格闘面、育児面、威厳面で失策が多く、巷に流れるキン肉真弓のクズ評価。彼は本当にクズなのか? しかし別角度からの彼を考察すると、あのキン肉王族の家訓と紐づいた、彼だけの能力が浮き彫りになる…!
読者に笑いを提供するレギュラーキャラながらも、国を統べる統治者としての評価が低いキン肉真弓。その理由について、前回は考察してみました。
その要因を端的に言えば

キン肉王族のカリスマ的格闘技術なし

子育ても無責任

アホばかりして威厳ゼロ
というマイナスイメージであり(苦笑)、特に育児面での虐待やネグレクトがその心証を大きく悪化させているのか、ネットでは“クズ”などという辛辣な評価が目につきます。
しかしながら、“生類憐みの令”で暗君レッテルを貼られた徳川綱吉も、別視点で見れば実は弱者救済を行っていたことが評価され、名君と再評価されている例もあります。
ですので、今回は前回考察した彼の格闘面、育児面、威厳面での失策ついての弁護をしつつ、別の視点から彼を考察し、新たな真弓像に迫ってみたいと思います。
キン肉真弓を弁護する
格闘面の弁護
彼の格闘能力に対する評価を大きく下げているのは、前回考察した通り
- 火事場のクソ力
- フェイスフラッシュ
- キン肉族三大奥義
というキン肉王族の特殊能力において、彼が火事場のクソ力しか会得していないという事実です。
普通であれば3つともできなくて当たり前の特殊能力なのですが、超人界の頂点であるキン肉王族という立場が彼を不幸にしているんですね。
彼が望もうが望むまいが、その立場のせいでそれら技能のマスター実績が、彼の能力査定にどうしても付きまとってしまうのです。
それはスカーフェイスなどの、彼からしてみればケツの青い若僧から

三大奥義のどれひとつもマスターできなかったくせに!
という、屈辱的な蔑みを受けるという憂き目にあっている事実でも証明されています。
さらに不幸なことに、スグル、アタル、万太郎、ネメシスといった彼の直近の血縁者が、これらの能力を複数会得しちゃっているんですよ。もうね、彼の周りは天才だらけなんです(苦笑)。
ですので、彼だけ谷間のように能力が落ち込んで見えてしまうんですね。
このように、彼はキン肉王族でなければ超人オリンピックチャンプ、キン肉真弓時代の確立という華々しい実績で、その実力を高く評価されてもよいはずなのに
※追加評価案件
□キン肉王族特有技を修得したか
□近親縁者と肩を並べられるか
という、彼だけに追加される評価チェックボックスが存在するおかげで、その栄光がかき消されてしまうという、とても不利な立場にその身を置いているキャラだと言えるのです。
つまり彼は自身の能力以前に、外的な要因で不当にその能力評価が低く設定される環境にいたがために、低評価を受けてしまう側面もあったと思うんですよね。
育児面の弁護
彼は息子二人に対する虐待とネグレクトによってその評価を大きく下げています。では彼には良い父親の側面はなかったのでしょうか。少し深掘りしてみましょう。
彼は20年ぶりにスグルと面会した後、何かにつけてスグルと行動を共にしています。特に超人オリンピックが始まった頃からは、スグルのマネージャーといってもよいくらい、何かと目をかけているのです。
その姿は宮沢りえ全盛時のりえママのようでもあり(笑)、息子に対して多くの時間を割いているのは間違いがないでしょう。
そしてその行動力には“過保護な親”の側面も多々あり、過保護が過ぎて不正ギリギリの行動をとることも珍しくなかったくらいです(苦笑)。
超人オリンピック予選『怪獣あげ』における、スペシャルマンの試技に対してのヤジや妨害は、ギリギリどころか完全にアウトですしね(笑)。
個人的に彼の過保護ぶりでお気に入りなのは、オリンピック最終予選の『月へのマラソン』において、ロビンマスクがトップで月に到着しそうなときに

ワハハハ、
スグルはおどろかそうと思って、あの岩かげに隠れているんだ、きっと
と発言した時ですね。これを初めて見たときはホント、腹抱えて笑いましたね(笑)。

これ…彼は本気で発言しているんですよ。彼はあの岩陰に、本気でスグルが隠れていると思っているんです。そう思うと、この心理状態になれる彼ってすごくないですか(笑)?
あの予選は映像で捉えているので、スグルがスタートに失敗したこと、さらに飛行能力が突出して劣っているがために、先頭からはどんどん離されていることは全員わかりきっているわけです。
しかし彼はそんな事実はまるでなかったかのように、物理的には到底無理なはずの現象を、一点の曇りなく主張しているのです。
それはまさに人智を超えた“親の愛”以外の何物でもなく、ただただ自分の息子だから“優れている”、もしくは“優れているに違いない”という、半ば盲目的な愛情表現だったとも言えるのです…スグル(優る)だけに(笑)。あ、本当は卓ですけどね。
そして彼は時にスグルコールを試合会場で募り、時にアメリカに遠征している息子の下に応援に駆けつけ、時に対戦相手のコスチュームを身につけ、臨場感あふれる(?)仮想敵として特訓を主導したりしています。
これらの二人三脚とすら言える息子への過剰な愛情の注ぎ方を見るに、その性格の根本がネグレクトであるとは、私にはとても思えないんですよね。
もちろんそれは20年ぶりに再会したわが子に対し、今まで注げなかった愛情を、堰を切ったかの如く注いだ結果だともとれます。
ただいずれにせよ、彼に息子を愛する気持ちがあることには変わりがありません。
ですので、彼はスグルを地球に誤って捨ててしまったあと、彼の捜索をしていなかったわけではなく、懸命に探していたのではないかと思います。
そしてやっとのことで見つけたタイミングが、ミートが牛丼屋の前にUFOで乗りつけた頃合いだったのではないでしょうか。
やはりひとつの星の中から個人を一人、ヒントもなしに探し出すのは難度が高いし、時間もかかりますよ。
そう考えると、捜索箇所が地球というヒントすらなかったアタルの捜索は、全宇宙が対象だっただけに、もはやお手上げだったに違いありません。
それだけに、彼に対する“行方不明の二人の息子をほったらかす”という評価は、少々可哀想ではあるかな、と思っています。
威厳面の弁護
彼は年甲斐もなくふざけてしまう性格で、王としての威厳ゼロ、という評価を受けてしまいがちです。
ただ、“威厳ゼロ=暗君”という図式は絶対ではありません。威厳たっぷりな暗君(暴君?)はいくらでも存在するし、威厳がないことで、逆に親しみやすい名君も存在していたはずです。
そのような観点で見たときの、彼の大王としての評価はどうなるのでしょうか。彼が政治を執っているシーンはほぼ皆無なので(笑)、その手腕は実際のところ謎です。
しかしながら、劇中における
- 在位中に大きな内部的反乱(クーデター)が起きていない
- キングトーンが投げ出した格闘技宇宙一タイトルを、こっそり取り返すというセコい返り咲きをしても、国民から大歓声で受け入れられている(笑)
といった事実から推察するに、少なくとも国民からの支持は高く、人望は厚かったと思われます。
また、大王に就任したスグルが完璧超人始祖との闘いで星を留守にしても

キン肉星もまだまだ真弓パパの影響力は絶大で、民衆も私をアテにしてない
と口にしていた事実もあります。
それは彼に国民に崇め奉られる魅力があり、かつその政治手腕に大きな落ち度がなかったことを指し示しているとも言えるでしょう。
仮にそれが“父・タツノリの整備した基礎土台がしっかりしていたからこその結果”だったとしても、これを維持したという点は評価できるのではないでしょうか。
暮れに“年越し牛丼”を食べながら、“超人紅白歌合戦”を鑑賞するようなのどかな文化が根づいている様子を見るに、なかなかに平和な世界ですよね(笑)。
ですので、このような世界を維持してきた彼は、けっして暗君ではないと思うのです。そしてそれを可能にした要因が、彼の威厳をゼロにしている
であると、私は感じています。
先ほど紹介した彼の親バカ行動や、常時お祭り状態(笑)の言動を見ればわかるのですが、彼はとにかく“明るい”です。そして底抜けの“楽天家”だともいえるでしょう。
その様はあまりにも無邪気というか、直感と感性だけで生きている人、という印象があります。それは“刹那主義”と言い換えてもよく、悪く言えば“先のことを何も考えていない人”とも言えます。
このあたり、一つの星の統治者たる資質という点では大きな疑問符が浮かぶところではありますが(苦笑)、明るく親しみのある大王というイメージを植えつける点においては、その無邪気さはプラスの方向に働いたのかもしれません。
さらに“細かい悩みなど歯牙にもかけない大きな度量”は、周りいる人たちに勇気を与え、常時お祭り状態のマインドは、落ち込んでいる人々を陽の当たる世界に引っ張り出してくれるパワーがあったことでしょう。
そしてそれは彼が統治する世界に、明るい“笑い”を提供したとも言えるのです。

つまり彼は“威厳”と“笑い”の選択において、後者をとった統治者であり、自身に“威厳”という箔をつけることよりも、人民が明るく生活ができる“笑い”の方に、大きな価値を見出したわけです。
そしてその陽気さ、明るさの遺伝子が、間違いなく息子であるスグルに受け継がれているのは、皆さんご異存ないでしょう。
そう考えると、スグルを見て元気や勇気をもらってきた我々は、実はその笑顔の源流たる真弓のキャラクターにその恩恵を受けていた、とも言えるのではないでしょうか。
笑いをとるというキン肉王族の家訓の真相とは
このように、少し視点を変えて彼を見ることによって

真弓…そこまで悪くないのかも…
と感じてくださる方もいるのではないでしょうか。
そんな中で、私が一番彼を評価している部分が、威厳と引き換えに選んだ“明るさと笑い”の精神であり、ポリシーなんですよ。
そしてそんな彼のポリシーを象徴する最大のものが、我々読者に大きな衝撃を与えた
という家訓だと思います(笑)。
皆さんご存知だとは思いますが、スグルや万太郎はその入場時において、派手な入場パフォーマンスを数多く披露しており、読者を大いに楽しませてきました。
ただそれはマンガとしての、とくにギャグ面を押し出したおバカな演出だとはじめのうちは思っていたのですが、フタを開けてみるとまさかの家訓だったのです(笑)。これには

いつからそんなんなってたっけ!?
と、ツッコんだ方は多かったのではないでしょうか(苦笑)。
この家訓を初めて世間に公表したのはキン肉万太郎だったと思いますが、その時は

ボクは幼い頃から父上より
観客100人のうち99人は笑わせろ
それが真のレスラーだと教えられた!
という発言でした。つまり万太郎はスグルの教えを受けて、この家訓を実践していたわけです。
ですので、この家訓の発起人はスグルだと思われていたのですが、その後真弓が

入場のときには笑いをとらねばならぬ、キン肉王族の掟を忘れたか?
と、万太郎に注意しているシーンが『究極の超人タッグ編』にて描かれたことで、

真弓の時代ですでにかい!
という総ツッコミを、全読者からあらためて受ける事態となっていました(苦笑)。

この非常に個性的かつ、他に類を見ないと思われるユニークな家訓がなぜできたのか。それを考えていると、真弓の“笑いのポリシー”との親和性にたどり着くんです。
ですので、この家訓を考察することは、キン肉真弓およびキン肉王族のアイデンティティを探ることにつながるのではないかと感じるんですよね。
ではなぜキン肉王族はこのようなユニークな家訓を鉄の掟とするに至ったのでしょうか。それは彼らにとって、その掟が必要不可欠なものであるからに他なりません。
その理由についていろいろと考えたのですが、私は開祖シルバーマンから連綿とキン肉王族に受け継がれたと思われる
に対する表現技法の一つなのではないかと思いました。

“慈悲の心”と“笑わせる”って、なんの因果関係があるのさ?
と思いますよね? 実は“慈悲”という言葉には「相手を慈しむこと、なさけ」という意味の他に、仏教用語として
慈はサンスクリット語の「マイトリー (maitrī)」に由来し、「ミトラ (mitra)」から造られた抽象名詞で、本来は「衆生に楽を与えたいという心」の意味である。
ウィキペディアより引用
悲はサンスクリット語の「カルナー」に由来し、「人々の苦を抜きたいと願う心」の意味である。
という意味があるそうです。
そう、人々に“楽”を与え“苦”を取り除くのが慈悲であり、それを一番効果的に発揮できるアクションとしてキン肉王族が選択した方法が
だったのではないでしょうか。
それは全宇宙の超人を統べる長として、統治者としてあれこれ試行錯誤した結果、到達した“教え”だったのかもしれません。
笑うことがいかに体によいかという“笑いの効能”については、医学的にも様々な研究がなされているので、皆さんもなじみ深いことかと思います。
そして“笑い”は、人々を導く立場にいるキン肉王族にとっては、とても有用な施策だったのではないでしょうか
またこの“教え”は、もともとキン肉王族が持っていた“底抜けの明るさ”と、とても親和性が高かったのかもしれません。
そしてキン肉王族は、この“人を笑わせること”を闘いの場にも持ち込むという、驚きの行動を取るのです。それが
という家訓、もしくは掟の制定です。
笑いと闘いを組み合わせる理由とは
では“笑い”と“闘い”という、大きく背反する二つの要素をあえて組み合わせるに至った真意とは、いったい何だったのでしょうか。私は以下の仮説を立ててみました。
- 観客を味方につける
- 気分をのせる
- 闘いのペースを握る
- 支持される勝者となる
ではそれぞれについてお話ししていきますね。
観客を味方につける
格闘技でもプロスポーツでも、それを開催する場所がホームであるかアウェーであるかは、その勝率に大きく関係してくることは、皆さんご存知でしょう。
そんな外的要因が闘いに影響を及ぼす事実をしっかりと理解し、闘い前の入場時におけるパフォーマンスで観客を味方につけることは、かなり理にかなった方策だと言えるのではないでしょうか。
その方策としてキン肉王族の教えである“慈悲の心”が転化した“笑いをとること”を実践することで、彼らは会場の観衆を味方につけ、そこをホーム会場に作りかえていたのかもしれません。
それは闘う場所の環境や空気に影響されることなく、自分たちを有利な立ち位置に押し上げる知恵だったのかもしれませんね。

気分をのせる
衆人環視の環境において、人の目というものは自身のコンディションおよび精神状態を大きく左右します。要は“あがる”ってやつですね。
この緊張によってあがった状態は、本来の自分の実力を発揮しづらくします。これについては皆さんも、常日頃から経験しているはずです。
しかしながらこの人の目を味方につけることにより、気分が高揚し、実力以上の動きができる場合もあるのです。いわゆる“ノった状態”です。
キン肉王族は、この“ノった状態”を確立する方法論として、入場時にお笑いを伴う派手なパフォーマンスを行っているのではないでしょうか。
人を笑わせるという行為は、笑わせる対象をよい気分にさせるのと同時に、笑わせた側にも大きな快感を提供します。それは笑わせる側の承認欲求を満たし、脳内に報酬系物質が流れ出るからだそうです。
私もその報酬が気持ちよくて、このようなテキストを書いているようなものですからね。いやホント、とても嬉しいんですよ、ウケると(笑)。
つまりキン肉王族は目論見通り観客を笑わせることで、同時に自分たちも達成感を感じることができ、観客の声援との相乗効果で自身を“のせて”いっているのかもしれません。
そしてノった状態で闘いに臨むことにより、よりリラックスした形で実力以上のものを発揮できる環境を構築しているのかもしれませんね。
闘いのペースを握る
生死を賭けた闘いの直前で、笑いを起こす行動を選択することは、普通に考えれば大きなミスマッチです。
おそらくそれを仕掛けられた相手は、キン肉王族の突飛な行動にあっけにとられることでしょう。そして殺意あふれる闘争心のベクトルは、大きくその方向をそらされてしまうかもしれません。
それはいきり立った対戦相手の闘争心を挫くことにもつながり、その時点で闘いのペースをキン肉王族が握ることにもつながります。
また、キン肉王族が闘いのペースを握るということは、いかに相手が殺伐とした闘いを望んでいたとしても、それをキン肉王族、それこそ正義超人の矜持である“分かり合うために闘う”という闘いに、その主軸をズラしてしまうことを意味しています。
このように、リング上の闘いを“殺し合い”から“相互理解”に知らず知らずのうちに変えてしまう効果が、この入場パフォーマンスにはあるのかもしれません。
支持される勝者となる
このパフォーマンスは闘い前の儀式、およびルーティンとしての役割以外にも、試合後の影響力をも見越した行動なのかもしれません。
というのも、キン肉王族が闘いに勝利するということは、その後も統治者としての権力を保持し、為政者として政務を執っていくことを意味しています。
そうなんです。この世界においては、王や統治者を選挙で選ぶことはなく、闘いに勝った者が世界を統治するという、ある意味中世的、戦国時代的な権力構造が続いているのです。
その統治者が“笑いの提供”を事前に行ったことは、統治される人民にとっては大きな親近感を持つことにつながり、その勝利を支持される可能性がとても高くなるでしょう。
そりゃそうですよね。めちゃくちゃ残酷な統治者よりは、にぎやかに笑いを提供してくれる統治者の方が、自分たちの生活をより幸せにしてくれそうだと想像しやすいですからね。

つまり彼らは入場時に笑いをとって観客を味方につけておくことで、闘いを有利に進めると同時に、勝利後の統治についてもスムーズに人民の支持や共感を受けることができるという、両得な施策としてこれを伝統としていたのかもしれません。
以上が、キン肉真弓が自信をもって口にしている
という、ぱっと見わけのわからないキン肉王族の家訓が確立された真相なのではないかと、個人的には思います。
つまりこの家訓は、徳川綱吉の“生類憐みの令”同様に、一見すると

なんだそりゃ?
という掟に見えるのですが、よくよく深掘りしてみると

そういう利点もあるか
と理解をしめすことができるという、二面性をもった掟であるように思えます。皆さんはいかがでしょうか。
余談ですが、このキン肉王族の家訓を、現実の世界で実践した格闘家が桜庭和志選手です。
彼は入場時に笑いで観客の心をつかみ、その結果1~4に近しい利益を獲得します。それがPRIDEで彼が一時代を築くに至った要因の一つであったのではないかと、今更ながらにして思いますね。
キン肉真弓の恐ろしさとは
このように、テリーマンをして

この入場だけは理解できん
言わしめたキン肉王族のわけのわからない掟(笑)には、実はキン肉王族のアイデンティティである
を実行し、闘いをも有利に進めるという、大きな意図があったのかもしれません。
そしてキン肉真弓は家訓の意図を理解し、息子、そして孫がそれをしっかりと受け継ぐべく手ほどきを行い、伝統としてそれを伝授したわけです。
それはまるで能や歌舞伎の伝統技術を受け継ぐといった雰囲気に近しいものだったのかもしれません。また、この伝統技術の伝授という行為について、彼はかなりの適任者であったと個人的には思っています。
それは彼の生来の明るさ、能天気さという性格と、人を笑わせるという家訓がとてもマッチしていたからです。
恐らくですが、彼にとって人を“笑わせる”という行為はまったく苦痛ではなく、逆に率先して行いたいと思う行為だったのではないでしょうか。要は根っから好きなんですよ、お笑いが(笑)。
でなければ、あんなサンバカーニバルのコスチュームを身に纏って

入場のときには笑いをとらねばならぬ、キン肉王族の掟を忘れたか?
と、孫に真顔で説教できるマインドにはなりませんて(笑)。

そう考えると、彼はキン肉王族が掲げる“慈悲の心”と“笑い”との重要な相関性をナチュラルに理解し、実行し、さらには子孫に伝授したという、恐るべき能力を持っていた、とも言えるのです。
つまりキン肉真弓にしかない類まれなる能力、および恐ろしさというのは、
ことであり、それはキン肉王族として、実は一番必要なスキルだったのかもしれません。
その視点で見れば、彼はキン肉星の大王として、必要不可欠な能力を有していた傑物であったと言えるのではないでしょうか。
そして彼はその能力で大王としての責務をはたし、その遺伝子はそのまま息子であるスグルに、純度の高い状態で引き継がれたのだと思います。
アタルが家出をした真の理由とは
そう考えると、アタルが家出をした真の理由がおぼろげながら見えてくるのです。
アタルは真弓の過剰な英才教育、つまり教育虐待に嫌気が差して、家を飛び出したことになっています。
それも理由の一つかもしれませんが、実は一番大きな理由が
という家訓が、どうしても馴染めなかったからではないでしょうか。
生まれつき真面目でストイックな性格のアタルにとっては、“笑いをとる”という行為は、ひじょうに大きな精神的負担を伴う行為だったのかもしれません(笑)。

実はこのような指摘をTwitter…今はXか、でネタにされた方がいて、

なるほど…
と感心したものです。
そして今回この家訓について自分なりに深く考察をしてみたところ、これこそが彼の家出の真の理由である、という確信に変わりましたね(苦笑)。
恐らくアタルにとっては、“慈悲の心を笑いをとることで表現する”というキン肉王族の家訓が、どうしても受け入れられなかったのではないでしょうか。アレルギー反応が生じるというか(苦笑)。
ひょっとしたら真弓は自身がその家訓との親和性が高いがために、そのエンタメ性の部分を拡大解釈してしまい、より派手に、よりバカバカしくする方向に、自分の代で知らず知らずのうちにアレンジしてしまったのかもしれません。
そう、家訓が古来伝わる伝統の姿から、真弓の代で妙な変化を遂げてしまった可能性もあるのです(笑)。それこそ

入場時に仮装を取り入れたのはな、実はワシじゃ!
いいアイデアじゃろ?
なんて、誇らしげに目を輝かせてそれを誇示する姿すら見えちゃったりして(苦笑)。
そんな風に、真弓によりエスカレートした“笑いをとる”という行為は、それこそ真面目なアタルにとっては、“家訓ハードル”の高さを押し上げる要素でしかなかったわけです。
そして家訓の意義や成り立ちなど知る由もないアタル少年は、真弓によってエンタメ性を過度に誇張された家訓を、わけもわからぬままその眼前に突然突き付けられて、唖然としたのかもしれないのです。
その結果、それを強要される未来から、彼は逃げるしか選択肢がなかったのかもしれません(笑)。
ちなみにキン肉サダハル(ネメシス)についても、事件なく王位継承候補としての地位を確保していたとしても、結局はこの家訓の壁にぶつかり、自ら隠居したかもしれませんね(笑)。
おわりに
以上、キン肉真弓についての考察でした。
彼はお世辞にも褒められたものではない、ダメダメな人間性を持つキャラかと思いきや、周りを明るい気持ちにさせ、それがキン肉王族のアイデンティティにもつながる可能性を持っていたキャラだったとも言えます。
言うなれば彼は徳川綱吉のように、見方によって評価が大きく異なるキャラだったのかもしれません。それをどちらで評価するかは、きっと受け止める側の想い一つなのでしょう。
私は彼を“名君”と自信をもって評価することはできませんが、“明るい君主”という意味での“明君”という称号は、与えてあげてもよいのかな、なんて感じています。ではまた。
※今回はcollateralさん、岩佐さん、デイト&かりんさん、一気さん、マロピチさん、加藤さんほか、たくさんの方からリクエストをいただきました。ありがとうございました。
【リクエストはこちらから】


コメント
アキラさん、こんにちは
超人批判「真弓」前後編、楽しく読ませていただきました。
彼が登場するとホント楽しくなりますよね!
今じゃ当たり前のスペシャルマンへの野次も元祖は真弓だったり、スグルに便器に流されたり(笑)あと王妃に殴られてみたり。
物語がシリアスになっていく中でも彼のおかげで和やかなムードになりますよね
そんな明るく楽しい彼だからこそ反乱も起きず民も支持して安寧な超人界を築けたのかもしれないですね!
スグル捜索はフェニックスの話だとしばらくは大規模な捜索したみたいですが途中で打ち切ったみたいです(笑)
他にも真弓の大王就任に神々は揉めなかったのか超人界の頂点なのになぜ大王なのか(頂点なら大帝や皇帝の方がふさわしい)など気になることがまだまだあります(笑)
長文失礼しました
アトールさん、こんにちは。
彼は作品随一のにぎやかしキャラだと思いますね。作品初期の破壊的な面白さは、彼の存在が大きいと思います。
おっしゃる通り、調和の神等のひとくせもふたくせもある神々が、よくスルーで真弓を大王認可したな、と不思議です(笑)。あと大帝を名乗らなかったのは、ミキサー大帝さんに遠慮したのではないでしょうか(笑)。
完璧始祖編で真弓のバックボーンとして
サダハルの薫陶を受けてキン肉王家の闇を一掃する使命が追加されたんですよね
それを受けて考えるとスグルを豚と間違えたのもその闇との戦いで疲弊していたからとか
捜索が難航したのも闇勢力を抑えきれなかったからとか
笑いに拘るのもその闇に負けまいと自身を鼓舞する目的もあったのかもとか
色々考えてしまいますね
スぺへの野次は…まあスぺやししゃーない(爆)
uzukiさん、こんにちは。
第一シーズンの真弓はずっとお気楽な人生だったと思われがちですが、実はそうでもなかったのかもしれませんよね。政敵、政争、まだそれらが残っていて、一瞬の油断もできない中スグルやアタルを探し出すのも、人的・時間的にもリソースが足りなかったのかもしれませんね。
いつも楽しく読んでます!
キン肉王家について気になったのは、タツノリが王位に就く直前まで彼の取り巻きがサダハルを牢に追いやったように、王位継承者以外の超人がかなり大きな政治的権限を持っていたという点です。それは日本で言えば、足利将軍家より守護大名のほうが実質的な権力を持っていたことに似ています。
で、タツノリはそれを改革して中央集権化を進めたのではないかと私は考えています。そのタツノリの後継者の真弓は、底抜けの明るさでキン肉星に好景気をもたらした=何かしらの経済政策を行って良性インフレを起こしたと考えられないでしょうか。
尾張徳川家の徳川宗春が、毎日のように唐人笠を被って町へ遊びに繰り出したのと同じです。キン肉王家の中央集権化が成功した上で、キン肉星の歴史上最大の高度経済成長期が真弓のおかげで到来した…という解釈はできないでしょうか。
その豊かな財力に物を言わせたからこそ、スグルの代わりにジャイアンツ星の小林…もとい、シゲルくんを一時期養子に迎えたりもできたと考えれば、まぁ話の帳尻は合うのでは!?
澤田さん、こんにちは。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
キン肉王族の状況が全盛期を過ぎた足利幕府という例えは面白いですね。そして真弓の明るさによる良性インフレ…興味深いです。
澤田さんのように、過去の歴史と作品の状況を比較するのも楽しい作業ですよね。
真弓の行いの詳細な検証に深く感銘を受け、彼の名誉救済に賛同します。
ギャグマンガ時代のスグルの敗戦はノーカウントという扱いなら、真弓の失策のうち「スグルを豚と間違えて投棄」はカウントすべきではないし、威厳ではなく笑いによって国を統治した名君ならぬ明君というのもその通りと思いました。堯の治世にある「鼓腹撃壌」の故事と似ていますね。
アタル逃亡の真相もいかにも納得できる考察です。サンバの扮装をしたアタルというのはそれこそ想像がつかないですし、彼が耐えかねた「スパルタ教育」というのは正にこの練習だったのでは。
ishiiさん、こんにちは。
いろいろとご共感いただけたようで、嬉しい限りです。そうなんですよね、ギャグ時代の行動をどう公式評価するか…その線引きで評価は大きく変わりそうです。
そして堯の治世と真弓の治世を比べるとは…恐れ入りました。ただ国民が笑って暮らせる治世という意味では、近しいかもしれませんね。
また、彼らの方針によって、アタルの“スパルタの定義”が人と少し異なっていると想像すると、とても面白いですね(笑)。