スネ夫の親が嫌いです。

オレ流雑感
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 これは生粋の庶民である私の、「裕福な人々」に対するひがみといわれたらそれまでなのですが、ちょっと書いてみたいと思います。

 世の中には2代目経営者という方がたくさんいると思います。悪くいえばボンボンですね。そういった方たちと、社員の多数派を占める庶民層との、お金にまつわる意識の差というものは、図らずも明確に出てしまうことが多いと思われます。

 ほとんどの社員は少ない給料をやりくりして家や車のローンを払ったり、子どもを養育したりしています。長引く不況のあおりを受け、収入は目減りし、生活はどんどん逼迫ひっぱくしているといわざるを得ません。しかし経営者層はそんな状況はお構いなしに、会社の業績が悪ければドライに社員の年収を削ってしまうことがあります。

 もちろんそれは当然の選択肢であり、間違っているわけではないと思います。ただし、そんな状態でも自分の収入は確保している場合も多く、その辺の理不尽さがやり玉にあがることもあるでしょう。また、社員がカツカツの生活をしているのに、会社の経費でスポーツカーを購入するような経営者もいたりします。

 そんな経営者がいた場合、もっと社員を気遣った行動はできないのかと理解に苦しむこともあるでしょう。しかしたいがいはそんなことに気遣いをする気配は微塵もありません。上記のような例以外でも、似たような批判を受けかねない行動を、ナチュラルに行っている経営者というのは多いと思います。この意識のズレは一体何なのかと考えたときに、それは経営者と社員との、今まで育ってきた生活環境の違いに原因があるのではないかと予想するのは難しいことではありません。

 子どものころから裕福な環境で育ってきたであろう2代目経営者に、「庶民感覚」や「庶民の生活レベル」を理解してもらうこと自体が無理なわけです。経験をしたことがないからです。ただこの「庶民感覚」というものは、世の中の大半が庶民で占められている以上、非常に大事なものだと思われます。その意識の違いのために、他人から反感を得てしまったり、それこそ社員から嫌われてしまったりし、その評判を落としかねないからです。

 ではその「庶民感覚」を得る機会を奪っているのは誰なのでしょうか。それがタイトルの「スネ夫の親」なのです(長かった!)。つまり経営者の親が構築した環境のせいで、2代目経営者は「庶民感覚」を体得する貴重な機会を失っているということです。

 人間成功すれば、当然その生活レベルは上がるはずです。そりゃ誰だって広い家に住みたいし、いい車に乗りたいと思うでしょうし、それは至極当然のことだと思います。資本主義社会の基本でしょうし。「自分で稼いだ金を、どう使おうが勝手だ!」というのもうなずけます。ただ私が嫌なのは、その高い生活レベルを自分の子どもにも適応させようとする親が嫌なんです。

 人間というのは、育った環境がかなりその人格形成に影響する生き物です。もし親がその子どもに対して盲目的に金品を注いだとすると、欲しいものはすぐ手に入れたがる、こらえ性のない人間に育つでしょう。努力して裕福になったのはその親のはずであるのに、子どもはその潤沢な資産(もしくはお金)を、自分のものでもあると勘違いしかねません。

 これでは「庶民の感覚」が育ちようがないわけです。何をもって「裕福」か、「庶民」かと定義づけるのは非常に難しいのですが、ここでは便宜的に「裕福」を「スネ夫のような家庭」、「庶民」を「のび太のような家庭」とイメージしてください。

 スネ夫の家庭にはおそらく冷蔵庫に常に「ジュース」や「メロン」が入っているでしょう。のび太の家では、おそらく何かの記念日や、親のご褒美でもないかぎり、そんなものは入っていやしないでしょう。

 スネ夫は欲しいときにラジコンでもゲームでも、きっとパパが買ってくれるでしょうが、のび太は誕生日かクリスマスといったイベントにせがむか、毎日肩たたきや手伝いをした駄賃を貯めて、やっとの思いでそれらを手に入れるしかないはずです。

 つまり同じものを手に入れるにしても、苦労して手に入れたのび太のほうが努力する心を学べるし、苦労したからこそ、他人に対する思いやりも生まれると思うのです。与えられるだけのスネ夫では、この感覚はなかなか学べないわけです。

 ただこの場合も、悪いのはスネ夫ではなく、スネ夫をそういう環境においた、スネ夫の親なのです。だから私はお金持ちの人たちに敢えていいたいのです。子どもにむやみやたらに贅沢をさせないでくださいと。

 子どもがいないお金持ちはいいんです。どんな贅沢したって。自分で努力して稼いだお金ですからね、自由に使う権利があります。だけどもし子どもがいるならば、「庶民感覚」を植えつけるためにも、ぜひ贅沢を我慢してもらいたいんです。

 もしも私が大金持ちだとしたら、まず子どもに自分の家が金持ちということを明かさないようにしたいです。平凡な家に住んで、庶民の暮らしを徹底させます。子どもに「うちはひょっとしたら、ちょっと貧乏なのかな?」なーんて思わせるくらいに演出をします。

 おもちゃもホイホイ買い与えません。いや、ケチじゃないんだってば。そのほうが子どものためになると本気で思うんですよ、私は…まあケチか(笑)。

 そんでもって、子どもが成人したあたりで「実は金持ちだった」とカミングアウトするわけです。子どもビックリみたいな。でももう「庶民感覚」がすっかり刷り込まれてて、後戻りできないみたいな(笑)。

 でもこんな想像している人って、絶対お金持ちになんかになれないんですよね(苦笑)。やってみたいんだけどなあ。

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