週刊少年ジャンプ論 第四章 第四節

オレ流週刊少年ジャンプ論
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注)この論文は1994年のものです。

第四節 街中にいる身近な存在感 ~フィクション性分析~

 「ギャラクティカ・マグナム!」「あたたたたっ! 北斗百裂拳!」「キン肉バスター!」「かめはめ波!」。

 妙に「!」が並んでしまったが、これらは『ジャンプ』マンガで登場した必殺技の数々である。少年マンガには必殺技がつきもの、という感があるが、実際のところどうなのであろうか。

 確かにマンガというものは、現実にはありえないこと、できないことを描くことで、読者に夢や楽しみを供給するのが一般的である。つまり非日常空間をかいまみて楽しむわけである。

表17 『ジャンプ』マンガのフィクション性分析( )は%

▲『ジャンプ』1990~1994より作成

 表17は、『ジャンプ』マンガのフィクション性を、個人の能力と舞台背景であるステージの2点から分析したものである。数字はタイトル数であり、分類の基準は以下の通りである。

ステージ

  • 日常的…学校などの現実的な世界、現代の日本、または他国の都市や街が舞台になっているもの。
  • 非日常的…魔界、裏世界、宇宙、過去、未来、もしくは作者の創った架空の世界などが舞台になっているもの。
  • 中 間…上記2つが両方存在するもの。また、両方の世界を行き来するもの。

能力

  • 特殊能力・必殺技等有…現実にはありえない技、能力などが表現されているもの。また、人間離れした技術をもつもの。
  • 極 め て 人 間 的…能力が現実的なもの、常識の域を脱していないもの。

 これを見ると、6割のマンガに何かしらの飛びぬけた能力が存在していることがわかる。

 つまりすごい能力をキャラクターに持たせることで個性をつけている点は、昔から変わっていないことになる。読者はヒーローの繰り出す痛快な必殺技を見てカッコイイと感じ、満足をするわけである。よって「能力」については、かなりフィクション性が高いといえる。

 ところが「ステージ」の設定はそうでもないようである。「特殊能力」のような非日常性は影をひそめ(22.6%)、学校などといった「日常的」な空間が6割を占めている。やはりある程度の「現実味」がないと、読者も共感を覚えないのであろう。

 例えばすべてのマンガの舞台が「魔界」などの非現実的な世界であるとする。現代にない世界なのだから、そこに登場するキャラクターも当然この世には存在しない。となると、マンガの“ウソ臭さ”が露骨に浮き彫りになってしまう。

 読者も「創り話だから」というしらけた雰囲気をより感じてしまい、どこかそのマンガにワンクッションおいた目で見てしまうのである。そのために舞台設定は日常目にしている「現代」にし、リアルさを醸し出させる。

 よってそこに登場するキャラクターは実際の世界でも存在することが可能になり、読者はそのキャラクターをより身近に感じることができ、感情移入しやすくなるのである。

 以上のことをふまえて総合的な結果を見てみると、

  1. 「日常的-人間的」  (35.5%)
  2. 「日常的-能力有」  (25.8%)
  3. 「非日常的-能力有」 (21.0%)

※文字の色が表のマスの色と対応しています。

という順になる。ここで特筆すべきことは、一番多い項目が「日常的-人間的」である点である。②、③がほとんどを占めると予想していたのだが、これは意外であった。

 ②は舞台設定にリアルさを残して能力で魅せるタイプであり、③は先ほど述べた“ウソ臭さ”が漂う、かなりフィクション性の強いタイプである。

 しかし①はまったく逆の、一番フィクション性の薄いタイプであり、まるで「特徴がない」とでもいわれかねないタイプであるのだ。これはどういうことなのであろうか。

 考えられるのは、「ステージ」で現実味を出し、「能力」すらも抑え目にして、さらに現実味を増そうとしていることである。おそらくヒーロー像のあり方が、完全無欠というものから、より人間の実像に迫ってきたのであろう。

 ヒーローが階段を降りて来ることにより、読者にとってそれは「手の届かない存在」から「手の届く存在」に変化する。ひょっとしたら街中を歩いているかもしれない、そんな身近な存在感。二節で出てきた平凡なキャラクターも、その辺が共感を呼んでいる原因なのかもしれない。

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