嫌いじゃないです。だからプラグスーツのデザインを否定はしません。
ただそれを表現しているモデルがローティーン設定であることに違和感を感じてしまうのです。
裸率が多いレイ
この作品の不動のヒロインともいうべき綾波レイ。感情のないミステリアスな彼女に、じょじょに人間らしさが灯っていく様が大きな魅力といえるでしょう。
ただこのレイですが、けっこう裸シーンが多いです。
これも“やってんな”とも思えるのですが、一つ言えることは、これのおかげで“裸体を見られることに羞恥心がない”という表現ができ、ゆえに彼女の感情のない操り人形的なキャラの演出が強烈にできている、ということです。
ですので、これにおいては作品演出上、必要な表現のような気もします。
上のフィッティングルームのシーンも結果、レイが衣服を脱ぎ裸になります。
このシーンの会話は物語上の大きな山場で、なかなかに感動的なシーンです。そんなグッとくる会話を仕切り越しに、しかしシンジ目線ではシルエットが見える半透明な状態で行われる演出をすることで、二人のコミュニケーションがより本質的な精神の面で取り交わされている印象を与えています。面等向かって話すよりも、仕切りがあることでより深みが増しているんですね。
だからこの裸についても、作品上の演出としてはありなのかな、と思います。シルエットという表現は、絵的な美しさも感じさせますし、会話をより印象づける相乗効果があるかもしれません。
ただ先ほどのプラグスーツの話に戻りますが、彼女は14歳設定なんですよ。そこが引っ掛かります。これいっちゃうと、エヴァのパイロットは全員裸になっちゃダメということになってしまいますが(苦笑)。
あとしらけることを敢えて言わせてもらうと、フィッティングルームがこんなシェードだけで仕切られているという設定に違和感を感じます。いや、施設を建設する際、普通そこは男女分けるでしょ、と思っちゃうんですよね(苦笑)。
ハーレムラブコメ的な表現が随所にある
シンジにはちょいちょい性的ご褒美(笑)が振る舞われます。
それはまるで冴えない男子がなぜだかカワイイ女子軍団に囲まれ、ハプニングという理由で体に接触できるという“ハーレムラブコメ”を彷彿とさせます。
作品中ではレイの胸を鷲掴みにし、マリの胸に顔をうずめるというシーンがあります。
これは…やはり“やってんな”と感じざるを得ません。この作品において必要なシーンかそうでないかを考えると、必要ないような気がするからです。製作者側のあざとさを感じてしまいます。
ただレイの胸をつかむシーンは、そんな状態でもまったく感情をあらわさないレイを表現することで、彼女のキャラをより強調することができます。ですので、これについてはまだアリかな、と思います。
しかしマリの胸に顔がうずまるシーンはどうかな。マリがアクティブで豪快なイメージであることを表現はできますが…胸に顔をうずめる必要はないですよね(苦笑)。
そもそも論で、この作品は“ハーレムラブコメ”ではないはずです。また、そういったアクシデントによってシンジの性の芽生えを深く表現していく、といった製作者側の意図もあまり感じられません。ゆえに必要ではないと感じるわけです。
ただあれか。登場キャラクターの女性占有率を見るに、ステルス的な“ハーレムラブコメ”要素はあるのかな…?
最後に
以上のように、私が感じたエヴァンゲリオンの性表現について書いてみました。
もちろん私見なので、もしこれを読んで気を悪くされた方がいらしたら申し訳ございません。あくまで作品の一部を切り取った雑感であり、作品自体を否定する気はまったくありませんので…。
でもあれかな、『ドラえもん』もよくよく考えると、しずかちゃんの裸や妙なアングルのパンチラがあるので、そこまで気にする必要はないのかな…ひょっとしたら日本マンガ、アニメの文化なのかもしれませんね。


コメント
いつも楽しく拝見してます。
エヴァのエロ表現に関しては、作品単体で見てもピンと来ないかもしれません。
プラグズーツに関しては、『ふしぎの海のナディア』のエレクトラと言うキャラの終盤の衣装そっくりなんで、修正して流用したのではないかと思われます。
それが14歳に着せられたのは、仰る様にロリコン向けと言う気がしますが、恐らくは日本人全般ではなく、オタクにロリコンが多いからだと思います。
(少なくとも90年代~2000年代はその傾向が顕著だったと思います)
また、昔、ガイナックス公式で脱衣麻雀の18禁ゲームがあり、綾波やアスカ、他の作品のヒロインも脱いでたんで、中高生の子にそういう事をさせるのに抵抗がないのかも知れません。
まあ、当時のスタッフがどの程度残ってるかは分かりませんが。
たかぴーさん、こんにちは。
なるほど、制作会社の歴史にもそのヒントがあるのですね‥。物事は点で見るよりは線で見たほうが、やはりいいですね。
情報ありがとうございます!